
1984年、カリフォルニア大学バークレー校とローレンス・バークレー国立研究所に在職していた科学者の李遠哲氏が求めに応じて台湾へ帰国し、中央研究院で原子・分子化学研究所の設立に協力した。その2年後に氏がノーベル化学賞を受賞したことが吸引力を発揮し、海外で活躍していた科学者数十名の帰国を促した。現在、原子・分子研究所は、表面物理、レーザー光学、化学動力学などの分野で突出した研究成果を上げている。米国の著名な化学者Sylvia T. Ceyer氏も、アメリカの化学動力学研究は台湾のそれに遠く及ばないと称賛しているほどだ。
成功大学出身で中央研究院アカデミー会員、ノーベル物理学賞候補に何回も挙げられている華人科学者の朱経武氏は、2001年に香港特別行政区の董建華・行政長官に招かれて香港科技大学の学長を8年務めた。その間、プリンストン高等研究所に倣い、各国から優秀な人材を広く集めて香港科技大学を「東方のプリンストン」にすることを目指した。その結果、1991年創設という香港で最も若いこの大学は、わずか数年で世界に知られる研究型大学となったのである。
人材は学術と産業の将来を決めるカギであり、世界では早くからその争奪戦が繰り広げられてきた。欧米だけでなく、大中華圏の興隆でアジア各国も人材獲得に乗り出している。こうした中、台湾はどのような誘因をもって国際レベルの人材を惹きつけていけばいいのか。これは一刻の猶予もない「安全保障」上の課題でもある。
国立台湾大学の経済学科で、教員がなかなか集まらないという。信じられるだろうか。
「2010年度、助教の招聘書を6人分出しましたが、実際に入ってくれたのは1人だけ。2011年度は同窓会基金や学校の各種手当などを加えて、5人の枠にようやく3人採用できました」と台湾大学経済学科の王泓仁主任は言う。
十数年前、同学科では欠員さえあれば、すぐに博士号取得者(多くは米国の博士号)から50~60件もの履歴書が寄せられたものだが、ここ数年はそれが14~15件に減った。外国人に門戸を開いても、最後に招聘書を出す段階になると、大半の人が給与が少ない、もっと良いチャンスが見つかったなどの理由で断ってくるのである。

全国で最も優秀な技術者が集まるサイエンスパークは、かつて「見えないグローバル経済センター」と呼ばれた。左は、台北市の内湖サイエンスパーク。右は台湾がハイテクアイランドへと発展する基礎を築いた新竹サイエンスパーク。
各国が経済学の優秀な研究者を求める中、台湾は他国に比べて待遇面で大きく劣り、優秀な人を集めるのは困難だと王泓仁主任は言う。台湾大学の場合、新人助教の年収は約100万台湾ドルだが、中国大陸では海外の学位を持つ人なら200万台湾ドルに達することも多い。香港とシンガポールの給与も台湾の4~5倍だ。
新教員が入ってこないという悩みは台湾大学経済学科だけのものではない。
政治大学商学部の陳春龍・副学部長によると、英フィナンシャル・タイムズによる「2011年世界MBA大学ランキング」で同学部は世界41位、台湾で1位だったが、現在学部全体で20以上の欠員があり、今学期は6人の募集でようやく2人採用できた。
教員が他の学校や海外に引き抜かれるという問題もある。2006年以来、政治大学商学部では「人材流出」が続いている。金融学科の霍徳明教授、財政学科の劉玉珍主任、会計学科の李怡宗教授は北京大学に、財務工学研究センターの陳松男主任は上海交通大学に引き抜かれた。
2011年、それまで人材流出が続いていた同学部は、学校の各種資源を用い、米パデュー大学経営学部の唐揆・副学部長を商学部長に招き、ようやく頭脳流出に一矢を報いた。
だが、政治大学商学部の150人近い教員の3分の1が5年後には定年退職を迎え、その時には教員不足が一層深刻化すると見られている。

人材不足はすでにあらゆる分野に及んでいる。
例えば、文学・歴史・哲学の分野では中央研究院が痛手を負っている。歴史言語研究所だけでアカデミー会員の梁其姿氏やエジプト研究で有名な蒲慕州氏など、4人の研究員が香港へ移ってしまった。
理工学分野では、産業技術研究の牽引車である工業研究院でウエハ・光電の研究者が20余人、まず台湾企業に移ってから中国大陸に渡った。
「工業研究院から直接中国大陸へ移ったケースは今のところ稀ですが、心配なのは、大陸が将来的により多くの誘因をもって実験室を丸ごと持っていく可能性です。そうなると損失は甚大です」と工業研究院の蔡清彦・董事長は語る。
国家科学委員会の張清風・副主任委員によると、ここ5年、台湾の大学と中央研究院では百人以上の教授や研究者が海外へ引き抜かれている。中国大陸、香港、シンガポールといった中華圏だけでなく、韓国やサウジアラビアも台湾の人材を引き抜いていく。退職後に海外に移る人を加えると、この1.5倍になると張清風氏は言う。

テクノロジーは台湾の強みだが、高い生産高の陰では多くの技術者が日夜忙しく働いている。写真は中部サイエンスパークにあるAUOのクリーンルーム。
台湾の研究者はなぜ海外へ出ていくのだろう。グローバル化による政治経済地図の変化にその要因が読み取れる。
中華経済研究院第二研究所の陳信宏・所長は、「主要国の人材吸引政策の研究」において、こう指摘している。第二次世界大戦直後、戦火に見舞われた欧州では上級人材が経済発展著しい米国へ大量に移動し、それによって米国の大学や研究室の基礎研究は長足の進歩を遂げた。
1990年代に入ると欧州の状況は回復し、人材は地元に留まるようになった。一方、高等教育が急速に普及し、より良い生活を求めるようになった台湾や韓国、インド、中国大陸など、アジアが世界の人材供給源となる。
2000年以降は、世界の人材移動の要因が劇的に変化した。まず米国では911同時多発テロ以降、入国ビザ発給が非常に厳しくなり、アジアでは経済的に成熟している日本とシンガポールが、少子高齢化への危機感から海外の人材を広く受け入れ始めた。一方、経済発展を始めた中国大陸やインドで人材需要が高まり、海外から人材を集めるための政策が次々と打ち出された。中国で2008年に始まった計画では、5~10年以内に海外から約2000人の人材を取り込もうとしている。
これまで人材を輸出していたアジアが、経済情勢の変化と政策により、海外の人材を吸収し始めたのである。
人材のグローバルな移動の中で、台湾は複雑な位置に置かれている。1970~90年代、台湾からは多くの学生が米国留学してそのまま現地に残ったが、その後、政府の招きを受けて帰国するようになり、これが新竹サイエンスパークの繁栄をもたらした。典型的な例は、米国のテキサス・インスツルメンツで副社長、ゼネラル・インスツルメンツで社長を務めた張忠謀氏だ。張氏は帰国してTSMC(台湾集積電路製造)を創設し、台湾の半導体産業の基礎を築いた。
台湾と中国大陸の交流が始まると、言語も共通するので台湾の多くの人材が大陸へ移り始めた。現在、大陸に暮らす台湾人ビジネスマンやその家族を合わせると100万人ほどと見られている。

近年、中国大陸は都市建設と大学研究において「世界一流」を目指しており、中でも上海は世界から注目されている。右の写真は外国人学生を積極的に受け入れている上海復旦大学。
人材が移動するのは自然なことだが、台湾の学界では「出ていく一方で入ってこない」という状況が生じている。
米国の国際教育協会(IIE)の統計によると、2010年度、台湾から米国への留学生数は2万4818人で世界5位だった。1980年代には米国の外国人留学生の中で台湾人が最も多かった時期もあり、最も多かった1994年の3万7580人に比べると今は34%減少している。今では中国大陸が台湾を追い抜き、15万7558人が留学している。同じ英語圏の豪州と英国への留学生も減っている。
海外留学が減少すれば、国際感覚を持ち、研究能力と語学力に優れた人材が減少する。中華経済研究院の陳信宏氏によると、2003年、米国で活動する外国人学者は8万4281人、そのうち台湾人が1241人で1.5%、最も多いのは中国大陸と韓国で、それぞれ1万5206人(18%)と7286人(8.6%)である。このように台湾の研究人材は国際ネットワークにおいて少数となり、「台湾の声」を世界に伝える力が弱まるとも考えられる。

近年、中国大陸は都市建設と大学研究において「世界一流」を目指しており、中でも上海は世界から注目されている。右の写真は外国人学生を積極的に受け入れている上海復旦大学。
こうした状況で、台湾の学界における国際的人材が、さらに海外から引き抜かれていく。
例えば、2012年から香港の大学は3年制から4年制に変わる。香港に8つある大学は新たに1000名の教員を必要とし、海外から教員を受け入れる計画で、台湾も重要なターゲットとなった。
2011年のQSアジア大学ランキングでトップの香港科技大学は、人材引き抜きに大きな力を発揮している。世界銀行の報告「いかにして世界レベルの研究型大学を構築するか」によると、香港科技大学は「傑出した天才的学者や科学者の招聘に成功しており、教員の8割は世界トップ24の大学で博士号を取得したか、そこで教鞭を執ったことがある」という。
台湾大学機械学科出身で、香港科技大学生産工学・物流経営学科の宗福季・主任によると、同大学では各種分野にまたがる金融工学研究センターを設立する予定だ。そのために大金を投じて英エコノミスト誌に人材募集広告を載せ、欧米の大学に劣らない高い待遇で人材を招こうとしている。
同センターの人材募集を担当する宗福季氏は、優れた学者を招くために、世界各地を飛び回っている。「香港と台湾と中国大陸は言語も文化も相通じるので接触する機会は多く、経営学の分野では台湾の方が大陸より成熟しているので、当然ターゲットになります」と言う。

教育レベルの向上と高等教育の普及により、国内の大学院で博士号を取得する学生が急速に増えている。写真は、台湾大学の経営学修士課程修了を喜ぶ学生たち。
では、台湾はどう人材を確保するべきなのか。
海外留学する学生は減少しているが、国内で博士号を取得する人は増えているので、それらの人材の育成に力を注ぐべきだという意見が多い。国家科学委員会の統計では、1995年に国内の博士課程の学生は1053人だったのが2009年には3705人まで増えている。これらの人材で、台湾の人材不足を補うことができるだろうか。
交通大学卒業、政治大学経営学博士で、政治大学学長を務める呉思華氏は、国内で育成した博士の質は揃わないと言う。留学帰りの博士と比べると、国内で学位を取った博士は語学力や国際感覚という点でやや劣る。政治大学では全校250名の教員の内、8割が海外で学位を取得している。
呉学長は、多くの学生に海外留学を奨励し、それと同時に国内の博士の質も高めていけば問題の半分は解決できるかもしれないと言う。
国内の博士の競争力を高めるため、国家科学委員会と工業研究院、それに多くの大学院が優秀な学生の留学助成計画を進めている。
中央研究院のアカデミー会員で陽明大学生化学研究所の教授、交通大学初の女性学長である呉妍華氏は、台湾で学位を取った博士の質は、海外の博士に劣らないと語る。

教育レベルの向上と高等教育の普及により、国内の大学院で博士号を取得する学生が急速に増えている。写真は、台湾大学の経営学修士課程修了を喜ぶ学生たち。
だが、国内に人材を留めるにはさまざまな制度を変えていく必要がある。
中央研究院の翁啓惠院長によると、台湾では昔から教授や研究員を一般公務員と同等に扱い、給与や昇給を同一基準にしてきた。世界では業績によって研究職の給与に大きな差をつけており、平等を重んじる公務員体系はそれに反する。
行政院の朱敬一・政務委員によると、米国では分野によって新任博士の給与に大きな開きがある。経済学博士の年収は7万米ドル、会計学博士は17万米ドルという具合だ。世界の待遇と合致することが重要で、均一待遇では人を納得させられないと朱政務委員は言う。
政治大学商学部の陳春龍・副学部長によると、近隣諸国は早くから待遇をフレキシブルにしており、そうしていないのは台湾だけだと言う。「中国大陸も資本主義化しているのに、台湾は『共産主義』なのかと揶揄されます」と言う。

「台北のマンハッタン」と呼ばれる信義計画区には国際的な金融機関の本部と世界のエリートが集まっている。
この他にも非合理的な法令や規制が多い。その一つは外国人の就労規制だ。「外国人就業服務法」によると、台湾で専門職に就く外国人は、修士または経験2年以上の学士でなければならず、初任給は4万7971元以上と決められている。これでは、大学を中退したビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも採用できないことになる。
台湾で学位を取得した華僑も、卒業と同時に台湾から出ていかなければならない。学位取得直後は仕事の経験がなく、新人を5万元近い高給で雇う企業はなかなかないからだ。米国が外国からの留学生や移民の力で国力を支えているように、台湾も外国人材の力を借りることを考えなければならないと翁啓惠氏は言う。

高い待遇で各国から優秀な人材を集めている香港の大学は、大学の世界ランキングでもアジアのトップに名を連ねる。
だが、それほど悲観する必要はないという声もある。政治大学から北京大学金融学科に移った劉玉珍教授は、学界の人材交流は研究や教育経験の蓄積、現地の理解などに役立つもので、台湾はむしろ移動を奨励するべきだと考える。台湾の優秀な人材を世界に売り込むことは、台湾の影響力を高めることにもつながるからだ。
台湾大学の羅清華・副学長は、都市規模の香港やシンガポールや、一党独裁の中国大陸と比べると、台湾社会は開放的で研究テーマも制限されず、影響力と業績は他国に劣らないと言う。
海外に出て行っても母国とのつながりが切れるわけではなく、その研究テーマの多くも台湾と関わるもので、学界における国際協力の先兵とも言えるのだと羅・副学長は考える。
「大学とは、建造物を指すのではなく、大学者を指すのである」というのは、民国の教育者、清華大学の梅貽琦・元学長が1931年の就任時に語った言葉である。
優秀な人材がいなければ、将来の大学者は生まれない。国家百年の計のために、今こそ台湾の人材について真剣に考えなければならない。

かつて台湾から米国留学する学生数は世界で最も多かったが、今はアジアの近隣諸国に抜かれて第5位になっている。写真はスタンフォード大学。