何事も最初が難しい
その同級生の英語に感服した頼世雄は、その瞬間、自分も英語を勉強していつか人前で見せびらかしたいと思った。実は、これこそが彼の英語学習の動機だったのである。何を学ぶにしても多少の虚栄心は必要で、虚栄心があればこそ、絶えず努力できると頼世雄は考えている。
彼がこの曹近曦さんに英語を教えてほしいと頼むと、曹さんはすぐに応じてくれ、一緒に重慶南路の書店へ行き、最も基礎的な『中美五周会話』を選んでくれた。しかし、気が急いていた頼世雄は数日でくじけてしまった。英語の授業で皆から笑われ、もともと劣等感を持っていた彼は英語をやめて日本語に変え、音楽科へ編入しようかとさえ考えた。
「幸い思い直し、曹君の言う通り自分を『赤ん坊まで退化させ』、ゼロから始めることにしたのです」と語る頼世雄は曹近曦さんの協力に心から感謝している。心の中の不安を取り除き、大胆に学ぶことを教えてくれたからだ。
英語がうまく話せない人の大部分は、失敗して笑われるのが心配で話せないのである。「英語を学ぶ最初の要件は『面の皮を厚くする』ことです。恥ずかしいという思いを打ち捨て、軽蔑の視線や嘲笑などは気にしないことです」と言う。こう決意してから、頼世雄はどんな困難も気にならなくなった。
洗車と交換で英会話
まず彼は、毎週日曜日に外国人が最も多く暮らしている台北の天母地区を訪れ、駐在する米兵に英語を学ぼうと思った。無料で車を洗うので英会話に付き合ってほしいと頼み込んだのである。これには大変な勇気がいるが、大部分の軍人は何回訪ねても彼を相手にしなかった。4週間続けて通い続けた時、ついに米軍のTurnbull氏が扉を開けて彼を入れてくれた。頼世雄は大喜びですぐに短パンに穿き替えて車を洗った。以来1年間、毎週この家へ通って車を洗い、英語で会話をした。
こうして積極的に英会話を学ぶほか、彼は大量の読書も始めた。当時の恵まれない英語学習環境においてリーディングは特に重要だった。読むことで会話力をつけ、単語や語法も身につくからだ。俗に「唐詩三百首を熟読すれば、詩は作れずとも吟ぜられる」と言う。同じように、英語を読む時も声に出して読む方がよい。目で読めても声に出せなければ「話せない英語」になってしまうからだ。頼世雄は英語版の「リーダーズ・ダイジェスト」を師とし、毎日読むだけでなく、ノートも取った。
おしゃべりしながら辞書を引く
頼世雄によると、彼の英語力が飛躍的に伸びたのは、勤勉にノートを取ったことと関係しているという。知らない単語を書き写すだけではなかった。まずセンテンス全体を書き写し、単語も含めてセンテンスを覚える。さらに、関連する単語も一つ残らずメモしていく。例えば最も簡単なtakeという単語にも、100以上の解釈がある。このように彼は急ぐことなく毎日メモを取っては覚えていき、リーダーズ・ダイジェスト一冊を一年かけて読破した。こうした地道な努力が、彼に英語の基礎を身につけさせたのである。
政治作戦学校の3年生になると、彼は翻訳を始めた。当時はまだ著作権法が施行されていなかったため、中華路の古本屋で英語の雑誌を手に入れ、掲載されている小説を中国語に翻訳して、試しに「中央日報」の家庭欄に投稿してみた。すると何回目かの原稿がついに採用され、初めての翻訳料400台湾ドルを手にすることができたのである。400台湾ドルというのは、当時、軍事学校の学生に国から支給される一ヶ月の手当てより多かった。これは彼にとって大きな励みになり、以後、さらに翻訳に力を注ぐようになる。
この頃の頼世雄は、餓えた虎のように何でも呑み込んでいた。勉強のために疎遠にならないようにと、放課後は同級生と一緒に過ごしたが、それでも皆の傍らに立って話を聞きながら、頭の中で友達の言葉を英語に訳していた。彼は常に漢英辞典を持っていて、分らない単語はすぐに引いた。潜水艦(submarine)や高血圧(hypertension)、それにセロリ(celery)などは、どれも友達との会話の中で出てきた言葉で、その場ですぐに辞書を引いて覚えた。これは後に通訳の仕事をする際に大いに役立ったという。
毎日が英語
政治作戦学校での4年間、英語を勉強しない日は一日もないという努力のおかげで、成績は大変な勢いで伸びていった。片時も英語を忘れなかったため、歩いている時も口は英語を話しており、同級生から英語気違いと呼ばれたこともある。
博士の学位をとって今はアメリカに暮らしている曹近曦さんは、自分は頼世雄にいくつかの方法を教えただけだが、頼世雄はそれをやり通したと言う。「英語をマスターしようと誓いを立てる人は少なくありませんが、忍耐力がないために本当に実行できる人はあまりいません。その点で頼世雄は違いました。彼は目標を達成するまで、絶対にあきらめなかったのです」と言う。
頼世雄は政治作戦学校を卒業後、軍の小隊長を2年間務めてから軍官(士官)外国語学校に進学した。ここでは、一言でも中国語を使えば罰金を払わされるというまさに英語漬けの生活で、彼は水を得た魚のように勉強した。こうした厳しい環境で彼の英語力は急速に伸び、首席で卒業した。
当時、外国語学校の教員だった張為麟さんによると、頼世雄はまじめなだけでなく非常に積極的で、完全に自発的に英語を学んでいたと言う。英語習得に近道はないが、方法はある。方法が正しく、それを根気よく続ければ倍の効果が上がると語る張為麟さんは、頼世雄は正しい学習方法を知っていたと言う。
まだまだ勉強中
頼世雄は正規の大学の外国語学部で学んだわけではなく、25歳までは留学したこともなく、政治作戦学校で英語を学び始めたに過ぎなかった。だが数年の努力を経て、その英語力は非凡な域に達していた。そしてついに大学の外国語学部を卒業した優秀な学生を超えるようになったのである。1973年に、ラジオ局の「ヴォイス・オブ・フリー・チャイナ」が英語番組の記者兼アナウンサーを公募した。待遇が非常にいいので、有名大学の卒業生が大勢応募し、応募者の数は400人に上った。中には外国語学科の修士や外交官の子女、それに大学英文科の学部長といった人まで応募していた。
当時、頼世雄は軍官外国語学校を出たばかりだったが、1万元に達する高い給与に魅力を感じたのと、自分の力を試してみたいという考えから応募した。試験は声のテストと筆記試験と面接の3項目で、彼は前の2項目にパスして最終面接の6人に残った。面接を受けに来た他の学生はいずれも名門大学の外国語学部出身で、試験前に頼世雄が軍の外国語学校出身だと知ると「軍人も英語ができるのか」と驚いた。そこで彼は「少しかじっただけで、まだまだ勉強中です」と答えたという。
ところが、まだまだ勉強中と言った彼がエリートたちを打ち負かし、唯一の合格者となったのである。頼世雄は、これは彼の一生で最も晴れがましいことだったと言う。しかし当時、彼はすでに公費留学の試験に合格して米ミネソタ大学のマスコミ学科に留学することが決まっていたため、ラジオ局に入社することはなかった。
アメリカでの2年間で彼はマスコミ学の修士号を取り、同時に英語教育の修士も取得した。本来はさらに博士課程に進むつもりだったが、妻が腎臓病をわずらい、体調が思わしくなかったため、彼は学業を中断して帰国した。腎臓透析を受けるのに巨額の費用がかかるため、帰国した彼は、仕事の後にあちらこちらで英語を教えた。そして軍を退役してからは全力で英語教育に取り組み、妻の医療費を稼いだ。
歌で英語を学ぶ
頼世雄の英語教育はユーモラスで楽しく、さまざまな学習方法を提供するだけでなく、各国特有のアクセントなどの真似も上手なので、その授業は大変な人気だった。かつて、TOEFL受験のための予備校で教えていた時には、受講生が500人に達し、学生は授業が始まる1時間前から席に着き、後から来た人は教室の通路に座ったという話からも、その人気ぶりがわかるだろう。
英語教育をさらに発展させるため、1982年に彼は全国の大学受験生を対象にしたラジオ講座「常春藤解析英語」を開設した。
最初の頃、ラジオ講座のテキストである「常春藤解析英語」は思ったほど売れず、何の支援もないままに彼はラジオ講師を務めながら市場の開拓に取り組み、苦しい日々を過ごした。さいわい、長年にわたる英語教師としての定評があったため、テキストの定期購読者は増え、今では全国で一、二を争う英語学習誌として定着している。ラジオ講座の合間に、彼は自分が高校時代に好きだった英語のポップスの歌詞を集め、1年の時間をかけて歌詞をすべて翻訳し、それぞれの文法や話法を分析した。それをテキストの読者に提供し、歌を聴きながら学べるようにしている。
英語学習の方法はさまざまだが、味わい深い西洋のスタンダード・ナンバーで学ぶのも一つの良い方法だと頼世雄は言う。英語の歌を歌う過程で、まず歌詞の意味をよく知り、センテンスの構造や文法を理解していけば、本で学ぶより早くて効果的だという。そのため彼は最近「歌を聞いて英語を学ぶ」という学習方法を積極的に紹介している。
基本は常に変らない
今年55歳の頼世雄は、そろそろリタイアする予定だった。だが最近国内では「全国民が英語を学ぼう」というブームが起きており、責任があると感じた彼は退職を先送りし、今年1月から「全民英検」のシリーズ教材を執筆し始めた。社会各層の人々の学習に役立てたいと考えている。また、昨年祖父になった彼は、言葉を話し始めた孫娘と触れ合う中で、幼い頃から語学の基礎を身につけることの重要性を感じ「頼世雄の児童英語」というカリキュラムも組んでいる。
頼世雄の英語学習の経験は起伏に富んだものだったが、その根底にあるのはシンプルな道理である。以前と比べると、今は英語学習の資源も豊富になり、テレビやラジオ、雑誌など、学ぶ手段は身近なところにいくらでもある。しかし、自ら学ぼうという意欲と気力がなければ成果を上げることはできないのである。