コンビニが煽るコレクション熱
フィギュアブランドを立ち上げるのは容易ではない。赤いヘッドギアにクリクリの目、ラグビーボールを抱えた大同宝宝は、家電メーカー大同が1969年に作ったキャラクターで、台湾最初のフィギュアといえる。一時は人気を誇ったが、バービーやキティ、ドラえもんのようなロングランにはならなかった。フィギュア文化がまだ育っていなかった。
2003年にコンビニが実施したポイントを集めてフィギュアをもらうキャンペーンでブームが起き、フィギュア文化が定着した。コンビニは相変わらず日系と米系キャラの天下だった。2004年に詹;嘉慧はセブン-イレブンのスヌーピー台湾周遊シリーズを企画した。60万体準備したフィギュアが1ヶ月で58万体出た。
「オープンちゃん」は国内オリジナルフィギュアが成功した数少ない事例である。企業マスコットから国際化した台湾初のキャラクターであり、ファミリーは現在7名で台湾最大の人気を誇る。2005年にセブン-イレブンが行ったシールを集めるとオープンちゃんストラップがもらえるキャンペーンでは、30万個が一週間で品切れになった。翌年、勢いに乗じてオープンちゃんクッションを399元で売り出すと、2週間で2万個を完売した。
銘伝大学商品デザイン学科助理教授・陳娟宇によると、米・日フィギュアは、漫画からアニメに発展し、表情や個性やストーリーが与えられてから関連商品が派生して、市場における寿命を維持している。一方セブン-イレブンは、まず企業のマスコットフィギュアがあり、知名度を確立してからファミリーとストーリーを展開して育成し、将来はアニメを制作する。新たな手法といえる。
フィギュア文化の流行で、コレクターがそこに思い出を見出す心の拠り所となっていった。
社会に出て収入ができると、林孟志は計画的にフィギュアを収集し始めた。兵役を終えて家に戻ると、子供の頃の玩具が母に全部捨てられていた。そこで「自分への償い」として収入の大部分を玩具の購入に充てることに決めた。「フィギュアをコレクションするのはプレミアのためでなく、気分がよくなるからです。誰でも心に子供が住んでいるはず」と笑う。
詹;嘉慧も、子供時代の不満への穴埋めやレトロブームが、フィギュア流行の推進力だという。1960~70年代生れが親しんだ『ガッチャマン』『マジンガーZ』『鉄腕アトム』『スマーフ』等、数量限定フィギュアが出るたびにコレクターを刺激する。
今年50歳になる黄仁寿は、高校の初恋の彼女にもらったミッキーとミニーのフィギュアを大切にしている。当時2人で映画を見に行ったロマンチックな思い出がよみがえり、幸せな気持ちになる。
映画「アイアンマン」からインスピレーションを得たフィギュア。