神を招き、鬼を拝む
三朝の祝賀醮の儀式は三日目に入り、クライマックスの儀式に入る。早朝は天公を拝み、夕方は普渡と儀式の最後を飾る跳鍾魁が行われ、一般にも開放されて盛大である。
この日、保安宮近辺の大龍街、酒泉街などの軒先には、普渡のお供え品が山と並び、行き来する人波で保安宮は蟻の這出る隙もない。遠くに高く風を受けて揺れているのが青竹を使った燈煞で、青い旗と天燈を下げたのが天煞、黄色い旗と招魂燈を下げたのが地煞である。燈煞は天地長短があり、上は天神の降臨を迎え、下は無縁の霊魂を呼び寄せ慰め、慈悲の精神を表している。
一尺の高さの燈煞で三里四方の霊魂を招き寄せられると言い、今回保安宮では80尺の燈煞を立てたので、240キロ四方の霊魂を招き寄せたことになる。高く立てれば立てるほどお供えもたっぷり用意しないと、霊魂の数に足りなくなって恨みを買ってしまう。
高々と立てた燈煞で陸にさまよう霊魂を呼び寄せるとしたら、水の中の霊魂に対しては流し燈篭が必要になる。保安宮では民俗工芸課程を開設し、みんなで燈篭を作り、保安大帝が巡行した道順をたどって水門に放した。一つ一つ精巧に、小さな家の形に作られた流し燈篭は、夕暮に可憐な光を放って流れていき、おぼれた哀れな霊魂を招く。
見たこともないお供え品
午後4時、陰陽の世界が交じる時刻である。道士の長である道長は、檀家代表を従えて普渡のお供えの卓で清めの儀式を行う。千斤前後の重量の巨大な神豚がお供え品の後ろに並び、伝統的な廟の祭を知らない都会の子供たちは、思わず「あれ本物の豚なの」と聞き返す。巨大な豚を殺して天公に供えるのは、最良のものを至尊の天神に献上すると言いうことで、こうして豚、羊、鶏を姿でささげる古式に則ったお供えは、今回の醮を大龍峒の住民がどれほど重視しているかを示す。お供えの卓には鶏やアヒルの肉あるいは小麦粉などを使って作られた観賞用のお供えもある。ライオンや麒麟、うなぎやサザエに海亀など、精巧に作られたお供えに人々が足を止める。
「あら、この文王は鶏で出来てるよ」「このウサギ二羽は豚の胃袋で体を作り、耳はスルメ、目は果物の龍眼だわ、可愛いわね」などと、精巧なお供えを一つ一つ鑑賞しながら、どうやって作られたのか言葉を交わしあう。台湾に豊富に産出する数多くの果物を使った果物彫刻は、様々なテーマで作られており、その精緻さに感嘆の声が上がる。「いたずらファミリー」と題された作品は、ココナッツでアニメのトトロ、赤いりんごでキティちゃん、アボカドでペンギンの家族が作られており、子供たちは大喜びである。
台南市の大観音亭、興済宮から出展された装飾のお供えは、作成者の翁松淵さんが台湾南部の特色をよく発揮し、特産の魚サバヒーの燻製をうろこに用いて、長さ30尺の銀龍に仕立てた。また干しシイタケで映画の主人公のゴジラを作り上げたものもあり、また独特の面白さである。
見る人すべてが、あるいは食欲をそそられ、あるいは珍しさに感嘆するお供えには、遠くから集まってきた霊魂たちもがっかりしないですむことであろう。但し、霊の世界にも良し悪しがあって、悪霊が哀れな霊を苛めて、お供えを独り占めにしないようにと、お供えの後ろには鬼王大士爺の神像が立ち監視している。この六尺豊かな大士爺は、長い舌を出して怖い顔をしている。元は邪悪な鬼王だったのだが、その後観音菩薩の弟子になったという。そこで大士爺の頭上には、必ず小さな慈悲深いご様子の観音様が座っていらっしゃる。
生者をもてなすように死者を祭ると言うのが中国人で、飲み物や食べ物は無論欠かせないが、それ以外にも大士爺の両脇には翰林所と同帰所の二ヶ所の紙の家が設けられ、それぞれ読書人と一般人の霊魂の休息に提供される。また経衣山もあって、霊魂が必要とする衣類、櫛、洗面用具などの生活用品が置かれており、さらにはピカピカ光る金山、銀山、銭山まである。ここでは祭ってくれる人のいない哀れな霊にも食べ物があり、もらい物がありと、よく考えられている。
「醮典は伝統的な紙細工工芸を見るには一番のチャンスで、とくに馬に乗った守護の神像、たとえば温、康、馬、趙の四元帥などは、職人の腕の見せ所で、造形的にも非常に複雑で凝ったものになります」と、国立台湾芸術大学伝統工芸学科の謝宗栄講師は話す。
百年に一度のチャンス
落成の醮典の最後の夜に跳鍾魁の儀式が行われる。夜九時が過ぎると気分は一転して厳粛なものになり、道士がお札を持ちお呪いを唱え、塩や米をまき、清めの水を振って、場を清める。舞台では男性だけが上っており、30分余りをかけた厄除けの儀式の中で、鍾魁を演じるものは口を利いてはならない。動作や目つきで、厄を払い魔除けをし、道を開くなどの次第を演じ、もてなしを受けてお腹一杯になりながら離れようとしない霊を、あの世に送り届けるのである。
台湾の廟の中でも、保安宮は人文的色彩豊かなことで知られており、特に宗教と芸術の結合を重んじてきた。この85年の中でもっとも盛大に執り行われた今回の醮典でも、芝居劇団や芸能の芸陣、道士など、すべて慎重に選考し、最良のもののみが招かれた。一般の廟では現代的に改築され、その行事も俗化し空洞化する中で、保安宮の三朝醮は廟の祭の質を向上させたと、中央研究院の研究員である李豊楙さんは高く評価する。金の鱗の米龍、紙細工の神像、醮壇の製作など、そこここに民間芸術の創意工夫が生きているではないか。
但し、今回の保安宮の落成祝賀醮を見逃した皆さん、残念ながらこの記事で楽しんでいただくしかない。次の落成の醮は、恐らく次の世紀のことになるからである。