人材移動の要因
台湾の研究者はなぜ海外へ出ていくのだろう。グローバル化による政治経済地図の変化にその要因が読み取れる。
中華経済研究院第二研究所の陳信宏・所長は、「主要国の人材吸引政策の研究」において、こう指摘している。第二次世界大戦直後、戦火に見舞われた欧州では上級人材が経済発展著しい米国へ大量に移動し、それによって米国の大学や研究室の基礎研究は長足の進歩を遂げた。
1990年代に入ると欧州の状況は回復し、人材は地元に留まるようになった。一方、高等教育が急速に普及し、より良い生活を求めるようになった台湾や韓国、インド、中国大陸など、アジアが世界の人材供給源となる。
2000年以降は、世界の人材移動の要因が劇的に変化した。まず米国では911同時多発テロ以降、入国ビザ発給が非常に厳しくなり、アジアでは経済的に成熟している日本とシンガポールが、少子高齢化への危機感から海外の人材を広く受け入れ始めた。一方、経済発展を始めた中国大陸やインドで人材需要が高まり、海外から人材を集めるための政策が次々と打ち出された。中国で2008年に始まった計画では、5~10年以内に海外から約2000人の人材を取り込もうとしている。
これまで人材を輸出していたアジアが、経済情勢の変化と政策により、海外の人材を吸収し始めたのである。
人材のグローバルな移動の中で、台湾は複雑な位置に置かれている。1970~90年代、台湾からは多くの学生が米国留学してそのまま現地に残ったが、その後、政府の招きを受けて帰国するようになり、これが新竹サイエンスパークの繁栄をもたらした。典型的な例は、米国のテキサス・インスツルメンツで副社長、ゼネラル・インスツルメンツで社長を務めた張忠謀氏だ。張氏は帰国してTSMC(台湾集積電路製造)を創設し、台湾の半導体産業の基礎を築いた。
台湾と中国大陸の交流が始まると、言語も共通するので台湾の多くの人材が大陸へ移り始めた。現在、大陸に暮らす台湾人ビジネスマンやその家族を合わせると100万人ほどと見られている。
近年、中国大陸は都市建設と大学研究において「世界一流」を目指しており、中でも上海は世界から注目されている。右の写真は外国人学生を積極的に受け入れている上海復旦大学。