旅のあり方は人それぞれだ。アルバイトをしながら長旅を続ける人もいれば、名所旧跡を一気に回って記念写真を撮ればいいと言う人もいる。移動のバスでは寝て、降りればトイレという旅の人もいる。最近流行し始めたのは、楽しみながら学べる産業観光である。
台湾にウィスキー工場があるのをご存知だろうか。現代の漢方薬はどうやって量産されるのだろう。手漉き紙の製作を体験したいと思わないだろうか。大好きな砂糖漬け果物も、防腐剤が心配で食べられなくなっていないだろうか。食べたり遊んだりできる観光工場体験ツアーに参加すれば、知識を得ながら思う存分楽しむことができる。
観光工場とは何だろう。効率重視の製造工場が楽しい観光スポットになり、「製造」しながら「サービス」もする。製品を販売するだけでなく、工場の雰囲気や製造工程も売る。こうした何役もこなす新たな工場が台湾各地に出現している。
台湾各地の観光工場/資料:経済部中部事務所
「原材料から価格を決めるのは一次製品企業、有形の製品から価格を決めるのは製品企業、活動から価格を決めるのはサービス企業、顧客と接触する時間から価格を決めるのは経験企業、顧客が得る栄誉や喜びから価格を決めるのは変革企業である」――政治大学科学技術管理大学院の李仁芳教授は『経験経済』台湾版の序文でこう説明している。
1993年にイギリスの学者プーンは、裕福な旅行者が世界各地の名勝を見つくした後、さらに一歩進んで深く入っていく経験旅行が新たな観光の趨勢になると述べた。高雄餐飲学院の容継業学長は、情報技術が生活に浸透した後、観光市場の構造も大きく変わると考えている。今後、旅の消費は多様化し、真実の体験が求められるようになるというので「観光工場」が誕生したのである。
経済部中部事務所の沈栄津主任によると、経済部は2003年から従来型産業に観光工場化の指導を開始した。すでにのべ1000万人以上が工場観光を見学し、4億元の生産高を上げ、関連サービス業にも1億元以上をもたらしたと見られる。
交通部観光局企画一科の林佩君科長によると、現在はさまざまな条件(英語によるガイドなど)が満たせないため、まだ台湾の観光工場は海外からの観光客を集めてはおらず、国内観光に限られているという。
だが、2008年の国内旅行が1842億元の収益を上げていることから考えると、観光工場には大きな可能性がある。林佩君によると、近年は国内旅行はすでに飽和状態(年間のべ1億回)に近づいているが、2010年からは全国各地の観光工場が公務員の国内旅行カードの特約店となるため、消費はさらに増えると見られる。
宜蘭県雪山山麓のキンカンの故郷、「橘之郷」の砂糖漬けキンカンは自然の風味を重んじる。洗浄して針を刺し、砂糖に漬けて乾燥させるといった工程において、添加物や人工甘味料や色素は一切使用しておらず、見学した人はその安全性に納得する。
観光工場は観光産業の新たな目玉であるだけではない。より重要なのは、これが従来型産業の転換に道を開くことだ。
沈栄津によると、台湾では早くも1990年代初期から従来型産業の海外移転と空洞化が深刻化していた。経済部では弱小産業への支援のために、製造工程や汚染の改善、技術レベル向上、デジタル化管理、イメージ転換、異業種連盟などの支援策を実施し、2003年には従来型産業の観光価値を見出す指導計画を打ち出した。
以来7年、工業局中部事務所は53の工場の転換を指導し、審査に合格して「観光工場」の看板を掲げているのは39社になる。その多くは台中、苗栗、桃園などの、工場の多い地域に見られる。(地図を参照)
「これまではハードの実力が頼りでしたが、今後はソフトの実力がカギになります」と話すのは、マネジメントの大家で元智大学講座教授の許士軍だ。その話によると、産業革命以来、製造が最優先され、大量生産の結果、今では世界中にモノがあふれている。そうした中で「人と人」を核心としたサービス業には無限の空間がある。「製造業のサービス化は止められない趨勢で、もともと付加価値の低い従来型産業にとってはなおさらです」と言う。
「これは産業ノウハウであり、社会のコミュニケーションでもあります」と沈栄津は言う。台湾にはもともと深い産業文化と観光教育価値を備えた従来型工場が多数ある。例えば、かつて台湾を世界一に押し上げた自転車工場やLED工場だ。これらの工場は、以前は機密漏洩や作業への影響などを考慮して、部外者の立ち入りを厳しく制限していたが、今後、観光工場へと転換していけば、産業観光に良好な素材を提供でき、市民が産業を理解し、企業と社会がコミュニケーションをする手段の一つともなる。
官民が協力し、台湾では多くの従来型産業が「経験経済」の注目株へと転換している。
「サービスを舞台とし、商品を道具として顧客をその中へ招き入れれば、生涯忘れられない体験が生じます」と李仁芳は言う。体験型産業の経営モデルは創意と文化の蓄積からくるもので、そこに知識と美を採り入れれば、顧客が楽しみながら「参画」できるものとなる。
宜蘭県雪山山麓のキンカンの故郷、「橘之郷」の砂糖漬けキンカンは自然の風味を重んじる。洗浄して針を刺し、砂糖に漬けて乾燥させるといった工程において、添加物や人工甘味料や色素は一切使用しておらず、見学した人はその安全性に納得する。
だが実際のところ、工場見学というのは決して新しいものではない。1950〜60年代生まれの人なら、子供の頃に玉兎鉛筆や黒松ソーダの工場を見学した記憶がまだ鮮明に残っているのではないだろうか。
海外にも著名な観光工場は多数あり、外国人観光客が好んで訪れるところも少なくない。
東海大学景観学科主任の侯錦雄によると、先進国では観光工場は斜陽産業復興の最良の手段とされている。ドイツのルール工業地帯やオランダのロイヤル・デルフト陶器工房などは、その手本である。
ドイツ北部のルール工業地帯は、衰退した石炭や製鉄産業を中心とする重工業地帯だったが、今は重要な工業遺跡となっている。12号鉱区改造計画は、廃棄された工場を工業デザイン関係の会社に貸し出し、古い工場の機動的なポストモダン空間がデザイナーにインスピレーションをあたえ、多くの観光客が訪れる場となった。
オランダのロイヤル・デルフト陶器工房は1653年設立、現存する最古の手工業方式の陶磁器工房だ。ここも90年代に苦境に陥って観光化を進め、4世紀来のさまざまなスタイルのデルフト陶器を展示するとともに、プロの職人による製造工程を公開し、見学者も絵付けを体験できるようにしている。
宜蘭県雪山山麓のキンカンの故郷、「橘之郷」の砂糖漬けキンカンは自然の風味を重んじる。洗浄して針を刺し、砂糖に漬けて乾燥させるといった工程において、添加物や人工甘味料や色素は一切使用しておらず、見学した人はその安全性に納得する。
だが、台湾の観光工場は海外のそれとは歴史的な深みが異なり、見せ方も違ってくる。
「海外の観光工場の多くには百年単位の歴史があるので、与える質感が違います」と話す静宜大学観光学科教授の李君如は、台湾の工場は比較的「浅い」と指摘する。市場の変化に対応する力はあるが、文化的な基礎が浅く、「根」を感じさせないのである。
現在、経済部が提唱している観光工場の第一歩は「五つのできる」である。「写真に撮れ、目に見え、食べられ、遊べ、買える」というものだ。2009年の優良観光工場評価では「テーマの特色、空間、イメージ、施設、サービス」の五大項目からそれぞれの工場に点数がつけられた。
「テーマと文化が重点」と評価に加わった侯錦雄は言う。観光工場の最大のセールスポイントは、産業文化史と蓄積したノウハウ、そして独特の製造工程にあるべきだと言う。「より伝統的で、半手工芸的な工場ほど転換のチャンスがあります」と侯錦雄は言う。機械にはまねのできない達人の職人技こそ守る価値のある宝なのである。
評価の結果、大黒松小倆口の牛軋糖(ヌガー)博物館、義美の「生産・生態・生活パーク」、東和楽器の音楽体験館、郭元益の糕;餅博物館、白木屋のブランド文化館、台湾気球(風船)博物館、順天堂の漢方養生パーク、白蘭氏の健康博物館、造紙龍手創館が高く評価された。いずれも1950〜60年代生まれの人々の懐かしい記憶を呼びさます観光工場である。
2003年に観光工場の指導を開始した李君如はこの評価結果について、採点方式と評価委員の背景や好みのために、惜しくも選に漏れたものもあると言う。ただ喜ばしいことに、最近は多くの大企業が巨額の資金を投じて観光工場の列に加わるようになってきた。
もっぱら生産に取り組んできた工場の扉を開いて観光客を迎え入れるには、従業員の心構えや外観などの面でも調整が必要となる。
宜蘭県雪山山麓のキンカンの故郷、「橘之郷」の砂糖漬けキンカンは自然の風味を重んじる。洗浄して針を刺し、砂糖に漬けて乾燥させるといった工程において、添加物や人工甘味料や色素は一切使用しておらず、見学した人はその安全性に納得する。
蜜餞(果物の砂糖漬け)工場を見てみよう。蜜餞工場と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、足で果物を踏み潰し、果汁が四方に飛び散り、その後は屋外で日干しにするのでハエが群がる光景だろう。しかし「橘之郷」の工場を訪れれば、そのイメージは大きく覆される。
「キンカンの故郷」と呼ばれる宜蘭県雪山山麓にある「橘之郷」は創業21年、観光工場へと様変わりしてからは工場も美化され、時代遅れと感じさせるようなところもなく、甘酸っぱい香りさえ漂っていない。
見学者のために設けられた通路を行くと、キンカンの洗浄、選別、塩漬け、塩抜き、針刺し、砂糖漬け、乾燥、包装などの工程を見ることができ、これを見れば橘之郷の砂糖漬けキンカンが安心して食べられると実感できる。
橘之郷の二代目経営者である林鼎剛は、食品産業には大げさな理念などなく、消費者の立場に立って信頼を得るのみだと語る。従業員の心構えも唯一つ、「自分も安心して食べられるものを作る」というものだ。
工場の傍らに建てられた「橘之郷蜜餞イメージ館」は見学者と心を通わせる場で、販売エリアにはレトロな雰囲気が漂う。「金棗(キンカン)の実は落ち、蜜棗の香りは口に溢れる。君と別れる日は棗が黄色く熟す頃…、蜜棗の味とともに私を忘れないでと願う」と壁に貼られた詩を読んで、蜜餞は「餞別」の品だったということを知る。蜜餞の小袋が長旅の飢えや渇きをいやしてくれ、友人とともにいるように感じさせてくれるのである。
観光産業への参入は製造業にとっては経営モデルの転換であり、意識の革命でもある。背景の巻紙の壁と、従業員が手にする巻紙の人形は、造紙龍子創館の無限の創意を示している。
創設わずか12年の白木屋食品も、2008年7月に観光工場の列に加わり、2009年には工業局が選ぶ「優良観光工場賞」を受けた。「情景と感動と雰囲気を創造するのが白木屋の目標です」と董事長の簡菱臻は、白木屋の「感動マーケティング」路線を説明する。
「ブランド路線は後戻りできない道です。12年来、我が社は16億をブランド育成に投じてきました」と簡菱臻は言う。白木屋が観光工場に向いているかどうかを評価するため、5年前に簡菱臻はフランスの香水工場を訪ね、背後の文化の重要性に気付いた。「同じラベンダーでも、背後に古城があると全く違うものになるのです」
レトロ路線を歩む観光工場もある。「この工場では古いものに価値があります」と話すのは、1934年創設の義美食品・総経理の高志明だ。義美は大金を投じて観光工場を作ったのではなく、企業として初心を忘れないために長年にわたって工場の古い設備や机や椅子などを大切に保存してきたのである。今ではこれらが観光客に愛される文化遺産となっており、総経理自身、これらの「古いもの」を誇りにしている。
義美の観光工場は広く、歴史も長いため、生態パークや展示エリアを見て回るだけで5〜6時間はかかる。ただ、同社はホテルの宴会料理などの製造も請け負っているため、生産工程は開放されておらず、この点は他の観光工場とは異なる。
12年前にケーキ美学のブームを巻き起こした白木屋は、一昨年観光工場の列に加わり、美と感動を追求するブランド文化館の運営を開始した。
これらの観光工場はそれぞれ他にはないユニークさを打ち出している。南投県埔里の「広興紙寮」は最も良い例だ。
静宜大学教授の李君如によると、広興の旧工場は古くて狭く、エアコンさえないため、見学者は従業員と一緒に汗だくになりながら手漉き紙を作ることになるが、紙を漉く作業が非常に楽しいため、数年の間にのべ100万人が訪れた。
同じく埔里にある、40年の歴史を持つ「造紙龍手創館」は斬新な開発によって別の路線を歩んでいる。ギフトラッピングのような建物外観や、巻いた紙を重ねて作った通路、段ボールで作った装飾品や人形に、訪れた人は歓声を上げる。
1963年設立、台中県神岡郷の大倫気球は、台湾では唯一残る風船工場だ。観光工場化して「台湾気球博物館」を設立すると、まったく無名だったこの工場が一躍有名になった。「大倫がこんなに人気になったのは、指導機関(経済部から委託を受けた工業研究院)のおかげです」と、優良観光工場授賞式で創設者の游栄昌は語った。
工場の観光工場化は、サービス業への転換でもあるが、「活きた工場」として製造業の本質を離れることはできない。ただ、製造業とサービス業とでは思考も価値観も異なり、相矛盾するものである。それをどう融合させて、双方にプラスの方向に持っていくかは経営者にとって大きな挑戦となる。
例えば観光工場としては生産ラインの開放が必要となる。そのため観光客がやってくる休日に実際に生産しなければならず、従業員は休日出勤することとなる。高齢の作業員も「舞台」の一部となるので、身なりを整えて専門性をアピールする必要があり、以前のように愚痴を言いながら作業するといった習慣は改めなければならない。従業員にとっては大きな変化であり、当然反発もある。
経営者にとっても、製造業の経営思考と価値観を変えるのは非常に難しい。
長年にわたって観光工場を指導してきた李君如によると、経営者の世代間でも意見が衝突することがあるという。上の世代は経費節減に苦しんでいるのに、下の世代は大金を投じて外観を整備し、ガイドを育成しようとする。しかも、こうしたブランド戦略の経済効果はすぐには出ないため、世代間で衝突が絶えず、若い世代が追い出された事例もあるという。
また、観光工場として成功しながらも、面倒が多すぎるというので、再び製造業専門に戻った企業もある。
例えば、最初に指導を受けて観光工場化した花蓮の奇聖大理石工場は、政府の融資支援を受け、数百万を投じて外観を美化したところ、観光客が次々と訪れて注文するようになり、床材や装飾品なども以前よりずっと良い値で売れるようになった。しかし2年後の一昨年、注文が引きも切らなくなった頃、彼らは本来の製造業に戻り、観光客の受け入れをやめたのである。
12年前にケーキ美学のブームを巻き起こした白木屋は、一昨年観光工場の列に加わり、美と感動を追求するブランド文化館の運営を開始した。
「消費は今や『モノ』への欲望だけではなく、『体験』への不満足も意味する」とは、PC HOME出版グループ発行人の詹;宏志が『経験経済』の序文で示した新たな概念であり、観光工場の価値を言い切っている。工場という点から言えば「生産は今や『モノ』の産出だけでなく、『体験』を提供する価値をも意味する」となるだろう。
だが、どのような工場の生産工程に体験の価値があるのだろう。これは指導機関である経済部中部事務所も常に自らに問いかけてきた疑問である。
李君如は、虚弱な病人に手術はできないと喩える。経営体質や管理の悪い工場の観光化はリスクが高すぎるのである。しかし、大資本で体質も良い大企業では、中小企業支援という本来の目的を離れてしまう。
台湾における観光工場はまだ始まったばかりで、事例が少なく、質もこれからなのかも知れない。ただ、これらの伝統的な工場に身を置くと、タイムトンネルを抜けたかのように、台湾の製造業が経済の奇跡を起こした懐かしい日々を思い出す。消費者は、ここで見学して買い物をすることで企業とともに次のソフトパワーの奇跡を起こすことができる。これも、他では得られない一つの「参画」なのではないだろうか。
台中県神岡にある大倫気球は台湾に唯一残る風船工場だ。無名だった工場は観光工場化によって有名になり、今では親子連れに愛される人気観光スポットとなっている。
巧みなパッケージングを経て、冷たい工場が温もりのある観光スポットへと生まれ変わる。写真は台中神崗郷の気球博物館。
台中県神岡にある大倫気球は台湾に唯一残る風船工場だ。無名だった工場は観光工場化によって有名になり、今では親子連れに愛される人気観光スポットとなっている。
宜蘭県雪山山麓のキンカンの故郷、「橘之郷」の砂糖漬けキンカンは自然の風味を重んじる。洗浄して針を刺し、砂糖に漬けて乾燥させるといった工程において、添加物や人工甘味料や色素は一切使用しておらず、見学した人はその安全性に納得する。