海への思いの継承
シャマン‧ラポガンは太平洋航行を通し、太平洋の島々の伝統文化が主流文化の影響で消滅の危機にあることに気づいた。蘭嶼でも多くの人がこの問題に気づくようになり、研究や推進のための組織を設立している。シャマン‧ラポガンも友人たちと「島嶼民族科学ワークショップ」を立ち上げたし、ゴールデン‧メロディ‧アワードのアルバム賞にノミネートされた謝永泉は「イララレイ(朗島)部落文化教室」を開いた。また蘭嶼で長年活動してきた蘭恩文教基金会や蘭嶼天主教文化研究発展協会もある。2017年に「実験教育」関連法の修正案が可決された後、蘭嶼の椰油小学校と蘭嶼中学が実験学校(実験的な教育を行う学校)となり、民族教育の授業が開始された。
椰油小学校には、伝統の歌舞を演じるチーム「小飛魚文化展演隊」があり、タオの精神や文化を世界に発信している。彼らは2016年に台湾の原住民児童母語歌舞劇コンテストでグランプリに輝いたほか、蘭嶼を描いた映画『只有大海知道(海だけが知る)』でも重要な役を演じた。2019年にはポーランドの国際児童フェスティバルにも出演し、各国の子供たちと交流を深めた。
チームを指導する顔子矞先生は蘭嶼に来て16年になる。上述の映画に出てくる、台湾本島に帰りたがっている教師とは違い、顔子矞は蘭嶼の人々の素朴さと誠実さを深く愛する。だが彼も、タオの言葉が失われゆく状況を目の当たりにしてきた。「私が蘭嶼に来てチームを指導し始めた1997年頃は、生徒同士でまだ母語を話しており、外国に来たような感じでした。が、10年もたたないうちに再び蘭嶼に赴任すると、生徒はあまり母語を話さなくなっていました。若い親の世代も聞いてわかっても、あまり話せません」
週に1度のタオ語授業では足りないのは明らかだった。そこで、音楽を学んだことのある顔子矞は、かつて台湾各地の原住民集落に赴任した際に知った歌舞と、蘭嶼で聞いた物語などを組み合わせて歌を創作、それをタオ語に訳してもらった。新たに歌を創ったのは、タオ伝統の歌は子供たちには難しかったからだ。「タオのお年寄りが歌うと人生が感じられてとても心を打つのですが、子供にとっては歌詞は長いし、長い人生経験もないので歌いこなせません」
「ヤマ(タオ語で父親)的大船」は同チームがよく披露する曲だ。これは、顔子矞が生徒の親から聞いた家族の物語をベースに創った。タオの人々にとって船を作るのは誇らしいことで、その生徒は祖父と山に行き、大きくなって船を造るための家族の木に印をつけた。だがその後、その家族に起こった不幸なできごとで、船を海に押し出す人手すら足りず、船はトビウオの季節になっても浜辺に置いておくしかなかった。この話を聞いた顔子矞はその悲しさや悔しさが察せられ、その場で涙した。そこで、それを題材に歌を作ることにし、録音してその生徒に聞かせた。生徒は祖父を思い出し、やはり涙したという。
伝統文化の継承は、「昔の生活様式に戻るというのではなく、海とのつながりを失わないことが大切」と顔子矞は考える。歌を学ぶことで子供は祖先の知恵や、自分たちの言葉を学ぶ。毎月の成果発表会では、子供の舞台を見て感動して涙ぐむ親が多いし、かつて村の人々もこう歌っていたと思い出す。「子供が家に帰って親に歌を聞かせたり質問したりすることで、若い親の世代も伝統文化を学ぶ機会ができる。それが私たちの願いです」と顔子矞は語る。
蘭嶼の船、チヌリクランは島のさまざまな樹木を合わせて造られ、タオ族のサステナブルな考え方を反映している。(外交部資料)