歳月がもたらした変化
台北ビール工場の前身は「高砂麦酒株式会社」で、1919年設立の台湾初のビール工場だった。1945年には台湾省専売局に接収され、1975年に「建国啤酒廠」と改名された。日本人が台湾を去った際、醸造設備や作業方法などは残ったが、核心的技術は伝えられなかったため、当時の政府はドイツに人員を派遣してビール醸造や酵母作りを学ばせた。こうしてドイツ式ラガー・スタイルの台湾ビールが生まれ、台湾におけるビールの主流となった。
工場には昔ながらの銅製醸造タンクが多く残されており、2~3年前まで使われていたが、現在は洗浄しやすいステンレス製だ。「銅製タンクは今では貴重です」と、台湾ビールの呉輝煌・副総経理は誇らしげに説明してくれた。
指定古跡となったビール工場内の長い廊下を歩くと、壁に古い白黒写真が掛けられ、労働集約型産業だった時代の工場の様子が窺える。その中に、工場付設幼稚園の卒園式記念写真があり、当時、多くの女性がこの託児施設に子供を預けて働いていたことがわかる。
ビールの発酵は昔は手動で調整したが、今ではオートメーション化され、各段階に3人いればコントロール室から温度や湿度、圧力をボタンで調整できる。ガラスの向こうにいる操作員の背後にはずらりと操作ボタンが並び、さきほどの古い写真とは大きな対比を見せている。
新たな味に挑戦
設備だけではなく、台湾ビールの味も次々と新しく生まれ変わった。最も早くからあるのは「経典(クラシック)」ビールだ。高砂ビールを改良したもので、蓬莱米を加えることで苦みを抑え、香りを高めた。当時は農家の米の売れ残りを防ぐ目的もあった。
50年間、「経典」は台湾人にとって最も馴染みあるビールであり続け、水色の波模様はブランドイメージとして定着した。だが1990年代の輸入解禁で外国産ビールが売られるようになり、2002年のWTO加盟で酒とタバコの専売制が廃止される。専売局も「台湾菸酒公司」となり、市場競争の中、新しいビールを生み出していく。
当時はさっぱりした味のビールが主流で、台湾ビールは新たに「金牌」を売り出した。「金牌は麦芽の糖化をより進めて完全に発酵させることで、喉ごしを滑らかにしています。それに、蓬莱米とアロマホップの比率を高めたので香りもさわやかです」と言うのは、事業部アシスタントマネジャーの陸耀明さんだ。この新商品は広く愛され、「経典」を抜いて売れ行きトップとなった。
次は金牌の切れ味を踏襲した「18天生ビール」が誕生する。熱処理を経ない生ビールは、栄養と新鮮な味を留めやすいものの、賞味期限が短くなる。店頭に並んだ18天生ビールも品質保持のため、18日を超えるとすべて回収される。
18天生ビールも好評を得た。実は同商品は、工場見学の客の反応から生まれた。熱処理を経ていないビールを試飲した客が、その口当たりや喉ごしが普段飲んでいるビールとは全く異なることに驚くのに気づき、開発に結びついたのだ。

戦後まもない頃、台湾のビール工場は「建国」「中興」「成功」「復興」などの名称で呼ばれ、時代の精神を反映していた。(台湾菸酒公司提供)