製造業の親とサービス業の親
世代の間に挟まれ、五里霧中を模索してきた黄哲斌は、1960年代生まれの父親世代に自らの像を探し出してほしいと願う。
伝統的な父親像がもつ「偉大な力強さ」の印象は「父さんは海に漁に出た。なぜまだ帰らないの?」「母さんは早起きして掃除し、父さんは早起きして新聞を読む」という言葉に明確に現れている。時代が変わり、父の役割も変わりつつある。自分が父となって「中間世代の父親はどんな様子なのだろう」黄も好奇心を感じた。
そこで、記者の本分を再び発揮して、同年代、同世代の友人である作家の駱以軍、水牛書店店長の羅文嘉、「小茉莉親子共読」コミュニティを経営する顔銘新の姿から、1960年世代の父親のイメージを洗い出してみた。
昨年『マイ・リトル・ボーイズ』を出版した駱以軍は、息子との笑いや叱る姿を記録した。作中、上の世代の親は子どもと一緒にいる時間が充分なかったため、家訓を一種の結界と脅しにして、子どもが「枠」をはみ出そうものなら体罰を与えたといっている。黄は、昔の親が権威主義教育だったのは、家族を養うのに精一杯で、子どもといる時間がなかったからだという。「一緒にいたことがないから、どう相手をしていいかわからないのです」
だから、昔の親と子には言葉にできない感情があり、抱きしめるなどありえなかった。駱以軍は父とスキンシップはほとんどなく、イタズラして叩かれた記憶ばかりである。その次は、父が脳卒中で床に伏して、身体を拭く時だった。袁桜珊は父との仲は良かったのだが、大人になって遊びに出かけた折に、高い所が怖くて思わず父にしがみついたことでやっと温かい思い出ができた。
新世代の父は、違う。子どもの教育のために上海から一家で台湾に戻った絵本を愛する顔銘新は、娘の歯医者さんごっこのために、1時間椅子に坐って動かない。ジャーナリストとして登場することの多い黄哲斌は、子どもの前ではイメージダウンも構わず様々な役を演じ、子どもより熱中する。行動と言葉で情感を表現し、ふざけあい、懲罰ではなく遊び、べたべたキスし抱き合う。それが父親が子どもの成長を見つめる共通の経験になる。「その意味するところは、我々世代の父親は、昔の製造業的な教育法ではなく、顧客志向の、子どもの需要を満たすサービス業的教育法だということです」
黄哲斌は、昔の親は鋳型を作り、理想の枠に子どもをはめ込むものだったという。子どもの頃勉強ができた自分は「医者」の欄に入れられ、いろいろ作るのが好きだった弟は「エンジニア」職と決められた。新世代の親は、子どもの代りに未来を選ぶのではなく、子どもが好きなことをするよう励ます。
これまで女性が担ってきた家庭教育に、父の姿が加わった。黄にとって、間違いなく時代の前向きな転換である。昔は「男は外、女は内」という固定概念で、男は必ず家を養う重責を負い、家の仕事は妻がするものだった。黄のように、仕事を辞めて家で子どもの世話をするという決定は、当時なら周囲の奇異な眼差しに曝されただろう。
この十年、二十年で台湾は物質的に豊かになり、共稼ぎ世帯の比率が高まって、社会が父親の役割の変化を許容するようになった。「こうした変化で、親が二人とも外で奔走するのではなく、男女・家事・仕事の交換が許されるようになります。男女平等が文明の指標なら、それはいいことです」と黄はいう。
子どもの教育と昔の家庭の記憶から、見習ってきたのは家の権利を掌握する母親だという。家では存在感が希薄だった父、そして突然の別れが、父の役割を演じる時間をことさら大切にさせる。「親には保存期限があるんです」
50を超えた黄哲斌は、教育に方法論はなく、他の親に指導するつもりはないという。この本を書くことは、自分の半世紀を整理し、母のかけらを残すことでもあった。「読者が人生の中の誰かを思い出してくれれば、それで充分です」