ドイツとつながる天主堂の建築
8年前、ヴェルニー神父は安渓寮天主教聖家堂から今の菁寮天主堂へ移ってきた。農村ということで生活リズムは穏やかになると思われたが、かえって忙しくなった。自分でもよく分からないと言うが、実際に暮らしていると、現地のさまざまな問題を切実に感じられるからかも知れない。
子供や高齢者の問題、後壁の将来など、神父が関心を注がない問題はない。放課後の子供たちに行く場所がないこと、高齢者の介護、生活に困窮している人々のことなどである。そして、菁寮天主堂の修築も大切な優先事項だった。
菁寮天主堂がある後壁は、2005年にドキュメンタリーフィルム『無米楽』で有名になり、この穀倉地帯を訪れる観光客が増え、1960年築の٥ط寮天主堂も観光スポットの一つとなった。
天主堂のアルミの三角の尖塔は日差しを受けてきらきらと輝く。鐘楼と庭園と受洗堂には円錐形の尖塔があり、それぞれの先端に雄鶏と鳩と十字架が据えられている。だが、この台南の片田舎にある天主堂が、プリツカー賞を受賞したドイツの建築家ゴットフリート・ベームの設計だと知る人はほとんどいない。
かつて教会の設計を依頼されたベームは、設計図を台湾に送っただけで、その後の建築工事は現地の職人が請け負った。当時台湾を訪れることのできなかったベームは97歳となる今日まで、自らの最初の作品を見ていない。そうした中、2012年にヴェルニー神父が菁寮天主堂の改修を決めてベームに招待の手紙を送ったところ、ベームは久しぶりにこの教会のことを思い出したのである。ただ、高齢のため自ら来訪することはできず、同じく建築家である息子のパウルが父に代わって来訪し、修築に加わることとなった。
この60年近くにわたるドイツと台湾との結びつきは一度は途絶えていた。当初ヴェルニー神父が送った手紙には返事がなく、後にドイツの友人が来訪した際に、この知らせを人づてに伝えてもらい、ようやく連絡が取れたのである。こうした幸運も神の思し召しだと神父は言う。
こうして菁寮天主堂修築の願いがかなうと、神父の関心は車で5分ほどのところにある分堂——平安天主教堂(平安堂)へと移った。
菁寮天主堂の翌年に竣工した平安堂は、まったく異なるスタイルの教会である。面積は半分ほどの木造屋根、60人収容の教会には三合院風の庭と赤煉瓦の塀がある。落成当初、ここは布教活動のほかに、人々に米や物資を支給する場所だった。だが、農村の人口は流出して信者も減少し、平安堂は十数年前に門を閉じたままになっていた。
だが、教会の外で子供たちがうろうろしている姿を見て、このままではいけないと思ったヴェルニー神父は、平安堂の扉を再び開き、住民が過ごせる場所として提供することにした。修繕の資金の目途がつく前から、神父は平安堂の新たな青写真を描いていた。将来的には、現在の教会の姿を残しつつ、前方に2階建ての建物を建てて来客が宿泊できるようにし、東側の建物は高齢者や子供たちの活動のための空間とする。これが完成すれば、菁寮中学の隣に位置する平安堂は、水田を隔てて菁寮天主堂を望めるようになる。
菁寮天主堂は、プリツカー賞を受賞したドイツの建築家ゴットフリート・ベームが設計し、台湾の職人たちが建築を請け負って建てられた。