工事を進行しながらのサービス
第一ターミナルの改装は2009年に着工、4年間で30億元の経費をかけて建物を生まれ変わらせた。だが、工事を進めながら1日3万人の利用客をさばくのがいかに困難なことか、業界関係者なら誰でも知っている。
かつて「アジアで遅れた空港」とメディアに叩かれた同ターミナルが、いかにして再生を果たしたのか、話は34年前にさかのぼる。
1979年に運営を開始した第一ターミナルは、かつてはアジアで最も進んだ国際空港であり、シンガポールのチャンギ空港やバンコックのスワンナプーム空港に倣ってH字型に設計された。
だが30年を経て、外観や設備、構造などすべてで老朽化が進み、2000年に第二ターミナルがオープンすると大きな落差が感じられるようになった。
桃園空港公司の林鵬良・総経理はこう言う。台湾では空港は単なる交通施設と見なされ、設備のメンテナンスはもとより、利用客へのサービス精神やレジャー・ビジネス設備が不足しており、アジア近隣の空港と比べても見劣りのするものだった。
日本の成田空港は1978年、シンガポールのチャンギ空港は1981年に開港し、いずれも30年を超えている。「成田もチャンギも莫大な経費と労力をかけてサービスの向上や設備改善に努めてきたのに、桃園空港は刷新もなく停滞したままでした」と林総経理は言う。
「時代遅れの空港」の汚名を着せられた第一ターミナルにも2004年に転機が訪れる。まず政府交通部観光局によって国際コンペの形で建築家が募集された。その結果、後に日月潭ビジターセンターのコンペでも「2011台湾建築賞」に輝いた日本の建築家、團紀彦が選ばれる。そして2007年には「桃園国際空港第一ターミナル改善工事プロジェクト」が民航局によって開始、2009年に着工となった。
昇恒昌が設計したテーマラウンジ。台湾の屋台料理や映像、台湾の郵政などをテーマとしており、さらに人気のハローキティの国際時計や電話ボックスもある。