台湾経済の将来という話になると、思い出すことがあります。80年代の初期、私がフィリップスの高雄建元工場の責任者をしていた時、政府が、10年以内に国民所得を6000米ドルまで増やすという報告を提出したので、私はこれを会社に報告しました。そして「これは何を意味するのか」と聞くと、わが社の工場の給料も同じ水準まで上がることだと言われました。建元工場が60年代に設置された時の月給は、平均10米ドルにすぎなかったのです。
当時の工場の生産力では、このように高い給料は負担できないので、私たちは考えました。いかにして生産力を高めて製品をレベルアップさせ、人員をどう削減し、どのような設備を導入するか。一つずつ答えを出し、計画に従って厳密に実施したため、建元工場はその後も強い競争力を保つことができました。
バトンを握り続けてはいけない
企業は環境の変化を見極め、趨勢に順応して対応していきますが、国家はどうでしょう。残念ながら、国内には5年後や10年後の問題を見据えて考える人は少なく、大部分の人は現在の問題を議論しています。目の前のことだけにとらわれていると、それは「反応型」の管理になり、毎日対応に追われて忙しくても、大きな効果はあがりません。
例えば、現在盛んに議論されている「台湾に根を残す」べきか、大陸に投資するべきか、という問題では、考慮されるのは国内の失業率上昇や資金流出という目の前の問題で、長期的な競争力の向上には役立ちません。
台湾企業が大陸に投資すると、そのうち大陸に追い抜かれると心配する人がいますが、徒競走で痩せた人が太った人に抜かれる心配をするでしょうか。自分を大陸と比較するのは、後戻りに等しいでしょう。台湾が比較すべき相手は欧米や日本などの先進国であり、私たちがまだ出来ないことを目指すべきです。
言い換えれば、台湾産業のレベルアップのスピードは、いかに速く現有のものを手放せるかにかかっているのです。両手を空にしなければ、新しいものに手をつけることはできません。
このような情況で、私はむしろ大陸のスピードが遅く、私たちのバトンをうまく渡せないことの方が心配です。それが私たちの次のダッシュをさえぎるからです。世界中の企業が大陸を生産基地としているのですから、私たちがバトンを渡そうと渡すまいと、競争は続きます。私たちがバトンを握ったまま手渡そうとしなければ、最後は競争から置いていかれるだけです。
ですから、大陸は私たちの競争相手ではなくチャンスなのです。短期的に言えば、大陸を利用して産業の生存期間を延ばすことができ、長期的に言えば、大陸は良好な新市場となります。いずれにしても双方にとって有利な情況なのに、なぜ、勝つか負けるかの競争ととらえてしまうのでしょう。ましてや将来、世界の経済地図はアメリカ、ヨーロッパ、アジアに三分されるのは明らかですから、台湾は大陸から離れたままでは、隅へ押しやられてしまうおそれがあります。
文化の台湾を目指す
もう一つ考えるべきなのは、今後も「製造」を中心に据えるのか、という点です。OECD国家では、製造業に従事するのは労働力の3〜4割ですが、台湾では半数を占めており、やや高いと言えます。うまく発展させれば、サービス業の方が製造業より付加価値が高いのですが、我が国では製造業の競争力が強く、交通や金融などのサービス業の競争力が弱いのが現状です。これは政府が長期にわたって保護してきたことと関わっており、これでは世界と競争できません。
さらに言うと、サービス業の価値は社会全体のレベルによって決まります。残念ながら、我が国は民主化の後、理性的で質の高い市民社会へと向わず、かえってますます屋台文化へと向い、草の根の荒っぽさが突出してきました。これは、我々が先進国の歩みに従ってサービス業を向上させ、台湾を誰もが暮したいと思う質の高い国へ向かわせるには、非常に不利なことです。
新しく発足した游内閣はこの点に着目し、「文化立国」という概念を提唱しています。これはぜひ実現していただきたいと思っています。