湿地の用途
湿地とは水域と陸域の境目で、たいてい水に覆われている。沼や河口、池、窪地の水場などにあり、塩水と淡水がある。
湿地は、雑草などが生い茂る無用の地とされてきた。だが河川の氾濫などで運ばれる泥土や養分によって湿地は肥沃な土壌を形成している。「人類が水草の生える地域に暮らしてきたのは、まさにそのせいです」と中央研究院生物多様性研究センターの研究員である謝蕙;蓮さんは説明する。
もとは原住民が魚を捕っていたところに、やがて漢人、日本人がやってきて、水路を作り埋め立てをして、湿地を農漁業用地へと作り変え、これが湿地の寿命を急速に縮めることになった。
1975年頃には、台風が来ると大坡池の水があふれ、付近の農家や田畑が浸水するというので、政府が排水溝を建設した。それに加え台風で大量の土砂が堆積したこと、田畑をどんどん増やしたことなどで、55haあった池は1990年代には2haにまで縮小してしまう。大坡池はまるで蒸発してしまったかのようだった。
「『地はその利を尽くす』と古人は言いました。土地ごとの特性を生かせという意味です。ところが人類は湿った土地を嫌ってひたすら乾燥させたため、その生命力を枯渇させてしまいました」と中央研究院生物多様性研究センターの研究員である陳章波さんは指摘する。
ところが1985年、台東県は大坡池を観光エリアとすることを決定。農地を徴集し、池の堆積土の除去に着手した。92年から98年にかけて、池上郷役場は1億元以上の経費を獲得し、28haに及ぶ「大坡池風景パーク」建設を進めた。10年余りの建設で大坡池は大きく姿を変えた。
入園料を取るため、池の周囲には赤レンガの塀をめぐらせた。また池の面積を固定するため、岸を石やコンクリートで固めた。そして池を深く掘るかたわら、二つの人工島を作った。そのために運んできた土は合計60万m3、15tトラック4万台分に上る。
島にはアスファルトのサイクリングロードが敷かれただけでなくバスケットコートまで登場した。パーク内にはほかにもキャンプ場やバーベキュー場、子供の遊び場などがあり、そして二つの島を結ぶコンクリート製の橋と赤い鉄橋が架けられた。これら人工施設の総面積は、水域面積の3分の1を超えたのである。
「もし役所が農地を徴集し、池を整備していなかったら、大坡池はとっくに干上がっていたでしょう。だからまったく意味のない工事だったとは言えません」と、ボランティアで池上生態解説員を務める簡淑瑩さんは考える。
ただ、これらの建設が進むにつれ、かつての大坡池の美しい姿を記憶に留める人々は、それが人工的な姿に変わっていくのに不満だった。そして住民たちは、それらの設備の一つ一つを別名で呼び始めた。
屋根付きバーベキュー場は「豚小屋」、二つの人工島は「牛糞」、土地の液状化で壊れたアーチ橋は「思案橋」というように。
これらの設備と、6000万元を費やした長さ450mの水路や駐車場などは、マスコミによって2004年の「台湾公共工事ワースト10」に選ばれ、更に住民の反感をあおった。
池を見下ろす斜面で民宿「玉蟾園」を経営する彭玉琴さんによれば、大坡池が最も美しいのは早朝で、水面に薄霧がかかり、周囲の水田が色とりどりのパッチワークのように見えるという。「大坡池の良さは自然に囲まれた農村の美しさです。人工島でバスケットをするために池上に旅行に来る人がいるでしょうか」と問う。
視覚的な損失だけでなく、不適切な工事は動植物の生息の場を奪った。例えば岸をコンクリートや石にしたことで湿地独特の推移帯が失われ、両生類が繁殖できなくなった。また、除去された大量の泥には水生植物の種も含まれており、しかも水深が増したことで植物の生長も妨げられた。そこへ農業廃水の流入も加わった。
魚類ではドジョウ、ウナギ、ナマズ、フナ、シナヌマエビ、ヨシノボリなどが、植物ではハスやアシ、ウキクサ、ガマ、クワイ、オオサクラタデが、鳥類ではキジやバン、ヒメクイナ、シロハラクイナが姿を消した。
それに対して増えたのは、100万元かけてショベルカーを使い、山ほど運んで来た外来種のホテイアオイだった。「池の殺し屋」の異名を取るこの植物は驚異的な速度で繁殖して水面を覆い、ほかの原生植物の空間を占領したばかりか、水面下の魚類からも陽光を奪ってしまった。
かつて間違った開発理念の下で大坡池の周囲はコンクリート建造物で固められ、生命が失われてしまった。写真は回復前の景観だ。