出版社ごとの特色
すでに著作権が消滅した作品の場合は、当初の翻訳レベルや時代の変化を考慮して、翻訳しなおす必要が出てくる。例えばジェーン・オースティンの『傲慢と偏見』のような大衆的な古典の場合、市場には30以上の翻訳バージョンが流通しており、「驚くような語訳も多い」と漫遊者文化の李亜南編集長は言う。
「古典は、表面的なジャンルや分類を越えた何かを備えているものです」と、古典とは一つのジャンルにおさまるものではないと李亜南は言う。恋愛小説も単なる恋愛小説ではなく、経営学も経営学だけには収まらず、旅行記も単なる旅行記にとどまらない。今回の古典プロジェクトのための推薦書について、李亜南には考えがあった。著作権の消滅した作品を翻訳しなおすというものである。そのためには、その作品にふさわしい翻訳者を見出すことが重要になる。それと同時に、よく売れる本とまったく売れない本は除外するというものだ。
陳郁馨は、木馬文化出版の過去の出版リストを前に、誠品書店での売上を調べた。まずベストセラーは除外し、ジャンルと年代と言語に分けていく。「ベテランの読書家は、もともと自分自身に属する古典を探すものです。誠品書店が集めたいのはそうした読者ではなく、書店巡りが好きで、そこで何かを発見したいと思っている一般大衆をであるはずです。彼らは本を読みますが、そのために何らかの理由やきっかけを求めているのです」と言う。
その戦略は成功したと言えそうだ。木馬文化が推薦した太宰治の『人間失格』は、数カ月にわたってベストセラーとなり、古典プロジェクトの中ではトップの売上を記録している。「低価格で、映画化もされており、付加価値を高める新しいカバーもつきましたから」と陳郁馨は分析する。一方で、思考型の名作であるトルストイの『復活』の売れ行きは芳しくない。
余宜芳も、古典プロジェクトは「すでに買ったことのある人に本を売るのではない」と考えてジャンルの多様性にこだわり、社会科学、サイエンス、文学などをバランスよく選んだ。ダイアン・アッカーマンの『「感覚」の博物誌』、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』は必然の選択であった。さらに文学としては、リアリズム、実験性、革新といった角度から選んだ。この他に、若い読者を古典の世界へ導く一冊として「読みやすい、ハードルの低い本も選びました」と言う通り、パウロ・コエーリョの『アルケミスト—夢を旅した少年』が推薦された。
では、古典と呼ぶにふさわしい村上春樹の作品を、時報出版が推薦しなかったのはなぜだろう。村上春樹の作品は、これ以上露出するまでもないと考えたからである。限られた推薦枠を、注目されていない名作に与えたかったという。
古典は難解なものではない。かつては流行して誰もが読んでいたものが、歳月を経て沈殿し、古典と呼ばれるようになったものもある。これは商周出版の彭之琬編集長の考えである。彼女は、古典の推薦を各編集室の主編に託し、最後にそれらを「読み継がれ、創造性がある」リストに絞っていった。例えば古典の中の古典であるロラン・バルトの『恋愛のディスクール・断章』や、一般には古典とされないが、大きな影響力を持ち、二千年の歴史を持つ宗教を背景とし、革新的な表現手法を見せるものを推薦した。こうして選ばれたのはジェームズ・ハンターの『サーバント・リーダーシップ』である。
こうして10冊のリストが完成したが、商周出版の出版物では中国語作品と翻訳作品の比率が6対4であるのに対し、リストに国内作家の本が一冊も入っていないことに彭之琬は驚いた。
中国語の作品は、洪範、爾雅、九歌、皇冠などの出版社が補うこととなった。張愛玲、白先勇、余秋雨、王鼎鈞、楊牧、鄭愁予、周夢蝶、余光中など、二世代以上にわたって影響力をおよぼしてきた大家の作品が網羅されている。古典プロジェクトに2回にわたって参加している麦田出版では、第一段階では主に翻訳文学と人文歴史分野の作品を出し、第二段階では余華の『活著』や莫言の『生死疲勞』といった中国語作品に重点を置いた。「古典にはさまざまな顔があることを知ってもらいたかったのです」と麦田出版の巫維珍編集長は言う。
九歌出版の陳素芳編集長は、文学史と思想の両面から推薦図書を選んだ。陳若曦の『尹県長』、王藍の『藍与黒』など、台湾や中国の作品は時代を描き切っており、その世代の読者の記憶を呼び覚ますとともに、若い世代の心をも動かす、紛れもない古典である。さらに世界公認の古典であるダンテの『神曲』やジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』も推薦した。
「古典は、表面的なジャンルや分類以上の何かを備えているもの」——古典とは一つのジャンルにおさまるものではないと漫遊者文化の李亜南編集長は考える。