雪中に炭を送る
その中に「2機のヘリコプター」の写真があり、よく見ると1機はブルドーザーを吊り下げて運んでいる。この写真は2009年8月17日に撮影されたものだ。同年の台風8号(モーラコット)による大雨で献肚山が大規模な崩落を起こし、高雄県甲仙郷の小林村が住民400人余りとともに埋没してしまった時、道路は寸断されて救援のための道が確保できなかった。8月14日、台湾はアメリカに支援を求め、米軍は日本の佐世保港から輸送艦デンバーを2隻出し、3日後にはヘリコプターでショベルカーとブルドーザーを被災地に送り届けてくれたのである。
1996年、台湾で初の総統直接選挙が行なわれた際には、台湾海峡ミサイル危機が発生した。この時、クリントン大統領の決定により米軍が航空母艦2隻を台湾海峡周辺海域に配備し、「台湾関係法」における、米国が台湾の民主主義と安全を保障するという約束を実践したのである。中央研究院研究員の林正義は、アメリカが台湾防衛の構えを見せたことは、「台湾関係法」が抑止力を持つことを示していると指摘する。
1949年に国民政府が台湾に撤退した際、アメリカは台湾に系統だった大量の支援を提供した。統計によると、1949~63年の間に米国から提供された36億米ドルの支援は、軍事、農業、工業、教育など多方面にわたった。東西横貫公路から台北市の南京東路まで、高雄加工輸出区から花蓮の門諾病院まで、いずれも米国援助を用いて建設された。こうして台湾はしだいに成長し、援助を受ける側からする側へと変わることができた。
台湾とアメリカの国交が断絶しても、アメリカによる台湾への協力は変らなかった。「台湾関係法」が両国交流の基礎となり、両国の交流は今も頻繁かつ緊密に続いている。
台湾からアメリカへの留学者数は1980~2010年まで増加し続け、国交断絶によって減少することはなかった。AITの統計によると、2012年に台湾が米国のビザ免除プログラムの対象国となってから、渡米者は6割増加した。2017年には47万5000人近い台湾人が渡米しており、旅行や観光での消費額は22億米ドルを超える。

時代が変わっても、台湾とアメリカは常に固い絆で結ばれてきた。(農業委員会提供)