廟に台湾の歴史と芸術を見る
多くの台湾人にとって嘉義は田舎町だが、リードさんにとっては歴史豊かな古い町である。「17世紀に顔思斉が最初に漢人移住者を率いてきた時、笨港に根を下ろしたことを知っていますか」と彼は聞いてくる。笨港とは、現在の雲林県北港と嘉義新港の一帯を指す。その地域には長い歴史を持つ廟が多数あり、台湾で初めて進香を行なった彰化の南瑤宮は、毎年笨港の天后宮を詣で、南瑤媽祖は鳳の衣をいただいて帰ってくる。
流暢に中国語を話すリードさんだが、正式に中国語の勉強をしたことはなく、嘉義の大きな廟を訪ね歩いて信者たちと言葉を交わすうちに覚えたのだと言う。なぜ宗教を研究するのかとよく問われるが、彼はいつも笑ってこう答える。「実際には人を研究しているのです。宗教を通すことで地域の歴史にも触れられるし、おいしいものも廟の周辺に集まっています」と。
リード·ジョヴァネッティさんとともに嘉義市内の廟を訪ね歩くと、彼は慣れた足取りで西市区を行き、私たちを200年の歴史ある財神古廟「関廂境廟」へと案内してくれた。第二次世界大戦で爆撃され、修復されて路地裏にたたずむ静かな雰囲気の廟である。途中で彼は交差点のビルを指差して説明してくれる。「若い人は知らないのですが、あの銀行の上に古い楼閣が建っています。それは西城門の址で、西門媽祖もかつては城門の守護神だったのです」西門媽祖は1906年の梅山大地震の後に、今の場所に移ったそうだ。
今度は嘉義市の最もにぎやかな中正路を通り、東市区へと移ると、300年以上の歴史を持ち、国定古跡に指定された城煌廟がある。城煌爺は、陰と陽の二つの世界を巡視して回る公正無私の地域の守護神である。廟内に入ると、リードさんは吹き抜けの上にある八卦藻井(格子天井)を指差して「これは、すべてほぞ継ぎで組まれていて、釘は一本も使っていません。美しいですよね」と言う。廟の前殿と後殿は合わせて6フロアあり、各フロアに別々の神が祀られている。前殿で拷問と審判を担当する「什家将」は、リードさんが演じる神職でもある。
最後に訪れたのは城煌廟にほど近い双忠廟だ。規模は大きくないが、嘉義で最も長い350年という歴史を持つ。主神は唐朝の二人の大将軍で、傍らには虎爺公が祀られている。「天井にも虎の模様が入っています」と話すリードさんは、いつも廟の建築を詳細に観察している。そして龍が巻き付く絵が描かれたテラゾー(人造大理石)の柱を叩きながら、「私はこれを見て感動しました。私の曽祖父はイタリア人で、イタリアはテラゾーの発祥の地なのです」と語る。
嘉義の有名な軽食店「林聡明沙鍋魚頭」をはじめ、地方のレストランの国際コンサルタントを務める。宗教文化研究を愛し、嘉義の廟の歴史に造詣が深い。