世界との交流の道
「私のファッションは、着てもらう事を求めていません」というように、ソフィー・ホンは他のデザイナーのようにブランドとしてデパートにテナントを設置せず、オートクチュール・クラスの芸術品としてデザインされたドレスを、路地裏のブティックにひっそりと隠している。
創作は自己一人の力でもできるが、流通チャネルの管理はそうはいかない。「対外的なチャネルをどこに求めるか」と、流通チャネルの模索がソフィーと台湾デザイナー共通の問題だった。
1994年にオルセー美術館の傍らに台湾文化センターがオープンし、これを祝って「台北の魅力」と銘打った台湾のデザイナー11人のファッション・ショーがパリのホテルで開催された。無論、ソフィー・ホンもこれに参加した。
その後、ソフィーは1994年から96年に奨学金を受けて、フランスで時計の構造とデザイン、アクセサリーとの組合せ、ファッションデザインを学ぶことができた。
1996年にソフィー・ホンは初めてパリ・コレクションに参加し、フランスと台湾との間にファッションの架け橋を渡した。その後はパリから世界の市場に乗り出し、1999年からニューヨークの春夏コレクションに参加し、2000年には東京コレクションに参加し、日本のファンも獲得した。
2010年にはパリに自分のブティックをオープンさせ、ソフィー・ホンの世界市場への足がかりとなった。台湾から始まり、東京、ニューヨーク、パリと駆け抜けてきたが、ソフィーは台湾から完全に離れることはない。
永康街のブティックは、あたかも俗世と離れた静けさに佇むかのようである。ブティックオープンから20年余り、親友のフランソワの没後に、ソフィーはその残したル・ピジョニエ書店を引き継いだ。ファッションと出版の二つを手がけるが、実は両者の内面に差異はない。現在、台中にもブティックをオープンする計画だが、台中店はファッションと書店を結合する予定である。ソフィー・ホンは常に交流を続け、ファッションとそれ以外の世界とを結び付けてきたからである。
逝去した友人、台湾大学フランス語学科のフランソワ・ジルバーバーグ教授のル・ピジョニエ書店(信鴿書店)を引き継ぎ、またフランス政府からシュヴァリエ勲章を授与されたソフィー・ホンは、今後も台仏間のコミュニケーションと交流の架け橋の役割を務めていく。
尽きることのない闘志と創作力を持つソフィー・ホンは、さまざまな芸術団体とも協力している。台北芸術大学の張暁雄・副教授が振付けした舞踊劇『離騒』の衣装も彼女が手掛けている。
尽きることのない闘志と創作力を持つソフィー・ホンは、さまざまな芸術団体とも協力している。台北芸術大学の張暁雄・副教授が振付けした舞踊劇『離騒』の衣装も彼女が手掛けている。
昨年9月、洪麗芬(ソフィー・ホン)はパリのファッションウィークで、一味違う街頭のショーを行なった。歴史的建築物が並ぶコレット広場に緩やかな音楽が流れ、カフェのコーヒーの香りの中、2013年春夏の新作を発表した。
昨年9月、洪麗芬(ソフィー・ホン)はパリのファッションウィークで、一味違う街頭のショーを行なった。歴史的建築物が並ぶコレット広場に緩やかな音楽が流れ、カフェのコーヒーの香りの中、2013年春夏の新作を発表した。