5月上旬、台湾ビジネスソフト連盟と法務部が海賊版の取締運動を強化しているとき、ある新聞広告がコンピュータユーザーの目を引いた。「非合法ソフトの取締も怖くありません。この中国語2000が最良の解決策を提供します」とあった。
広告によると、中国語2000はリナックスをベースにして、高い安定性を有し、マイクロソフトのオフィスとも共存でき、しかもブロードバンドやダイヤルアップでインターネットに接続する専用ソフトがついていて、ウィンドウズのユーザーとメールやショートメッセージのやり取りができる。しかも、このOS中国語2000は操作もコマンドもアプリケーションもすべて中国語で表示されていて、ユーザーはインタラクティブなインストール・プログラムの簡単で分かりやすい指示に従って、手軽にインストールもできるのだという。さらに魅力的なことに、このOS中国語2000の値段はわずか50米ドルで、マイクロソフト・オフィスのパッケージが736米ドルであるのに比べると、その差は何と14倍に達するのである。
マイクロソフトへの挑戦
自分を革命家と称する朱邦復は、1978年に「蒼頡法」を発明してから後の24年間、手塩にかけた学生を率いて中国語コンピュータのプラットフォーム、中国語のCPU、中国語の電子ブックなどの新しい分野を切り開き、常に不可能なことに挑戦し続けてきた。
3月上旬、朱邦復はマカオから来た企業と電子ブック生産について商談し、新しい著書『宇宙の漂流者』を発表した。また台湾大学や師範大学に赴いて「電子ブック論」や「漢字の構成要素理論および応用」と言ったテーマで講演を行った。
白髪にジャンパー、カンフー用の靴を履いて、台湾、香港、中国大陸を行き来し、話し出すと長江の奔流のように留まることを知らない。話しているときに、めがねの奥の小さな目がきらきら光り相手を放さない。「いろいろな業界の人に会うと頭が痛くなります。多くのことに満足できませんからね。だけど不平だらけではないのです。私の人生の価値は戦いで、打撃を受ければそれだけファイトが湧きます」と、新刊発表会で話した。
10年前にマイクロソフトに一騎打ちを挑んだが、結果は一敗地にまみれたと朱邦復は認める。1991年、マイクロソフトはそのOSであるウィンドウズの中国語版を引っさげて台湾市場に乗り出した。当時55歳だった朱邦復は、中国語システム、作業環境、アプリケーションを一社で独占し、しかも中国語ウィンドウズのインターフェースを公開しようとしないマイクロソフトのやり方に強い不満を抱いた。そこで半官半民の資訊工業策進会に協力して、ウィンドウズ3.0上の中国語システムを構築したが、これが苦戦したのである。
ウィンドウズの強力なマーケッティング戦略に会い、朱邦復の製品は広告から完全に閉めだされてしまった。翌年、マイクロソフトはさらにウィンドウズ3.1を発売して市場を独占し、朱邦復は戦いを諦めて漢字の構成要素理論の開発に専念することになった。白髪の年になり、孔子が「道行かざれば筏に乗りて海に浮かばん」と言ったような、挫折の感慨を抱いた。仕事は一線を退いたが、学生を連れて私塾形式で研究生活を続け、台北の新店、台東の都蘭山麓、桃園の楊梅などに移り住んだ。
1999年3月、香港文化伝信グループの張偉東総裁が朱邦復を尋ねた。ハイテクで文化の発揚という理念を持つ二人は、すぐに意気投合したのである。そこで朱邦復は文化伝信グループの副総裁に招かれ、学生を引き連れてマカオに移った。去年の初め、文化伝信社の株価が香港ドル48セントから1ドル20セントに跳ね上がり、10分の1の株式を所有する朱邦復の資産評価も急騰し、億を超える香港ドル資産を有する大富豪となった。この資産をバックに、朱邦復の戦いが再開し、研究の成果が堰を切ったように発表されていくことになる。
「香港の記者会見で、マイクロソフトに対抗しようというのは素手で巨人に向かっていくようなものでしょうと聞かれましたが、マイクロソフトを潰そうと言ったことはないし、反対するのは構わないだろうと答えました。ビル・ゲイツも私が反対していることは知っていますが、その反応はというと反対者はたくさんいるが、おまえの実力はまだまだというものでした」と朱邦復は話す。
「10年前、台湾で大敗を喫しましたが、マイクロソフトが向う所敵なしというわけではないのです」と彼は続ける。去年の末、大陸の北京当局が大規模なソフト購入の入札を行ったが、マイクロソフトが290億ドルで応札して、リナックスなど六社連合の70億ドルに敗れ去ったのである。これが対マイクロソフト連合の最初の戦果といえるものだが、万一中国大陸がマイクロソフトの上陸を全面的にシャットアウトすれば、ヨーロッパ諸国もこれに加わる可能性がある。
学生かばんよ、さようなら
多年の雌伏を経て、朱邦復は研究成果を携え再び世に出た。その中国語情報化計画は、まず電子ブックから始まった。
広義の電子ブックとは、デジタル化したシステムにより出版物のデジタルデータを様々な電子メディアに保存するものである。これにはハードディスク、フロッピー、CD、ICカードなどが含まれる。これを通信ネットを通じてデジタルデータとして読者のリーダー、たとえばパソコン、ノートPC、PDA、あるいは携帯電話などに送信する。
朱邦復のチームがまず開発した第一世代の電子ブックは、文昌一号と名づけられた。今のところ基本的なリード機能しかない。重さは350グラム、16折の書籍の大きさにデザインされている。中には中国語のCPUが組み込まれていて、その速度は40MHz以上である。スクリーンは特殊な液晶タイプを採用し、電源を切っても最後の画面を保持できる。ページを繰るときにだけ電力が必要となるので消費電力が少なく、単三電池2個で2ヶ月続けて読めるという。
今回の電子ブックの販売価格は、800人民元以下に抑える予定である。値段を低く設定できたのは自社開発の中国語CPUを使用しているためで、同じタイプの製品の3分の1のコストに抑えられるそうである。また漢字の構成要素理論と字形再生技術を結び付けて、電子ブックでは3万2000の繁体、簡体字を表示できるし、メモリーには金庸の時代小説40冊分を収録できる。
2001年4月、香港文化伝信グループは中国大陸の国家教育部に所属する人民教育出版社と合弁で、人文電子教科書科学技術社を設立すると発表した。これは大陸の億に上る人口を擁する小中学生の教科書市場開発を計画するもので、人民教育出版社がカリキュラム設計と編集を担当し、文化伝信社は電子ブックの技術サポートを行う。この計画では、5年以内に2億台の電子ブックを生産するとしており、今年の秋にまず100万台を高校1年生の生徒に提供する。生産は台湾で上場している正崴精密社が請け負う。
中国大陸の児童生徒が1学期に使う教科書の費用は平均して100人民元と見積もられ、億に上る本の印刷が必要になる。これでは大量の木材を伐採しなければならず、環境汚染の原因となる。電子ブックは木材の伐採を必要としないし、繰り返しての使用が可能である。1学期に何冊かの本をインプットしておき、必要があればまたネットを利用して新しい教材をさらに加えることができるので、便利で環境保護にも役立つ。
「私たちが今提供しようとしているのは、便利ですが決して豪華ではない製品です」と朱邦復は言う。高分子プラスチック素材を利用して、電子ブックを紙のような薄さに改良すれば、読者は本物の本のような身近な使い勝手を感じることができるし、電源としては太陽電池を利用する計画で、この理想は、6、7年後には実現できると見込んでいる。
左手にハイテク、右手に文化
実際には、電子ブックは中国語の情報化の最初に一歩に過ぎない。朱邦復の天を行くがごとき独創的な発明は、すべて中国文化がハイテクにより滅ぶようなものではないと証明したいためである。「中華文化はすべての古い文明の中でも一番最後にアルファベット化の衝撃を受けた地域です。今では漢字だけが本来の象形文字の姿を維持して、中国人の思考を記載しています」と彼は言う。
そこで数十年の心血を注いで漢字の構成要素を研究し、漢字の字形や音義など6つの要素を基礎にして、その構成を分析し、本質を理解し、漢字の文字概念をコンピュータに理解させようと考えている。「情報産業の発展に文化を語らないというのは本末転倒です。ソフトは文化でありコンテンツで、それこそ情報産業の魂でしょう」と彼は話す。
朱邦復は漢字の構成要素理論を基礎に新しいツールを開発している。その情報化計画には、ウィンドウズを凌ぐOSの中国語2000、インテルに取って代わる中国語CPU、人間の読書習慣を変える電子ブック、マルチメディア大学などが含まれる。
中でも壮大な計画が、中国大陸の数億に上る貧しい農民向けの通信ネットである「9億の農民ネット」の開発である。その構想は農民一人一人に言語や視覚による識別装置を組み込んだ電子時計を持たせて、マイクロ波で相互に情報をやり取りし、さらに血圧や脈拍を測定して健康状態をチェックするというプロジェクトである。さらにこのネットを通じて、どこで肥料を買い、農産物をどこに卸すか、さらに資金調達の方法を知ることができ、流通網を整備できる。ビジネスネットが架設されれば、さらに教育機能も加えて、農村の子供も都市に行かなくともネットで教育を受けられ、マルチメディア大学の夢が実現できる。
朱邦復の頭の中には様々な発想の火花が飛び交っており、それを知る人は速やかな製品化を急かす。たとえば、「全自動アニメ製作システム」では、キャラクター、服装、小道具、バックなどを大量にデザインしておき、完備したバーチャル・バンクを設立する。それからプログラムで動きやライト、シーンに編集などの技術的作業をコントロールする。作者がシーンごとのシナリオをインプットすれば、システムが自動的にアニメに作り上げてくれるというものである。このソフトを使えば、1ヶ月でアニメ映画を1本作成できる。
「技術開発は、すぐ製品化するというものではありません。その技術が社会にどんな影響を与えるか評価しなければならないのです。このソフトでバイオレンスやアダルト映画を製作されたらどうします。社会に害を与えたくないのです」と朱邦復は言い、すでに完成している易経の占いソフトも製品化しないと言う。このソフトは自分のSF小説『宇宙の漂流者』に登場するだけである。
ハイテク界の異端児
コンピュータ技術で名を売り、地位を築いてきたが、朱邦復が最後まで関心を持っているのは文化、そして人類の未来という大命題である。
30年前、朱邦復はロサンジェルスの映画館で「2001年宇宙の旅」を見た。それから今まで心は宇宙に遊んでおり、30年後についにSF小説を書上げた。去年、半年をかけて一気に完成したシリーズ12冊のSF『宇宙の漂流者』である。
SFとファンタジー、寓話を組み合わせたシリーズ『宇宙の漂流者』は中国の古典的な章回小説の構成を採っていて、毎回完結のストーリーには、七言律詩でその章のストーリーを表している。小説の中で人類は人工知能を完成させ、地球は人工知能連合の全面的なコントロールの下にあり、物質生産は完全に制御され、生物の遺伝子は全部解読されている。人間の不老長寿の夢が現実になり、いつでも身につけたネット通信システムで様々な知識を吸収できる。
人間を楽しませ、働かせるために、人工知能の政府は精巧なバーチャルシステムの夢製造機を製作した。その中で人は失恋の痛みを味わうことなく、好きな相手と自分向けのストーリーで恋愛し、時には異なるキャラクターを選んで演じられる。しかもいつでもリセット可能で、記憶をすべて消してもう一度やり直せるのである。この新しい時代の人間にとっては、永遠に続く長い日々をいかに過ごすかが最大の悩みとなる。
1998年から『宇宙の漂流者』の構想を温めていたと朱邦復は言う。その前に発表した『知恵学9説』では、エネルギーの変化、物質の形成、場の性質、宇宙の進化などから、思考、人間性、価値を論じたが、一般向きではなく面白みに欠ける内容で理解されなかったため、この理論を一般の人にも分かりやすい通俗的な小説に書換えたのだそうである。
執筆にかかる前に将来50年の大事件を易で占い、起った大事を客観的な基準として、自然にストーリーを発展させていった。また自作の中国語システムを活用して、随時過去の歴史的背景を検索して参考にし、一気呵成に書上げたのだという。こういったツールのために1日1万字の執筆も可能で、構想には数年かかったが執筆は半年しかかからなかった。
「著作はインスピレーションの問題ではなく、資料が十分にあるか、表現意欲が強いかどうかです。私は自分の人生における覚醒の過程を分かち合い、同じ苦しみをほかの人が味わわずに済むようにしたかったのです」と笑いながら、誰かにやられたらやり返そうと思うので、怒りがエネルギーになると言う。
「このシリーズは不朽ですが、不朽の定義は今日ではなく、数十年経っても伝えられるということです」と自信たっぷりである。
どんな場所でも、朱邦復は言いたいことを言う。教育、ハイテク、文化を批判したら余すところなく、倦まず休まず2時間も批判しつづけるので、この異端児を評論界の異端児李敖に擬える人もいる。
「李敖は何にでも文句をつけますが、私は西洋人は罵っても中国人は罵りません。一番軽蔑するのが科学者で、ハイテクを自慢にしていますが、文化がなくて何のハイテクです。世界の破滅の日が来るとしたら、それはハイテクのせいです」と朱邦復は言葉を強める。
富貴も浮雲の如し
「朱さんの一番敬服に値するところは、研究開発の成果を無料で人に提供するところです」と『宇宙の漂流者』を出版した聯経出版社の林載爵編集長は言う。3年前、朱邦復は台湾の出版社を招いて漢文化情報ネットを設立し、中国語の出版物すべてをネットに乗せようと考えた。その結果、遠流、大塊文化、新学友、皇冠、城邦、三民などの出版社の熱心な協力を受けられた。出版社連盟の名義で中国語電子ブックのポータルサイトを設立し、有料でユーザーが中国語の電子ブックをダウンロードできるようにする予定である。
「彼は全体の青写真を統合するリーダーで、私はその青写真の実行者です」と話すのは、11年前にマスコミが報道した朱邦復の文化基礎プロジェクトの瘋子計画に共鳴し、その後ずっとこれに従っている彣芯資訊社の総経理郭慶義さんである。
朱邦復の革命の使命は今も道半ばであり、現代の奇才と称える人もいれば、また夢ばかり見ている痴人とくさす人もいる。「私は必ず歴史に名を残しますから、他人の評価など気にしている暇はありません」と、朱邦復は相変わらずである。
朱邦復は名家の出身である。父はかつて湖北省の省主席を務め、台湾に来てからは、光復大陸設計委員会の事務長を担当した。父の剛直で清廉な人となりが、その金銭に執着しない性格に深い影響を与えたが、反抗的な性格が父とは相容れず、遥か異国に走らせることになった。
台中農学院(現在の中興大学)を卒業してからの10年間、朱邦復はまったく知らない遠い異国のブラジルに自分を放逐してしまった。ブラジルにいた時も、不断に人生の方向を探っていたのだが、出版社に入社して初めて西洋のアルファベット文字の効率の良さに気づいた。一日で一冊の本を出版できるという驚くべきメディアの力を秘めているのである。そこで彼は中国語の情報化を推進し、中国語の知識を素早く世界に広めることを自分の使命と定めた。
37歳の朱邦復は中国語検索システムの研究に没頭し、42歳になって初めてコンピュータに触れた。それから1ヶ月をかけてプログラム作成を勉強し、それ以前に発表した漢字の字形と意味による文字検索法とコンピュータのフォントを結びつけて、ついに中国語入力法である蒼頡法を発明したのである。
43歳のときには、蒼頡法の中国語入力の文字構成要素の概念を利用してフォント作成ツールを完成させ、中国語コンピュータを作り上げた。その翌年にエイサーと協力して、台湾で最初の天竜中国語コンピュータを発表したのである。ここに中国語は情報化できないという迷信を打ち破った。その後は漢字の研究に打ち込み、貧困層の知識水準向上に努力し、中国語の情報化プロジェクトを推進してきた。これまでの経過、そして将来の動向がどうであれ、彼が開発した中国語入力システムの蒼頡法は、中国語コンピュータのキーボード上に消えることのない足跡を残している。
「私は永遠に現実から離れた異邦人なのです。前半生は疾風怒濤のように過ぎてきましたが、今では日も半ば山に落ち、ただ最後に蚕が精魂込めて糸を吐くように、これまでの成果を吐き出したいだけなのです」と、感慨を込めて語った。
生き方もユニークな朱邦復は、これまで幾度も山林にこもって研究に専念してきた。写真は以前の仕事場のノートだ。(卜華志撮影)
3月初旬にマカオから戻ってきた朱邦復は、新刊『宇宙の漂流者』の宣伝活動の他に、これまでの研究成果も発表した。
彼の研究チームが生み出したOS「中国語2000」は6月に台湾で発売される。価格は1800台湾ドルだ。
かつて中国語入力法を編み出すために彼は十数冊の辞書を買い、すべての文字をカードにして分解、分析し、組み合わせた。そして78年に完成したのが「倉頡入力法」だ。(卜華志撮影)
朱邦復は時代小説に登場する侠客にも似ている。名利など顧みず、ひらすら理想を追い求めている。
朱邦復の研究チームが開発した電子ブックは省エネ、低価格で初心者にも使え、電池2本で本が200冊も読める。