試合のプロセスを楽しむ
以前は勝敗に強いこだわりを持っていた黄筱雯だが、劉宗泰の指導によってボクシング自体を楽しめるようになった。
かつて、オリンピックで銀メダルを取った選手と対戦する日の前夜、劉宗泰は彼女にこんなメッセージを送った。「冷静な選手になれ。自分を信じ、自分を肯定するんだ」と。「いつもは恐いコーチですが、優しいところもあります」と黄筱雯は言う。その試合には敗れたが、「試合のプロセスを楽しむことができました。すごい相手なのに、対等に戦うことができ、自分の最高のレベルを発揮できました。第3ラウンドでは2人の審判が10ポイントをつけてくれたのです」
今回の東京五輪でカギを握ったのは、トルコのブセ ナズ・カキログル選手との対戦だった。カキログル選手は東京五輪フライ級の第一シードで、ヨーロッパ選手権の優勝者でもある。「以前のカキログル選手の試合を見た時、自分も戦ってみたい、自分なら『いける』のではないかと感じていました。彼女の発するオーラはすごいものがありました。その雰囲気は自分も学びたいと思います」と言う。「結果よりプロセスの方が重要だ。失敗は、自分に何かが欠けていたことを意味するのだから、そこを改善して深めていけばいい」というコーチの言葉を胸に刻んでいた。
コーチは第二の父
東京五輪でメダルを獲得して間もなく、父の日に黄筱雯はフェイスブックに、第二の父である劉宗泰コーチへの感謝の言葉を記した。
「劉コーチがいなければ、私はボクシングをやめたいとばかり思っていたかもしれません」
高校1年になった年、黄筱雯は試合で1ポイント差で敗れたことがある。中学時代はほとんど無敵とも言えた彼女にとっては大きなショックだった。その後の1年近く、練習場からもリングからも逃げていた彼女を連れ戻したのは劉宗泰コーチだった。そして2013年、彼女は台湾代表選手に選ばれ、人生の階段を一段上ったのである。
劉宗泰コーチは、常に彼女の状態を気遣ってくれる。ジャカルタで開かれた2018年アジア競技大会では右足裏の骨に亀裂が入ってしまい、痛みをこらえてベスト4に進んだが、劉宗泰は彼女の状態を考えて決勝をあきらめさせた。「コーチは、私はまだ若いので次があると考えたのです。本気で私の選手生命を考えてくれます。あの時に無理をしていたら、東京五輪に出ることができたかどうかわかりません」と黄筱雯は語る。骨折後は半年間休息し、その後のリハビリにも劉コーチは付き添ってくれた。それから時間をかけてゼロから再スタートし、失ったものを少しずつ取り戻していった。一年後、傷は回復し、黄筱雯は2019年にロシアで開催された世界女子ボクシング選手権大会で金メダルに輝いたのである。
一人でリングに立った時、会場で歓声が飛び交う中から、黄筱雯はコーチの重要な指示の声を聞き取り、すぐにそれを実行する。これは子弟間の暗黙の了解と言え、どの試合も選手とコーチが二人三脚で戦っているのである。
目指すは2024
今回の東京五輪の準備に当たって、黄筱雯と劉宗泰は口をそろえて政府教育部体育署のゴールドプランの助けが非常に大きかったと語る。第一に、ボクシングはけがの多い競技だが、専属のトレーナーが常にサポートしてくれたことが挙げられる。第二に、スパーリングパートナーのサポートが得られたことだ。実は黄筱雯のような身長と強さを持つ選手のスパーリングパートナーを探すのは容易ではなく、劉宗泰は国内の男子選手の中から探さなければならない。しかも、対戦相手の情報を見ると、黄筱雯が出場するフライ級ではサウスポーが多い。こうした中、体育署のゴールドプランが、さまざまな相手と練習して経験を積む機会を提供してくれたのである。
劉宗泰は、かつて自分が選手だった頃のことを語る。当時の練習は手探りのような状態で、自分たちで練習方法を考えるしかなかった。基礎訓練が多く、技巧面の練習は不足していた。「トレーニングの種類は少なく、けがをしやすく、選手はしだいに力を失っていったものです」と言う。こうした従来の練習方法が重要でないわけではないが、現在の世界のリングでメダルを取るには、基礎訓練は3割で、7割は現代的なテクニックをもって実践しなければならない。こうした中で、今回は国家運動訓練センターのスポーツ科学小組が専門的な分析をしてくれたことが大きな力になった。例えば、対戦相手が1ラウンドの間にボディブローを何回打ち、積極的な攻撃に何回出るか、さらにはパンチの方向や習慣なども分析してくれる。これによって選手とコーチは闇雲に練習するのではなく、ビッグデータから戦術をシミュレーションでき、さまざまなスタイルの選手に対応する自信を高められたのである。
東京五輪から帰国してしばらく休息を取った後、黄筱雯は10月に開かれる全国運動会に向けて練習を再開した。さらに2022年のアジア競技大会、そして2024年のパリ五輪を目指す。
「お前にはできた。まだまだいける」という劉宗泰の言葉は、皆からの応援そのものであろう。