父と神との和解
生死にかかわる大事故の後、許超彦は生きる意義を積極的に考え始めた。
スキー場での事故は2009年1月1日に起り、その年の12月31日に父親が末期ガンと診断されて3ヶ月後に息を引き取った。
許超彦が半身不随になった後、中医学を専門とする父親は神に怒りをぶつけたが、毎週日曜日に台北へきて息子に鍼灸治療を施した。翌年、父の病状が悪化した時は逆に許超彦が南部へ行って付添い、最後の2ヶ月、父親は神の祝福を受け入れた。
「この事故がなければ、私は北京で仕事を続け、父とともに過ごす時間も得られなかったでしょう」これも主のお導きだと考えている。
事故から1年3ヶ月後、許超彦は台北市立聯合病院松徳院区で仕事を始め、台北コミュニティ心理衛生センターでも診療を行なっている。床ずれを避けるために30分おきに両手で下半身を動かす姿を見なければ、患者はデスクの向こうの医師が車椅子に乗っていることに気付かないだろう。
教会や学校、企業、慈善団体などでの講演活動も始めた。そこで脊髄損傷基金会の林進興理事長やHP元董事長の黄河明らと出会った。基金会の理事も務める黄河明は従兄が脊髄損傷患者であるため、積極的にリハビリや職業訓練に協力している。
同じ信仰を持つ林進興は、許超彦に基金会の執行長を任せたいと考えたが、当時、博士課程へ進むことを考え、国家衛生研究院で依存症予防治療研究計画に参加していた許超彦は悩んだ。
最終的に、この仕事を引き受けることを決めた。「私がこのような障害を持つことになったのには、主の御意志があるはずです。医師であり、患者の苦痛も理解できる私に何かをさせようということだと思いました」と言う。
許超彦によると、台湾では毎年約1200人が事故で脊髄に損傷を負っており、平均年齢は27歳、うち6割がバイクの事故が原因だ。若い盛りの彼らが社会に復帰できず、一生介護を必要とする場合、その医療費は2000万元になり、家族も苦しむこととなる。
友好的な社会を
「患者1人の介護に、生産年齢人口が1人必要になると、家庭は一度に2人の生産力を失ってしまいます」だからこそ、家族をサポートする団体の存在が重要になる。基金会では2人のカウンセラーが家族に協力しており、それを半年続けると、家族の無力感は65点から15点まで軽減するのだ。
昨年4月5日に設立された「台北市脊椎損傷社会福祉基金会」は、患者が社会復帰しやすい「友好的な社会」を目指し、一般企業が社会的企業をアドプトしてサポートするよう呼びかけている。
企業が少しだけ作業工程を変えれば患者は職場に入ることができると許超彦は言う。携帯電話のHTCは良い例だ。同社は最初、脊髄損傷患者6人を雇用してそれぞれを「小天使」1人がサポートすることにしていたが、作業場をバリアフリーにして動線を変えた結果、患者8人に小天使2人でできるようになり、今は35人の患者を雇用している。
基金会が設立した社会的企業「新生命情報サービス」では、脊髄損傷患者に情報サービスと設計の訓練をしている。彰化出身の小玲は頸椎損傷のため首に固定具をつけており、ほとんど動かせない。だが、口で吸ったり吐いたりすることでマウスをコントロールしてデザインができるようになった。
脊髄損傷基金会の執行長になって一年、許超彦はこの仕事に全力で取り組んでいるが、忙しすぎてリハビリに必要な30分の歩行と15分のストレッチの時間も取れないという。また、長時間座っているため膝関節の動く範囲が狭くなっている。
だが感謝を忘れない彼は楽観的だ。「どんな境遇にあっても主は必ず道を開いてくださるでしょう」許超彦にはその道が見えているのである。