石油の上に座る遊牧民族
2015年、世界中を震撼させる報道があった。シリア国籍のクルド人の男の子が、たった一人で砂浜に打ち上げられていたというニュースだ。この報道で世界中の目がクルド人に向けられることとなったが、それと同時にマイナスの先入観も持たれるようになった。
台湾に来て長年になるオスマンさんは、すでに慣れていると言うが、台湾人からいつも、戦乱と貧困からよく抜け出してきたと言われるそうだ。だが、彼が暮らしていた故郷は、実は「イラクのパリ」と呼ばれるほど美しい町で、砂漠がないばかりか、四季折々の花が咲き、冬には雪も降る土地なのである。
「スピードが求められる簡略化された報道では、クルド人とこれらの国々の利害関係をきちんと説明することはできません。そのため、多くの人がクルド人に対してイラン、イラクやトルコなどから迫害されているという大雑把なイメージを抱くことになり、さらにはトラブルメーカーであるといった誤った認識も生まれてしまい、実に残念なことです」とオスマンさんは言う。
実際、クルド人はティグリス・ユーフラテス川流域に暮らす世界でも最も古い遊牧民族で、3000年という長い歴史を持ち、人口は3000万人、独自の言語と文化を持つ中東第四の民族なのである。しかし世界的には「石油の上に座る遊牧民族」と呼ばれ、その豊かな天然資源のために翻弄されることとなる。第一次世界大戦以降、複雑な国際情勢のためにクルド人は独立建国を成し遂げられず、現在も、トルコ、シリア、イラン、イラクなどの国々に分散して暮らさざるを得ず、「国を持たない世界最大の民族」となっている。
オスマンさんが幼い頃は、実際に戦火が絶えない時期もあった。通学の途中でもサイレンが鳴れば防空壕に逃げ込み、フセイン政権下では亡命する人が後を絶たなかった。9歳の時には慌てて非難する途中で家族4人が命を落とし、長男が亡くなったため、母親は以来ずっと黒い服しか着ていないという。
湾岸戦争後の1991年、アメリカの支援もあってイラク国内にクルド自治区(クルディスタン地域)が設けられ、クルド人は合法的に選挙で自分たちの大統領を選び、軍隊や予算を持てるようになった。こうして経済は飛躍的に成長し、地域の姿も様変わりした。
2009年、彼はついにビザを取得し、見ず知らずの土地である台湾にやってきた。「外国人配偶者」として最初に必要なのは中国語を学ぶことだった。その後、妻の紹介で中興大学国際政治研究所(大学院)の教授、現在は駐インド公使を務める陳牧民氏と出会った。ちょうどISISと戦うクルド人が世界的に注目されていたため、陳教授は彼を講演に招き、大学院入学を勧めた。
長年台湾に暮らしてきたオスマンさんは、中国語も流暢になり、クルディスタンの政治的発展に関する学位論文も中国語で完成させた。
世界的にクルド人に関する研究は少なくないのだが、華文の文献は非常に少ない。そこで指導教授である陳牧民氏は、クルド人に関する彼の貴重な研究を学界だけにとどめておくのは惜しいと考え、陳教授の夫人である陳鳳瑜氏との共著で、論文を軸に一冊の本にまとめることを勧めた。国境を越えた愛の物語も交えたものとなり、初の華文によるクルド人をテーマにした一般向け歴史書『庫徳的勇気(クルドの勇気)』を出版することとなったのである。
同書には、クルド人と近隣諸国との長年にわたる複雑な歴史がつづられている。また、クルド人の視点から、イラン・イラク戦争や湾岸戦争、フセイン政権によるジェノサイド、アメリカによる経済制裁などを振り返り、近年のクルド人の民族独立運動の挫折や反省にも触れている。
戦乱を経てきたクルディスタンも今は経済成長を遂げ、平和な日々を取り戻した。