自力更生、現地調達
2002年1月、インドネシアでは深刻な水害が発生し、1ヶ月にわたってジャカルタは水に浸かり続け、2月下旬にようやく水が引き始めた。ところが、ジャカルタのカリアンケ川の河口に位置する村では、毎日満潮の時刻になると、ゴミと人や家畜の糞便に満ちた汚水があふれ、浸水するようになったのである。
慈済のインドネシア支部では、最初は同地区での無料診療と民生物資の配布を行なおうと考えていた。しかし3月に水が引いた後は、デング熱と赤痢の流行が心配されるようになってきた。そこで、慈済インドネシア支部は延べ数千名を動員し、カリアンケ川の両岸で大規模な清掃を行ない、わずか1日で100万トンのゴミを取り除いたのである。しかし、現地の慈済支部の評価では、いかに多くの医療サービスや物資を提供してもそれは表面的な解決にしかならず、根本的な解決には河川沿岸の違法建築物を改善して河川を整備するしかないと考えられた。そこで慈済はインドネシア政府に協力を求め、カリアンケ川の大規模な整備計画を開始したのである。
慈済はまずインドネシア政府の土地開発局と話し合って、村の移転のための土地を取得し、慈済が寄付金を集めて1100戸の住宅「大愛屋」を建て、インドネシア政府は移住世帯の審査と河川の整備を行なうことになった。
「自力更生、現地調達」を掲げる慈済の人々は、医療援助で人々の苦しみを解消するだけでなく、現地の人々の愛の心を呼び覚ましてこそ、さらに多くの人を救えると考えている。
30歳の目覚め
羅慧夫顱顔基金会には台湾での口唇口蓋裂医療の専門的バックグラウンドがあり、慈済功徳会は世界に万単位のボランティア人員を有している。さらに、後から結成された台湾国際医療行動協会と台湾国際医学連盟では、情熱に満ちた若者たちが、それぞれ学術研究と医療仲介を中心に医療援助を行なっている。
国際台湾医療行動協会は2001年12月に結成され、現在は60人近い会員がいる。その多くは30歳以下で、医療、ソーシャルワーク、法律、会計などの専門家だ。理事長の陳厚全さんによると、同協会設立のきっかけは、ここ数年の台湾社会の変化に感じるものがあったことだと言う。
「1999年に台湾を突然襲った大地震が30歳前後の若者に与えた衝撃は言葉では言い尽くせません」と陳厚全さんは言う。台湾の政治と経済が急速に進歩する中で育ってきた30歳前後の人々は、常に向上を追求してきたが、大地震を経験してから、経済力や民主政治を追求するだけでは、どうにもならない無常があることに気付いたのだと言う。台湾大地震からの復旧は、経済的に豊かな台湾でも難しいのだから、発展途上国の国々で災害が起こった場合は、台湾の何倍も大変なことになる。
「若者の強みは、学び取る力と強い好奇心です」と陳厚全さんは言う。この協会は、設立前にフランスに「国境なき医師団」などの国際医療援助団体を訪ね、組織の運営方式や国際医療救援のあるべき方向性や態度などを学んできた。そして「研究」の精神からスタートすることを決め、途上国における衛生や疾病の根本的問題を探り出し、現地での医療スタッフ育成に協力して正しい衛生観念を普及させることにしたのである。
1000足のサンダル
台湾国際医療行動協会は現在、アフリカのチャド、ネパール、そしてインド南部のチベット人亡命居住区を対象に、三つの計画を推進している。経費と経験に限りがあるため、最初の段階では他の国際医療援助団体と協力する形を選択してきた。例えば、チャドにおけるエイズ研究計画では、外交部から費用のサポートを受け、NGOのCAREフランス支部と一緒に研究を進めている。
チャドでの研究で、台湾国際医療行動協会は次のような状況に気付いた。チャドは中央アフリカの交通の要衝に位置するため、長距離トラックの運転手が国道沿いで買春することが多く、エイズが国道を中心に、その両側へと広がっていっているのである。そこで同協会はチャドの衛生教育団体と協力して、国道沿いでトラック運転手にコンドーム使用を呼びかけ、これによってエイズの拡大を防ごうとしている。
インド南部のチベット人亡命居住区でも研究の結果、興味深いことが分った。もともと高原に住んでいたチベットの人々は、インド南部に移住してからも高原での生活習慣を変えなかったため、疾病に罹りやすいのである。例えば、チベット人は洗濯した衣服を草地に広げて干すが、熱帯の南インドでこうすると、草地にいる寄生虫が衣服を通して身体についてしまう。そこで協会は、ここの人々に洗濯物を吊るして干すように教えている。
またチベットの人々は高原では裸足で暮すことが多く、南インドへ移住してからも靴を履いていなかった。そこで協会は、現地でサンダルを1000足買って寄贈した。現地の疾病の原因を理解し、根本から解決してこそ、疾病を減らすことができ、医療資源の浪費も防ぐことができるのである。
再び奇跡を
もう一つ、同じく2001年に結成された医療援助団体に台湾国際医学連盟がある。この団体は自らを医療資源の仲介組織と位置付けている。連盟の秘書長で陽明大学環境衛生研究所の教授でもある黄嵩立氏によると、大部分の途上国には、すでに西洋の国際医療団が駐在しているが、これらの団体はしばしば資源不足という窮地に陥っているという。台湾は経済的に豊かで、連盟のメンバーの多くも収入の高い医学界の人々であり、人材面の資源も豊富なため、自らが現地で医療活動に従事するよりも、第一線で活動している医療団のために医療資源を募集する方が分業の効果をあげることができると考えている。
現在、台湾国際医学連盟は、タイとミャンマーの国境付近にある難民病院でカルテのファイルを作るためのコンピュータとソフトを募集している。今春、コンピュータ設備はすでに送ってあり、今後は台湾のシステムエンジニアが現地で指導に当たることになっている。この他に、同連盟ではカンボジアに駐在して禁煙指導を行なっているアメリカの国際援助団体ADRAに協力し、台湾で禁煙指導に成功している董氏基金会を紹介して、禁煙の宣伝指導のためのパンフレットなどの製作に協力している。
黄嵩立さんのような学術界の人材が参加しているため、台湾の国際医療援助団体においても学術化の雰囲気が生まれてきた。内外での無料診療を100回以上行ない、アジア、アフリカ、アメリカ大陸の各地を歩んできた台湾の「路竹会」も、近年は学術機関との協力を進めている。
「医療援助は、国際的には定点での長期的な援助が主流になっていますが、路竹会はしばらくの間は、これまで通り医療システムがまだ普及していない場所での不定点の無料診療を続けて生きます」と話すのは路竹会の劉啓群・会長だ。CATVのディスカバリー・チャンネルに登場する探険家のように、路竹会も各地の発展途上国に深く入っており、これによって貴重な学術的発見も得ている。例えば、アフリカでは、地元の人々がマラリアを治療するために野生植物の葉を使ってキニーネを取っていることがわかった。そこで劉啓群さんは、台北医科大学の生物医学材料研究所と協力してその植物を研究することにした。「もし、これが有効であることがわかれば、アフリカの人々は高価な薬品を買わなくても、現地で薬を手に入れることができるようになります」と劉啓群さんは言う。医療援助と学術研究が結びつけば、遠い異国での医療活動の大きな励みになる。
路竹会の始まりは、医師であり探検家でもあるメンバーたちのロマンだった。羅慧夫顱顔基金会は宣教師の精神を具現化し、国際合作発展基金会は国際社会における台湾の責任を果たしてきた。また、国際慈済人医会は宗教を越えた精神を発揮し、台湾国際医療行動協会と台湾国際医学連盟は若い人々の反省と情熱からスタートしている。最初のきっかけがどのようなものであれ、いずれの医療援助団体のメンバーも、薬品や道具の詰まったカバンを背負い、自ら進んで海外へと出て行くのは「世界はみな兄弟」という昔からの教えが身体にしみ込んでいるからかも知れない。
兄弟が苦しんでいれば、万里の道を歩んででも助けに駆けつけるものだ。台湾の国際医療救援活動はしだいに盛んになってきたが、これはまだスタートに過ぎない。かつて民主主義と経済発展において奇跡を生み出したように、台湾は医療援助活動においても奇跡を生み出そうとしているのである。
中華民国の政府および民間医療団による国際医療衛生援助・協力の評価額
(1995〜2000年)
分類
|
衛生技術協力 と教育訓練 |
医療物資の寄贈 |
人道的医療援助 |
合計 |
|
USドル |
% |
USドル |
% |
USドル |
% |
USドル |
% |
政府 |
219,005 |
19.0 |
53,839,890 |
81.5 |
31,402,072 |
94.1 |
85,460,967 |
84.9 |
民間 |
934,293 |
81.0 |
12,244,153 |
18.5 |
1,963,868 |
15.9 |
15,142,314 |
15.1 |
合計 |
1,153,298 |
100.0 |
66,084,043 |
100.0 |
33,365,940 |
100.0 |
100,603,281 |
100.0 |