台湾を足場に、世界のアート界へ
2013年、「White Fungus」はイギリスの代理店WhiteCircと提携し、雑誌は欧米や日本の23ヶ国でも販売されることとなった。
「White Fungus」が世界へと出ていく中、二人は自分たちの生活の場である台湾のことも忘れてはいない。彼らは台湾のビジュアルアートに焦点を当てた雑誌「潜意識餐庁(The Subconscious Restaurant)」を創刊した。「White Fungus」は世界の読者を対象にしているため、英語の読めない読者を遠ざけてしまったとマークは言う。そこで「潜意識餐庁」は異なる位置づけの雑誌にし、中国語と英語の対照訳で台湾のアーティストを紹介している。
「潜意識餐庁」の創刊号では、二人が高く評価するサウンドアーティスト王福瑞のニュージーランドツアーを紹介し、「台湾の聴覚解放運動」という記事を掲載した。その後の号では、舞台パフォーマンスとサウンドアートを得意とする台湾の鄭宜蘋や、台湾のインディーズバンドを育ててきたライブハウス「地下社会」に関わる人物なども紹介してきた。
ロンとマークは台湾のサウンドアートのエネルギーに驚いている。マークによると、台湾のサウンドアートは素晴らしく、国際的な一大芸術イベントであるベネチア・ビエンナーレでも大勢の台湾のサウンドアーティストが異彩を放っているという。ニューヨークなどの国際都市では小衆のものとされるサウンドアートが、台湾では200人もの聴衆を集めており、驚くほど多くの人に受け入れられていると指摘する。
ロンによると「White Fungus」という言葉は台湾とニュージーランドでは異なる文化的意味を備えているが、それと同じように「潜意識餐庁(The Subconscious Restaurant)」という雑誌名にも由来がある。「潜意識餐庁」は現在、クラウドファンディングで資金を集めているが、この雑誌名は台湾のあるレストランの名称だと言う。編集長を務めるロンは、この言葉の組み合わせを非常に気に入っており、英語圏の人はこのような創意ある言葉の使い方は思いつかないと言う。翻訳上の言葉の転換であるだけでなく、カルチャーショックの意義も込められている。
こうしたことから、この雑誌にはアートに対する兄弟二人の情熱が注がれているだけでなく、台湾とニュージーランドの芸術交流という重要な機能も備えている。
編集部を兼ねるマークのアパートには雑誌が山と積まれ、壁一面にはポスターが貼られ、それらはすべて二人による台湾とニュージーランドの芸術交流を見守ってきた。
ロンによると、二人は雑誌編集の他にDJや音楽パフォーマンスの企画なども行っているという。台中に来て5年、彼らはズビグニエフ・カルコフスキなどポーランドやニュージーランドのアーティストを招き、台中と台北でコンサートを開いた。また陳史帝ら台湾のアーティストをニューヨークやベルリンへと紹介している。
今年2月に開かれる台北国際ブックフェアのテーマ国はニュージーランドなので、ロムとマークも「White Fungus」と「潜意識餐庁」を紹介するとともに母国のビジュアルアーティストを招いて文化交流を行なうという。
「White Fungus」は今年、創刊十周年を迎えるが、雑誌創刊の初心を忘れぬよう、かつてコピー機で作った創刊号をとってある。台湾を第二の故郷と思っている二人は、子供のような好奇心をもってこの土地でアートの実験を続けていく。
歴史的建築物保存運動から思いがけず雑誌「White Fungus」の発行を開始したニュージーランド出身のロン(右)とマークは、長年台中に暮らし、熱いハートで台湾のアートを世界に紹介している。
創刊からわずか2年の「潜意識餐庁」は、台湾の読者を世界のアートの世界へと導く。
創刊からわずか2年の「潜意識餐庁」は、台湾の読者を世界のアートの世界へと導く。