
ここ2年ほど、台湾も世界的な不況の影響を受けて失業率が上昇し、慈善事業を行なう機関でも寄付金がなかなか集まらなくなり、すべての人が景気の回復を待ち望んでいる。しかし、こうした状況にありながら、台湾では、世界各地の貧しい国や災害に遭った国へ医療援助に赴く団体や個人が増え続けている。政府の国際合作発展基金会の医療団や、代替兵役としての外交医療団から、民間の医師や宗教団体まで、多くの人が途絶えることなく医療援助活動を行なっている。その内容も単純な人道的医療援助だけでなく、医療物資の支援や衛生技術面での協力、教育訓練、疾病予防推進、医療資源需給の仲介など、ますます多様化し、豊富になりつつある。
不況の中でも、人助けのための活動はますます盛んになっている。台湾の国際医療援助には実は長い歴史があり、そこでは数々の感動的な物語が生まれてきた。
2002年秋、人々が忙しく行き交う台北のMRTの駅構内に、人目を引く広告が出現した。強い日差しを受けて恥ずかしそうに微笑む異国の子供の顔があり、言葉が添えられている。「医学の目的は人命を助け、ハンディを補い、人生に一つのチャンスをもたらし、自らの道を歩めるようにするものです。口唇口蓋裂は治癒できるものです。『愛で補う』ことによって、彼らの顔も、あなたと同じように輝くのです」というものだ。
もう一つの広告では、異国の父親が口唇口蓋裂の手術を終えたばかりの赤ん坊を抱いた写真に、次のような言葉が添えてある。「1時間しかかからない口唇口蓋裂の手術ですが、それは人の一生を変えることができます。ベトナム、カンボジア、フィリピン、中国大陸・・・『羅慧夫顱顔基金会医療団』は至る所に足跡を残しています。すべての台湾人が、わずかな寄付によって一人の子供の一生を変えることができるのです」
都会のあわただしい生活の中では、この広告も一瞬しか目に入ってこないが、羅慧夫顱顔基金会医療団の海外での援助活動は、台湾でもマスコミがしばしば報じており、それが多くの人の心を打ち、絶え間なく寄付が寄せられている。羅慧夫顱顔基金会の海外での活動はますます盛んになり、現在までに、すでに600人以上の手術を終えている。

チベット人の子供が描いた台湾医療団による検診の様子。(台湾国際医療行動協会提供)
世界がもっと身近に
同じく2002年、もう一つの物語がネット上で大きな話題になっていた。
アフリカのブルキナファソに駐在する我が国の医療団の物語だ。そこでは兵役に代って海外医療援助に従事する27歳の若い医師、連加恩さんが働いている。ブルキナファソでは失業率が極めて高く、衣類が非常に不足している。また現地では、いたるところにビニール袋が捨てられており、牛や羊がそれを飲み込んで窒息死するという事故がしばしば起きている。そこで連加恩さんは、地元の教会と一緒に「捨てられたビニール袋を拾ってきた人は、それを衣服と交換できる」という運動を開始したのである。彼は台湾の友人に電子メールを送って、ブルキナファソのために古着40箱分を集めて送ってもらうことにした。台北の長老教会がその中心となり、台北からは最終的に60箱の古着が送られてきた。連加恩さんは、続いて同じ方法でブルキナファソのために15万台湾ドルの募金を集め、それを現地の飲用水の衛生状況改善に用いることにした。これを知った台湾のある人は、別途60万台湾ドルを寄付したという。
連加恩さんの電子メールは、すべてネット上を流通して波のように台湾の隅々まで広がっていき、台湾からは次々とブルキナファソへの支援物資や資金が送られていった。兵役に就く代わりに海外で無報酬の医療活動をする若者のところへは、次々と救援を求める声が寄せられ、彼はネットを媒介として、台湾人の愛を遥か遠いブルキナファソへと届け続けたのである。年初に休暇で台湾に戻った連加恩さんは、この6月には退役できるのだが、もう一年、医療団で働くことを考えているという。台湾の人々の愛をもっと広めたいからだ。
世間は冷たいようだが、人の心は愛と温もりに満ちている。
台湾の海外医療援助は、政府による友好国への援助からスタートし、近年の民間の積極的な参与によってさらに盛んになってきた。衛生署(厚生省に相当)の調査によると、1995年から2000年までの間に、台湾の政府と民間が海外医療衛生援助に投下した資金は1億米ドルを超え(右の表を参照)、援助対象国は78ヶ国に達している。これらの援助に参与している民間団体の中で比較的有名な羅慧夫顱顔基金会、路竹会、国際慈済人医会、台湾国際医学連盟、台湾国際医療行為協会などは、人員を派遣して海外で無料の診療や衛生教育指導、伝染病予防、救難援助などを行なっている。また我が国で有名な中華民国結核予防協会、エデン社会福祉基金会、禁煙を推奨する董事基金会、それに国際ロータリークラブなどが、衛生技術協力や医療物資の支援などの面で大きな力を発揮している。
この他に、台湾各地の病院や宗教団体、慈善団体なども特定の国を対象に、長期あるいは短期的に各種の医療援助を行なっている。ただ、どの機関も活動は控えめに行なっており、その数が多いため、詳細に統計を取るのは難しい。

海外での医療援助に携わろうとする若者が増えている。写真は、兵役に就く代わりに海外医療援助に従事している連加恩医師とブルキナファソの子供たちだ。子供たちの着ている「エキゾチック」な衣服は台湾の人々が贈ったものだ。(連加恩提供)
決死の行動
こうした援助の必要な国に対して、台湾の民間団体は、その国が国際社会において我が国に友好的であるかどうかなどは考慮せず、ただ現地の人々が苦しんでいるかどうかだけで援助を決めるので、活動の足跡は全世界に及んでいる。しかし今日の「愛で補う」医療援助の始まりは、1960年代、戦乱が頻発している友好国での、我が国政府の医療チームの決死の行動だった。
台北市天母の、各国大使館が集中しているエリアにある国際合作発展基金会には、友好国の国旗が並んでいる。我が国と外交関係のあるアフリカの国は、時代と共に変化してきたが、我が国の医療チームの支援を受けている国は少なくない。
国際合作発展基金会は、外交部(外務省)が国際技術協力や投資・融資を行なうために設立した基金会で、特に農業技術団の活躍がよく知られているが、海外での医療チームの活動にも長い歴史がある。医療援助は、1962年に6名の軍医がリビアに派遣され、同国における医療・軍医組織の改善に協力したことから始まり、以来、国際合作発展基金会のアフリカでの援助はすでに40年以上の歴史を持つ。リビアの他に、リベリア、ギニア・ビサウ、中央アフリカなどにも我が国の医療団は足跡を残しており、現在はブルキナファソ、チャド、サントメプリンシペ、マラウイの4つの友好国に駐在している。
「医療団はアフリカの友好国を主な活動地域としています。その理由は現地に需要があるからです」と話すのは、国際合作発展基金会の楊子葆・秘書長だ。1950年代から60年代にかけて、我が国は天然痘やマラリアなどの伝染病の根絶に成功した。気温が高く、飲食や環境の衛生状況が悪いアフリカの国々は、当初から我が国の成功の経験を学ぼうとしており、そこで国防部の軍医が支援に向ったのである。そして90年代の半ば以降、軍の医療スタッフの不足から、民間の人材を募集するようになり、2年前からは兵役代替プランとして兵役年齢の男子が海外医療援助サービスに従事するようになった。

1960年代から、国際合作発展基金会は医療団をアフリカの友好国に駐在させるようになり、各地で高く評価された。写真は、チャドの人々が無料検診の受付に並んでいる様子だ。(国際合作発展基金会提供)
飲用水の改善
医療団の仕事は各国の需要によって異なるが、病院での診療、僻地での巡回診療、医療技術の伝授、公衆衛生指導などが主となり、薬品や医療器材の寄付も行なう。近年、サントメプリンシペでは鍼灸治療も推進しており、現地で鍼灸技術者を育成して中国医学をアフリカに根付かせることにより、医療スタッフの不足を補うという計画も進められている。
実際、アフリカには多くの国の医療団が駐在しているが、現地の政治情勢の変化などにも対応しなければならず、我が国の医療団も常に戦争の危機にさらされている。かつて看護士として中央アフリカに駐在したことのある程懐正さんは、96年の政変に遭遇した。彼女は一人で非難する途中で反乱軍に捕らえられ、8日間も山にこもり、戦火を避けながら歩き続けてようやく空港に到着した。そこで国連の平和維持軍の到着を待っている時、ようやく各地から逃れてきた我が国の外交官や医療スタッフと再会し、泣きながら抱き合ったという。その後、次々と運ばれてきた負傷者を助けたのは、同国に唯一留まった台湾の医療団だったのである。
「一般に国際合作発展基金会の医療団というと『外交』が目的のように見られており、その人道的意義が見落とされがちです」と楊子葆さんは言う。国際合作発展基金会の医療援助は、かつては主に外交関係を考慮して、国交断絶と同時に撤収するという形を採っていた。しかし、それでは医療援助を相手国に根付かせることはできない。そのため近年は、現地の衛生改善と医療スタッフの訓練に重きを置くようにしているのである。
例えば、我が国と正式な国交のないパプアニューギニアでは、良好な水道施設がないため、質の悪い飲用水とともに伝染病が広まることが多い。そこで1991年に、同国政府はアジア開発銀行に救援を求めた。我が国の国際合作発展基金会はこのアジア開発銀行の援助計画に参与し、並行融資の方法で二つの都市の供水システムの改善に協力した。この計画が成功し、国際合作発展基金会は同様の形でハイチでも供水システムの整備に協力し、現地の衛生状況を改善した。
この他に、国際合作発展基金会は陽明大学と協力して国際衛生カリキュラムを設け、今年から発展途上国の医療人材に奨学金を提供して人材の育成に取り組んでいる。

台湾国際医療行動協会の若い医師たちが、インド南部のチベット人亡命居住区を訪れ、現地の子供たちに衛生習慣を指導している様子。(台湾国際医療行動協会提供)
宣教師の精神で
国際的な医療支援団体の間では、現地の医療体系を壊さず、正しい衛生観念を普及させ、衛生状況を改善し、より有効な医療システムの確立に協力するというのがコンセンサスとなっている。国際合作発展基金会や国際医療支援団体の経験の蓄積の下、台湾の民間団体でも、援助する側の良心を満足させる点状の支援から別の方向へ向い始めている。例えば、羅慧夫顱顔基金会はベトナム、カンボジア、フィリピンなどで口唇口蓋裂手術救援プランを立て、無料診療、医療技術伝授、設備募集、術後の言語治療などに取り組み、医療資源が制度として機能を発揮できるように努力している。
「口唇口蓋裂は1時間の手術で改善できますが、黄色人種では新生児500〜600人に1人の割合で口唇口蓋裂が発生するので、台湾の医者が定期的に協力するだけでは根本的な解決はできません」と話すのは羅慧夫顱顔基金会の王金英語・執行長だ。台湾の口唇口蓋裂手術の技術は世界でもトップレベルで、手術に必要な医療チームには、形成外科、矯正歯科、耳鼻咽喉科、言語治療、心理療法、術後のケアなど各分野の専門家が参与している。そのため有効な海外援助を行なうには、このシステム全体を伝授していく必要があるのだ。そこで羅慧夫顱顔基金会では、これまでの援助を続ける他に、現地でこの方面の医療発展に関心を寄せる若い医師を選出して補助金を出し、台湾の長庚病院で訓練を受けられるようにしている。
台湾へ来て数十年になるアメリカ国籍のNoordhoff(中国語名は羅慧夫)医師は、1990年に羅慧夫顱顔基金会を設立し、98年から台湾で育成した口唇口蓋裂医療チームを他の国へ派遣してきた。王金英さんによると、これは国際社会への貢献と言うよりも、むしろ「宣教師の精神」と言えるもので、宗教的な関心や思いやりには当然、国境はないのである。

国際合作発展基金会が整備したパプアニューギニアの都市供水システムによって、質の悪い飲用水による疾病の発生率が大幅に低下した。(国際合作発展基金会提供)
慈悲と喜捨
宗教的な思いやりの偉大さは、それが全面的なものであり、互いの信仰を分け隔てない包容力にある。羅慧夫顱顔基金会の活動は、すでに近隣の国々に深く根を下ろしている。また、世界に知られる台湾の仏教団体、慈済功徳会も世界中にネットワークを張り巡らせている。慈済功徳会は、現地を尊重し、現地の力によって自らを助けるという国際医療援助の精神を発揮している。
慈済功徳会は、台湾の証厳法師の慈悲の呼びかけから始まり「慈、悲、喜、捨」の四つの精神により、貧困救済、医療、文化、教育などさまざまな面で社会をサポートし、改善していく体制だ。現在「慈済人」は世界中にいて、その医療団体も世界各地で活躍している。彼らは「国際慈済人医会」を結成し、世界各地での無料診療や救難救援を行なっている。
「慈済の海外支部は台湾と同様、常に現地の需要に注意していて、各地の慈済人医会は医療に関わる業務を担当しています」と説明するのは慈済慈善事業基金会ボランティアセンター宗教処の王運敬さんだ。その話によると、各地の状況は現地に住む人が最もよく理解しているので、慈済の台湾本部は各地の業務には介入せず、慈済人が少ない国で必要が生じた時だけ、近隣の国から応援に行くようにしている。例えば、インドネシアで救援が必要な時には、近隣の台湾やフィリピン、マレーシアなどの支部が人員を派遣して協力するのである。
一般に慈済のボランティアと言うと仏教徒だと思われているが、王運敬さんによると、世界各地の慈済の医療業務にはさまざまな宗教の信者が参与していると言う。インドネシアではイスラム教徒、ブラジルではカトリック教徒が主で、信仰に関わらず慈済のネットワークで医療救援に携わっている人は全て「慈済人」なのである。
1993年に慈済の海外支部が設立されてから今まで、国際慈済医会は10数ヶ国を訪れ、無数の人を診療してきた。彼らは無料診療を行なうと同時に、地域の衛生教育計画も推進している。現在もインドネシアのジャカルタを流れるカリアンケ川周辺の再建計画を進行しており、地域の衛生教育と衛生状況改善のモデルとして世界的に注目されている。

路竹会がボリビアで無料の検診を行なった時の様子。医療団の行く先々に大勢の人が集まって列を成す。医療団のメンバーには情熱だけでなく、充分な体力も必要だ。(路竹会提供)
自力更生、現地調達
2002年1月、インドネシアでは深刻な水害が発生し、1ヶ月にわたってジャカルタは水に浸かり続け、2月下旬にようやく水が引き始めた。ところが、ジャカルタのカリアンケ川の河口に位置する村では、毎日満潮の時刻になると、ゴミと人や家畜の糞便に満ちた汚水があふれ、浸水するようになったのである。
慈済のインドネシア支部では、最初は同地区での無料診療と民生物資の配布を行なおうと考えていた。しかし3月に水が引いた後は、デング熱と赤痢の流行が心配されるようになってきた。そこで、慈済インドネシア支部は延べ数千名を動員し、カリアンケ川の両岸で大規模な清掃を行ない、わずか1日で100万トンのゴミを取り除いたのである。しかし、現地の慈済支部の評価では、いかに多くの医療サービスや物資を提供してもそれは表面的な解決にしかならず、根本的な解決には河川沿岸の違法建築物を改善して河川を整備するしかないと考えられた。そこで慈済はインドネシア政府に協力を求め、カリアンケ川の大規模な整備計画を開始したのである。
慈済はまずインドネシア政府の土地開発局と話し合って、村の移転のための土地を取得し、慈済が寄付金を集めて1100戸の住宅「大愛屋」を建て、インドネシア政府は移住世帯の審査と河川の整備を行なうことになった。
「自力更生、現地調達」を掲げる慈済の人々は、医療援助で人々の苦しみを解消するだけでなく、現地の人々の愛の心を呼び覚ましてこそ、さらに多くの人を救えると考えている。
30歳の目覚め
羅慧夫顱顔基金会には台湾での口唇口蓋裂医療の専門的バックグラウンドがあり、慈済功徳会は世界に万単位のボランティア人員を有している。さらに、後から結成された台湾国際医療行動協会と台湾国際医学連盟では、情熱に満ちた若者たちが、それぞれ学術研究と医療仲介を中心に医療援助を行なっている。
国際台湾医療行動協会は2001年12月に結成され、現在は60人近い会員がいる。その多くは30歳以下で、医療、ソーシャルワーク、法律、会計などの専門家だ。理事長の陳厚全さんによると、同協会設立のきっかけは、ここ数年の台湾社会の変化に感じるものがあったことだと言う。
「1999年に台湾を突然襲った大地震が30歳前後の若者に与えた衝撃は言葉では言い尽くせません」と陳厚全さんは言う。台湾の政治と経済が急速に進歩する中で育ってきた30歳前後の人々は、常に向上を追求してきたが、大地震を経験してから、経済力や民主政治を追求するだけでは、どうにもならない無常があることに気付いたのだと言う。台湾大地震からの復旧は、経済的に豊かな台湾でも難しいのだから、発展途上国の国々で災害が起こった場合は、台湾の何倍も大変なことになる。
「若者の強みは、学び取る力と強い好奇心です」と陳厚全さんは言う。この協会は、設立前にフランスに「国境なき医師団」などの国際医療援助団体を訪ね、組織の運営方式や国際医療救援のあるべき方向性や態度などを学んできた。そして「研究」の精神からスタートすることを決め、途上国における衛生や疾病の根本的問題を探り出し、現地での医療スタッフ育成に協力して正しい衛生観念を普及させることにしたのである。
1000足のサンダル
台湾国際医療行動協会は現在、アフリカのチャド、ネパール、そしてインド南部のチベット人亡命居住区を対象に、三つの計画を推進している。経費と経験に限りがあるため、最初の段階では他の国際医療援助団体と協力する形を選択してきた。例えば、チャドにおけるエイズ研究計画では、外交部から費用のサポートを受け、NGOのCAREフランス支部と一緒に研究を進めている。
チャドでの研究で、台湾国際医療行動協会は次のような状況に気付いた。チャドは中央アフリカの交通の要衝に位置するため、長距離トラックの運転手が国道沿いで買春することが多く、エイズが国道を中心に、その両側へと広がっていっているのである。そこで同協会はチャドの衛生教育団体と協力して、国道沿いでトラック運転手にコンドーム使用を呼びかけ、これによってエイズの拡大を防ごうとしている。
インド南部のチベット人亡命居住区でも研究の結果、興味深いことが分った。もともと高原に住んでいたチベットの人々は、インド南部に移住してからも高原での生活習慣を変えなかったため、疾病に罹りやすいのである。例えば、チベット人は洗濯した衣服を草地に広げて干すが、熱帯の南インドでこうすると、草地にいる寄生虫が衣服を通して身体についてしまう。そこで協会は、ここの人々に洗濯物を吊るして干すように教えている。
またチベットの人々は高原では裸足で暮すことが多く、南インドへ移住してからも靴を履いていなかった。そこで協会は、現地でサンダルを1000足買って寄贈した。現地の疾病の原因を理解し、根本から解決してこそ、疾病を減らすことができ、医療資源の浪費も防ぐことができるのである。
再び奇跡を
もう一つ、同じく2001年に結成された医療援助団体に台湾国際医学連盟がある。この団体は自らを医療資源の仲介組織と位置付けている。連盟の秘書長で陽明大学環境衛生研究所の教授でもある黄嵩立氏によると、大部分の途上国には、すでに西洋の国際医療団が駐在しているが、これらの団体はしばしば資源不足という窮地に陥っているという。台湾は経済的に豊かで、連盟のメンバーの多くも収入の高い医学界の人々であり、人材面の資源も豊富なため、自らが現地で医療活動に従事するよりも、第一線で活動している医療団のために医療資源を募集する方が分業の効果をあげることができると考えている。
現在、台湾国際医学連盟は、タイとミャンマーの国境付近にある難民病院でカルテのファイルを作るためのコンピュータとソフトを募集している。今春、コンピュータ設備はすでに送ってあり、今後は台湾のシステムエンジニアが現地で指導に当たることになっている。この他に、同連盟ではカンボジアに駐在して禁煙指導を行なっているアメリカの国際援助団体ADRAに協力し、台湾で禁煙指導に成功している董氏基金会を紹介して、禁煙の宣伝指導のためのパンフレットなどの製作に協力している。
黄嵩立さんのような学術界の人材が参加しているため、台湾の国際医療援助団体においても学術化の雰囲気が生まれてきた。内外での無料診療を100回以上行ない、アジア、アフリカ、アメリカ大陸の各地を歩んできた台湾の「路竹会」も、近年は学術機関との協力を進めている。
「医療援助は、国際的には定点での長期的な援助が主流になっていますが、路竹会はしばらくの間は、これまで通り医療システムがまだ普及していない場所での不定点の無料診療を続けて生きます」と話すのは路竹会の劉啓群・会長だ。CATVのディスカバリー・チャンネルに登場する探険家のように、路竹会も各地の発展途上国に深く入っており、これによって貴重な学術的発見も得ている。例えば、アフリカでは、地元の人々がマラリアを治療するために野生植物の葉を使ってキニーネを取っていることがわかった。そこで劉啓群さんは、台北医科大学の生物医学材料研究所と協力してその植物を研究することにした。「もし、これが有効であることがわかれば、アフリカの人々は高価な薬品を買わなくても、現地で薬を手に入れることができるようになります」と劉啓群さんは言う。医療援助と学術研究が結びつけば、遠い異国での医療活動の大きな励みになる。
路竹会の始まりは、医師であり探検家でもあるメンバーたちのロマンだった。羅慧夫顱顔基金会は宣教師の精神を具現化し、国際合作発展基金会は国際社会における台湾の責任を果たしてきた。また、国際慈済人医会は宗教を越えた精神を発揮し、台湾国際医療行動協会と台湾国際医学連盟は若い人々の反省と情熱からスタートしている。最初のきっかけがどのようなものであれ、いずれの医療援助団体のメンバーも、薬品や道具の詰まったカバンを背負い、自ら進んで海外へと出て行くのは「世界はみな兄弟」という昔からの教えが身体にしみ込んでいるからかも知れない。
兄弟が苦しんでいれば、万里の道を歩んででも助けに駆けつけるものだ。台湾の国際医療救援活動はしだいに盛んになってきたが、これはまだスタートに過ぎない。かつて民主主義と経済発展において奇跡を生み出したように、台湾は医療援助活動においても奇跡を生み出そうとしているのである。
分類 |
衛生技術協力 と教育訓練 |
医療物資の寄贈 | 人道的医療援助 | 合計 | ||||
USドル | % | USドル | % | USドル | % | USドル | % | |
政府 | 219,005 | 19.0 | 53,839,890 | 81.5 | 31,402,072 | 94.1 | 85,460,967 | 84.9 |
民間 | 934,293 | 81.0 | 12,244,153 | 18.5 | 1,963,868 | 15.9 | 15,142,314 | 15.1 |
合計 | 1,153,298 | 100.0 | 66,084,043 | 100.0 | 33,365,940 | 100.0 | 100,603,281 | 100.0 |