音楽は青春の冒険
1979年の夏の夜、政治大学の男子学生5人が、路上でアメリカのグループ、ブラザーズ・フォーの歌を歌っていた。彼らは興に乗り、女子寮の方に向って次々とラブソングを歌い始めた。こうしてキャンパスにブラザーズ・ファイブが誕生したのである。後に彼らは校内の振声合唱団とギター部の主要メンバーとなり、他の音楽仲間と一緒に「政治大学学生フォークソングコンクール」を提案した。こうして翌年、政治大学金旋賞フォークコンクールが正式に開催され、以来30余年にわたり、大学生にとって重要な音楽発表と交流の場として愛されてきたのである。
時代によって音楽の流行は変わるが、音楽を愛する心は変わらない。1980年代の台湾はフォークソングの全盛期で、保守的な学風の政治大学でも髪を伸ばしてバンドに熱中する学生たちがいた。作詞作曲が好きな陳子鴻もその中の一人だった。彼は音楽仲間を集めて金旋賞に参加することにした。ボーカルは張雨生、ギターは姚金祥である。コンクールの賞金は多くなく、打ち上げの費用程度だったが、このチャレンジは忘れがたい青春の思い出となった。
陳子鴻は、これをきっかけに音楽創作の道に進み、今は著名なプロデューサーとなり、オーディション番組などでも審査員の「子鴻先生」として知られている。金旋賞の思い出を訊ねると、笑みを浮かべてこう話す。「あの頃の受賞者で音楽の道に進んだ人は多くありませんが、金旋賞は私たちの学生時代の美しい思い出です。当時の音楽仲間とは今も食事をしますし、今は駐スイス大使の姚金祥ともよく音楽の話をします」
十数年後、陳子鴻は決勝の審査員として金旋賞に戻った。金旋賞のいいところは、商業主義に染まっていない学生が思い切り創意を発揮することだという。「どの年も私たちの頃とは曲風が違い、音楽はこうして進歩していきます」
「当時はフォークソングがメインでしたが、今はヒップホップや老王楽隊のようなバンドもあります」と言うように、金旋賞の参加曲は多様化している。中でも2016年に参加した「老王楽隊」はユニークだと陳子鴻は言う。
老王楽隊の歌詞は青春への皮肉や教育批判に満ちている。金旋賞のステージで歌った「穏定生活多美好 三年五年高普考(安定した暮らし、やっかいな公務員試験)」は哀愁に満ちた語り口で学生のプレッシャーを語り、チェロの低い音とドラムが心の内を表現する。この年、彼らは金旋賞オリジナル大賞に輝いた。
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金旋賞には毎年多くの優れたミュージシャンが出場するため、レコード会社もスカウトに来る。