生活から来たダンス
8月初め、雲門生活リズム教室は新しい年度を迎えた。授業は静座で始まり、抱擁で終る。授業前、落ち着かない子供には、好きなだけ動き回らせる。飽きれば静かになるのである。
この日は親子教室で、三歳の息子と遊んだ若いお父さんは、親子の力比べで子供に失敗を受入れることを学ばせられたと話す。もう一つの教室では、世界のダンスを学んだ5~6年生の子供たちが、今度は東洋の抑制した動きと力の使い方を学ぶ。
雲門舞集は設立当初から教室の開設を考え、林懐民が構想を練っていた。1994年に「流浪者の歌」を発表し、東洋の身体美学と精神活動が密接に繋がっていることに気づいた。そこでダンス教室開設に力を注ぐようになり、1995年に授業計画チームを組織した。授業計画作成委員は幼児教育、心理、美術、ダンス、精神の成長などの領域の専門家30人余りで組織され、討論と修正を重ね、幼稚園で試験課程を実施し、さらに修正を加えて正式課程の作成に3年をかけ、1998年に雲門ダンス教室は始まった。
雲門教室の温慧玟事務長によると、生活リズム課程は身体を動かすことと総称でき、すべてのコースは有機的につながり、15年をかけてようやく現在の課程にまとまってきた。教室は年齢別で、3歳以上4歳未満では親子参加である。18歳以上59歳以下は成人のリズム、60歳になると熟年となる。
生活感覚の自然なリズム
「誰でも一段階上がるごとに何かを失って、成長していきます」と、林懐民は言う。おたまじゃくしが蛙になることに喩えて、雲門教室の入り口に描かれている。この変化により、次の段階に立ち向かう勇気と自信が生まれてくるのである。
動きは生の表現で、動くものは踊れる。そこに年齢の制限はない。
しかし、雲門のダンス教室はダンスを教えるのではなく、舞踊の本質に立ち返り、生活感覚から自然なリズムを引出して、自身の身体を体得するところにある。身体はこの生における最大の財産なのに病気にならないとそれを感じ取れないと林懐民は言う。身体を感覚の全体として、その活動から生活を探索し、ダンスによりこの感覚を掴ませる。
林懐民は、ストレッチもダンステクニックもブリッジも教えない原則を立てた。これに対して、子供は何を教わるのかと質す親もいるが、これに対して「子供のために創造の状況を与え、自分の動きを身につけさせるのです」と答える。リズムの動きを課題としても、雲門には正解はない。創造の感じ方は様々で、リズムの動きも様々なのである。
身体の小宇宙を解放
「鷲はどんな飛び方をするのだろう」「両手を広げる以外に、花はどのように開くか」「二人で協力して身体で橋を架けられるか」など、授業では先生から想像力を刺激するテーマが与えられ、子供は動作により様々な考え方を表現する。
これが生活経験から出発する肢体表現である。ダンスとは言えないかもしれないが、ダンスを始める前に、心身に大切な準備作業となる。
雲門教室の授業計画に参加した台北芸術大学の張中煖・副学長によると、舞踏は芸術の一環であり、その学習過程において視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚と身体の動作の感覚を結び付けないと、舞踊の能力は引出せないと言う。言い換えると、生活リズムがダンス芸術の基礎なのである。
ではなぜ創造の場が必要なのだろう。張副学長によると、今の子供の世界は四角い枠に制約されていると言う。テレビやコンピュータに加えて、ゲーム機、携帯、タブレットなど、子供の身体は外界からの数多くの干渉を受けている。
林懐民は定型的な教育規範が子供を型に嵌め、固有の本能を失わせると心配する。中学校の優等生表彰式に出席した張副学長は、受賞生の身体がゆがんでいるのに気付いて驚いたと言う。身体への思考が、頭脳への思考ほど行き渡っていないのである。
新作『稲禾』、身体の自然回帰
8月の『稲禾』のプレスリリースで、林懐民は土、太陽、風、花粉、籾、水、火などのイメージで新作の方向性を語った。嘉南平原で育った林懐民は水田をよく知っていた筈である。だが、2年前に台東県池上で見た広大な稲田は、故郷の零細な水田と大きく異なっていた。見渡す限り稲穂が波打つ壮麗な光景に感動し、『稲禾』の構想が生れた。
この創作は、台湾の土地を再認識する機会ともなった。雲門舞集のダンサーは、去年は池上の水田の収穫に出かけ、労働の中から身体の真実を感じ取りダンスに取り入れた。帰ってきてからの身体表現は、確かに異なっていたと言う。
身体は雲門のダンサーが生活と生命の経験を載せる主体で、また雲門教室が大切に護る教育理念でもある。現在、雲門教室は台湾に19校を数え、受講者数は1万2000人を超えた。
40歳となった雲門舞集はまさに壮年期、15歳の雲門教室は青春期である。66歳の林懐民は今も若い頃の夢を追い、台湾の大地にある人々が生活の中で自在にリズムを刻み、自信を持ったステップを踏んでいくことを願っている。