機械音が囂々と響く中、一歩足を踏み入れると爽やかな香りが鼻腔をくすぐり気持ちが改まる。ここは新北市三重区にある大有製墨工場である。1974年に陳嘉徳が創設し、今では次男の陳俊天が二代目を継いでいる。1975年に教育部が書道を小中学校の必修課程に取り入れたため、墨が生徒児童向け文具の必需品となった。最盛期には職人7人を抱え、泥金の職人も5人いた。「忙しくて、学校から帰ると、包装の手伝いで宿題をやる時間もありませんでした」と、陳俊天は子供時代を回想する。それが次第に斜陽産業となり、墨製造工場は次々に閉鎖され、ついには大有製墨の陳嘉徳が一人でこの技術を守り続け、台湾唯一の墨製造工場となった。
伝統技法の品位ある墨色
墨の種類は松煙墨、油煙墨など数多いが、大有製墨では最高級の松煙墨を作っている。まず松煙と膠、水を加熱して混ぜて原料を作るのだが、その配合方法は陳嘉徳が何回も試験を重ねてたどり着いたものである。その調整には高い精度を要求され、分量を間違えると墨は割れてしまう。調合した原料は熱いうちに輪転機で延ばし、麝香と氷を撒き、ローラー摩擦の熱で水蒸気を発生させ、墨の肌理を硬く滑らかにする。この工程で、十分延ばさないと肌理が荒く墨がおりにくくなるが、水蒸気が多すぎ、延ばしすぎると、堅く締まって型に嵌められなくなる。その判断は、すべて経験と勘が頼りである。
次いで重い鉄槌で墨を叩き、空気を抜く。職人が全身を込めて、弾力性のある墨をパン生地を捏ねるように繰り返し折り、捏ねる。膠を含んだ墨は空気に晒しすぎると硬くなるので、速やかに塊に分けてプラスチックの袋に入れて空気を遮断し、作業台の下、炭を入れた木箱で保温する。
伝統的製法の墨造り
大有製墨は伝統を守り、ガスや電気コンロを使わず、炭火の放射熱で作業台の温度を上げ、重さを量った墨の原料を熱いうちに捏ね、空気を完全に抜いてく。職人が捏ねると、炭は光沢を増し、十分捏ねてから型に入れる。墨の型は陳嘉徳が福州から持ってきたザクロの木の型で、百年以上の歴史がある。型には山水画、美人図などが精巧に彫られていて、現代の台湾では、これほどの型を彫ることはもうできないという。
墨は丸一日冷却してから型から外し、冷暗所で乾燥させる。墨は熱にも水にも弱く、夏は膠が溶け出すし、湿気が多いと黴やすい。日干し、風干しはできず、室内でじっと25日間、自然乾燥を待つしかない。大有製墨はこうして伝統の製法を守って墨を製造しているが、机に向かい、ゆっくりとこの墨を磨っていくと、墨の香りが漂い、東洋文化の温かさを感じさせる。
漢字文化の精神的領土
活版印刷の発明により、文化は長く遠くまで広まるようになった。指先で頁をなぞると、微かな凹凸が活版印刷であることを感じさせる。しかし、デジタル出版が襲来し、中国四大発明の一つである活版印刷は、台湾では絶滅の危機に瀕している。2000年に台湾最大の字型製造業の中南行が営業を終了すると、日星鋳字行の主人張介冠は失われつつある繁体字の活版印刷の消失を憂えて、この貴重な文化資産を守ろうと決意した。日星鋳字行は世界に唯一残された、繁体字の活版印刷の字型製造会社なのである。
張介冠の父の張錫齢が、1969年に台北市太原路の裏通りに創業してから、日星鋳字行は出版社に文字の源泉を提供してきた。その小さな作業場に、楷書、明朝体、ゴシック体の大小7種の漢字が並び、鉛活字と銅の字型は合わせて10数万個に上るという。ここに来て、好きな活字で印章を作り、贈り物にすることもできるという。中には、ここで半年かけて字を拾い、愛する人へのプロポーズの言葉を印刷した人もいるそうである。豊富な活字量を誇る日星行では、顧客のためにスタッフが文字を選んでくれるし、自分でゆっくり宝探しのように選ぶこともできる。但し、拾った鉛活字は元の棚に戻すことはできないという。その活字がずれたり、破損したりしていないか保証できず、印刷してから一字一画を欠くと、大変な誤りになるからである。
文字の復興計画
重みのある鉛活字の復興は、張介冠の使命である。店に並んだ木箱の中には、主人が家宝と称する銅製の楷書の型がある。1920年代の上海から持ってきた型は、歳月で摩耗しているが、これを修理できる人も今はいない。そこで張介冠は、2008年にボランティアを募って活版字体復興計画を始めた。鉛活字をスキャンし、コンピュータで欠損部分を修復しファイルするというものだが、楷書は一画ごとに職人の個性がある。同じ字体のすべての字を同じ味わいで修復しなければならず、修復する人により差が出てはならないし、明朝体では字の大小により縦横の比率が異なり、文字を一つ一つ処理する必要がある。文字の復興は、人手も時間もかかるプロジェクトである。
この業界に生きることを運命づけられたのか、若い時は旋盤を学んだという張介冠は、今は修理できる人もいない店の古い鉛活字製造機を、かつての技と勘で修理してきた。とにかく長生きして活字文化を守っていかなければと、彼は笑う。日星行の機械が日月星辰のごとく永遠に運転していき、次の世代の歌人の書斎に漢字文化の美しい文字が残されていくことを願うのである。
古い文具の面影を再び
筆や墨ではなく、モニターに向かいマウスを操り、本に代わってタブレットを見るのが現代の生活である。しかし、台北市信義区には、古い文具や古地図を展示する空間がある。
荘敬路の路地裏、赤く塗られた民家の門を開けると、石畳を踏んで店に入る。大きな木の机にはつけペン、ガラスペンやクリップ、万年筆が並べられ、傍らの書棚にはタイプライター、古地図、物差しなどが置かれていて、歴史を感じさせる物で溢れている。「年配の方が小学校で使っていた文房具には、時代の痕跡や物語を感じます」と、主人の桑徳は、店名の「大人小学古文具(大人が小学校で使った文具)」の由来を語る。
鉛筆削りもない時代、小刀が筆箱には必須であり、毛細管現象を利用したつけペンは、書くたびにインクを付けなければならず、ペンが含むインクの量により字に濃淡が生じる。こういったすべてが、かつての時代の物語を思い起こさせる。
デザイナーの桑徳は、建築家であった父の影響を受け、ペンや物差し、地図に強い関心を寄せていて、店内の文具はすべて、10年余り集めてきたコレクションである。同好の士にかつての文具のデザインを楽しんでもらおうと、妻の張語宸と工房の一部を空けてコレクションを展示し、お客と文具のあれこれを語り合う場とすることにしたのである。並べられた古い文具はすでに製造停止した絶版品だが、しかし未使用の新古品である。営利目的ではなく、余ったコレクションを買いやすい価格で提供している。「昔の文具は使っている材料がしっかりしていて、まだまだ使えます。文具好きの人に使ってもらって、これらの文具の価値を長続きさせたいのです」と桑徳は言う。
デジタル時代のIT製品から、しばし離れてみようではないか。過ぎ去った時に活躍していた古い文具だが、職人の精緻な技が生きていて、手に取ると温かみが伝わってくる。時が古い文具の中でゆっくり発酵してきて、慌ただしい現代生活に、かつての質朴な味わいを取り戻してくれる。
陳俊天は父の陳嘉徳から家業を継ぎ、台湾で唯一、墨の手作りを続けている。
陳俊天は父の陳嘉徳から家業を継ぎ、台湾で唯一、墨の手作りを続けている。
「大有製墨」では昔ながらの工法を守って墨を一本一本手作りし、墨を磨る喜びを伝えている。
活字文化を守り続ける張介冠。「日星鋳字行」は活字を愛する人々の心の拠り所である。
活字は銅製の型に鉛を流して作られる。日星鋳字行では今も活版印刷の美を味わうことができる。
デザイナーの桑徳は十余年にわたってコレクションしてきた古い文具を、時空展示室という形で陳列し、同好の士と交流している。
原紙に鉄筆で文字を書いて謄写版印刷機の中に置き、スクリーンの上からローラーでインクを延ばす。昔は学校の試験用紙なども、こうして一枚一枚手作業で印刷された。
ガラスの試験管に収められたコンパスの替え芯(上)、第二次世界大戦中のつけペン(中央)、紙の箱に収められた真鍮のペーパーファスナー(下)。「大人小学古文具」には昔に戻ったような空間が広がっている。
ガラスの試験管に収められたコンパスの替え芯(上)、第二次世界大戦中のつけペン(中央)、紙の箱に収められた真鍮のペーパーファスナー(下)。「大人小学古文具」には昔に戻ったような空間が広がっている。
ガラスの試験管に収められたコンパスの替え芯(上)、第二次世界大戦中のつけペン(中央)、紙の箱に収められた真鍮のペーパーファスナー(下)。「大人小学古文具」には昔に戻ったような空間が広がっている。