北管全盛時代
漢陽北管劇団の設立当時はまさに北管全盛時代だった。台湾が豊かになるにつれ、人々は神へのお礼や人への謝罪、或いは賭け事で勝っても負けても、劇団を招いて北管を演じてもらい、奉納するようになった。漢陽にも依頼が殺到し、全盛期には年に200以上の舞台をこなした。
しかも、李阿質、李美娘、王春美といった花形の娘役が漢陽劇団を支えて名を馳せた。2022年に宜蘭県「北管劇曲類保存者」に認定された李美娘は、舞台裏で化粧しながら「28歳で北管に入ってもう40年になります。昔はワイヤーで宙づりになる舞台もあったし、演技が良いとファンから祝儀をもらったりしたものです」と言う。
北管の俳優は、起伏のある歌声や伝統劇特有の所作をこなせる必要があるだけでなく、北京語でも方言でもない「官話(古典中国語)」の台詞が話せなければならない。
「趙匡胤の台詞は覚えるのに3日かかりました。台詞が多すぎるのです。記憶力は良いので何とかなりました」と言う李美娘は、年配の男性役を演じる際には呼吸を大切にし、気性の激しい男性役は目に重きを置きなさいと、後輩たちに教える。だが芸には経験の積み重ねが必要だ。
娯楽の増えた今日、観客は減り、団員も年を取るが後継者が集まらない。北管劇団はプロもアマも解散や倒産の危機に瀕し、団員も生計を立てるのが難しくなっている。
8年前に芝居の神様である西秦王爺の前で、荘進才から漢陽劇団団長の座を引き継いだ陳玉還は「団長になったのは劇団が最も低迷していた頃でした」と言う。だが幸い文化部(文化省)によって「重要伝統演芸保存団体」に指定され、同文化資産局のプロジェクトを通じて後継者養成の支援が得られた。
公演の機会を増やそうと努める陳玉還は「昼は北管、晩は歌仔戯の上演」が使命だと言う。北管は神に見せるもので、晩は人に見せるために演じるからだ。高らかに打ち鳴らされる北管音楽や、俳優の抑揚ある歌声や演技を観客に楽しんでもらいたい。寸劇での道化役の台詞が話し言葉であるのを除き、台詞はすべて「官話」なので、北管が守り続けてきた伝統的な話し方が聞ける。また貧しくも清く、忠孝を重んじる物語は、現代でも大切にされるべきものだ。

梨春園の葉金泉団長は、同楽団がこれまでに録音したレコードをデジタル化し、貴重な文化遺産を保存したいと考えている。