細密で精巧な古地図の特別展
この展示は、基隆旧駅舎の一隅で開催されていて、普段なら先を急ぐ乗り換え客が見過ごしがちな場所にある。しかし、足元の巨大な台湾古地図には、思わず足を停めてしまい、さらに周囲の古い鳥瞰図に目が行くことだろう。「古地図自体に不思議な魅力があり、目にすると何となく惹きつけられてしまいます」と、この展覧会を企画した張振豊は言う。
基隆旧駅舎の会場に足を踏み入れると、台湾八景図が一枚一枚天井から垂れ下がり、壁面には20幅の古地図が並び、さらに足元の床に「台湾鳥瞰図」が敷かれていて、どの図もそれぞれに物語が込められている。
これらの鳥瞰古地図は、日本の画家である吉田初三郎、金子常光師弟の数人の手により、1933年から1935年にかけて描かれたものである。1930年代初頭に、彼らは日本の総督府の「始政40周年記念台湾博覧会」開催に合せて台湾に招かれて、「台湾鳥瞰図」「基隆市大観」「台北州大観」「淡水郡要覧」「台中市要覧」「新高山岳と日月潭」「恒春要覧」「花蓮港庁大観」と「観光の花蓮港」など数十幅の地図作成を担当したのである。これにより、台湾の地形と地勢、風景などが描かれることになった。
吉田師弟は西洋の遠近法と日本の浮世絵技法を融合した画法を用いて、色彩豊かな鳥瞰図を描き出した。「地図とはいっても、これらは現代の地図とは異なります。鳥瞰とは今でいう空撮に当り、鳥が空から見下ろすという設定から来た名称です。その視点は想像上の設定の視点で、距離を測量して地形を等比で表現する製図法とは異なっています」と、張振豊は説明する。この鳥瞰図は、言ってみれば当時の日本が世界に向けて台湾の植民地経営の成果を示すものであった。そこで作成時には目的のために特にテーマを設定し、地名や山河、物産、航路、観光スポット、交通手段に遺跡や歴史的事件などを詳細に記載し、社会文化や経済状況を詳述する。
床に設置された「台湾鳥瞰図」を見ると、金子常光は台湾を海上に横向きに置き、台湾西海岸上空に視点を定めて全島を俯瞰したことが分かる。左から右に向けて、大屯山、挿天山、大覇尖山、桃山、新高山、大石公山、卑南主山、月光山などの大小の山々が連なり、淡水河、大肚渓、濁水渓、花蓮渓などの川が描かれ、山の間には蘭陽平原、花東縦谷と西部平原が見える。地図上には一つ一つの丸で囲んで、その土地の特産である魚、茶、ヒノキ、米、麻、塩、サトウキビ、アラゴナイト、サンゴなどの物産が示されている。また、温泉や冷泉というと、北投、金山、員山、蘇澳、彰化、関子嶺、東埔、瑞穂、知本そして四重渓まで漏れなく記されている。山地と平野をうねうねと廻る赤い線は、官営鉄道の路線である。さらに台湾の近海に散らばるのは、亀山島、火焼島、紅頭嶼(現在の蘭嶼)、小紅頭嶼(現在の小蘭嶼)、澎湖、望安などの島々で、それぞれ詳細に描き込まれ、太平洋から台湾海峡にはそれらを繋ぐ航路と海里が注記されている。地図の最上部は日本本土であり、最下部は中国の海岸となっていて、地図全体に多くの情報が込められ、長い歴史を訴えかけてくる。
全身でその場にいるような雰囲気を感じ取れるように、張振豊は床の鳥瞰図と地域別の鳥瞰図、台湾八景が対応するような展示を設計した。展示を見るに当っては、床の巨大な古地図に立ち、島の右あるいは左端のどこから始めても、歩き進みながら立体的に古い鳥瞰図を鑑賞できる。例えば東北の富貴角から歩き出すと、壁面に展示されている「基隆市大観」が対応し、天井からは「基隆旭丘」の風景が下がっている。台北に行くと側壁の図は「淡水郡要覧」と「台北州大観」になり、かつての「淡水」の風景が上から下がっている。こうして島を一周すれば、各地の名勝や風物がすべて目に入ってきて、一歩ごとに足取りを緩めて、じっくりと観賞し、記憶に留めるだけの価値がある。
会場にはご老人が何人か、「淡水郡要覧」の前に足を停め、指さしながら「小さい頃はここを歩いたな。西瓜が植えてあって」「そうそう、見ましたよ。覚えていますよ」などと、一瞬にして幼い頃に戻ったかのように、記憶を確かめ合い、指さし合いながら、在りし日の光景を尋ね合う。傍らの張振豊は「これら古地図の豊かな芸術性により、かつての先人の物語を呼び覚まし、昔の生活を確かめることができるのです」と思わず感慨を漏らした。
文化歴史研究家の張振豊(左下)は基隆の旧駅舎を利用して「時を超える都市の旅——台湾八景と古地図特別展」を企画した。(台湾古地図史料文物協会提供)