台湾では1980年代の後半に戒厳令が解除され、政党結成が自由化されて、社会は民主化と自由に向って動き始めたが、軍隊の中は相対的に保守的だった。1990年代初期には台湾海峡両岸の対話と接触が始まり、窓口機関として台湾の海峡交流基金会と大陸の海峡両岸関係協会が設立された。1990年代の中頃には台湾初の総統直接選挙が行われたが、共産党の軍はミサイル試射と大規模な演習を行ない、一時は緊張が高まった。
これらは90年代の初めから中頃にかけての作品で、当時の海峡両岸情勢を背景に、国防の任務を負う台湾の若い兵士たちのリアルな生活と青春の表情をとどめている。
毒ガス攻撃を受けた時を想定し、雨合羽と防毒マスクをつけて訓練する。(杭大鵬撮影)
戦闘訓練では、銃剣をつけ、発煙弾を投げて敵陣に最後の突撃を行なう。(杭大鵬)
新兵の表情から笑顔が消える連集合場。(田裕華撮影)
馬祖の雲台山には海からのそよ風が吹く。眠気を誘われて横になり、つかの間の空白の時間を過ごす。(田裕華撮影)
毒があろうがなかろうが、どんなに凶暴な蛇も、もう兵士から逃れることはできない。(田裕華撮影)
上等兵・張益生。桃園龍潭。1992年12月。(張良一撮影)
上等兵・尤文雄。新竹関西。1993年2月。(張良一撮影)
上等兵・梁明徳。桃園龍潭。1993年1月。(張良一撮影)