国連のような台湾
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路には多数のコースがある。中でも最も有名で多くの人が歩くのは、フランス南部のサン・ジャン・ピエ・ド・ポルを起点としてピレネー山脈を越える800キロにおよぶ「フランスの道」だが、このほかに「北の道」「ポルトガルの道」「銀の道」「イギリスの道」などもある。
台湾各地のカトリック教会を踏破した姜楽義は、思いがけないことに台湾版のカミーノにも各国のルートがあることを発見した。その道を歩いた宣教師の出身国別に、「フランスの道」(パリ外国宣教会)、「スイスの道」(ベツレヘム・ミッション・ソサエティ)、「アメリカの道」(メリノール宣教会)、「イタリアの道」(カミロ修道会)、「ベルギーの道」(マリアのけがれなき御心の宣教会/淳心会)、「ドイツの道」(神言会)などである。さらに新竹には「イエズス会」、桃園には「フランシスコ会」の教会が多く、それぞれ地域に信仰が根付いている。
このように台湾には世界各地の宣教師が建てたカトリック教会が多数あるが、これについて姜楽義は、1949年に中国大陸で宗教の自由が制限されるようになってから、カトリックの多くの組織が台湾に活動の場を移したからだと説明する。例えば、アメリカのメリノール宣教会の神父は広東省から台中に移り、そこからさらに南投県の原住民族の集落へ入っていった。このルートは、若い頃に原住民集落で奉仕活動をしていた姜楽義にとっては馴染みがある。その話によると、埔里から霧社へ入り、武界や曲氷の集落へ行くと、住民から呉叔平(ピーター・ウー)神父の話を聞くことができ、またタイヤル族やブヌン族の文化を体験することもできるという。さらに日月潭の傍らには聖愛キャンプがあり、メリノール宣教会の道は現在最も完備した巡礼路と言える。
また、スイスのベツレヘム・ミッション・ソサエティは活動の場を中国東北から台東へ移し、錫質平(Jakob Hilber)神父がここに工業高校の「公東高工」を設立してドイツの職業教育制度を導入した。台湾東海岸のベツレヘム・ミッション・ソサエティの巡礼路には、都蘭天主堂、小馬天主堂、都歴天主堂、八桑安天主堂、長浜長光天主堂、旭橋天主堂、多良天主堂などがあり、いずれもJulius Felder修道士が設計したもので、数日をかけて巡礼する価値がある。
イタリアのカミロ修道会の神父は中国大陸の雲南省から台湾へ移って宜蘭や澎湖に根を下ろし、羅東聖母病院や澎湖の惠民病院を設立した。姜楽義は、澎湖の馬公天主堂を起点として、3日をかけて島をめぐり、宣教師たちが島民の健康のために力を尽くした事績を見てほしいと語る。
パリ外国宣教会は大陸の福建省から花蓮に布教の場を移し、現地のアミ族やブヌン族の文化にとけ込んでいった。この巡礼路を5~6日をかけて歩いてみれば、台湾東海岸の美しい景色を存分に楽しむこともできるだろう。
これら巡礼路の一つひとつをかつて宣教師が歩み、地域や住民に奉仕してきた。これほど多くの国の神父が、何の見返りも求めずに人生を捧げ、台湾に残した事績と友好は忘れてはならないものなのである。
「1626年、始まりの道」は台湾東北角の美しい海岸線に面し、三貂角灯台を通る。三貂角という地名はサンティアゴの台湾語の当て字で、台湾のカミーノと世界をつなぐスポットとなる。