ベトナム人女性の灯台
文化の差はよく誤解のもとになる。皆にベトナム文化を理解してもらいたいと願う曽さんは「使命感があるので不満も悔いもありません」と言う。それに近年、新住民の生活が大幅に改善されたことも、彼女にとって大きな喜びだ。
2006年、曽さんは賽珍珠基金会の養成講座を受け、通訳の資格を取得した。それに伴い、台湾高等法院や各地方法院で司法通訳をするようになり、台北新移民会館でも相談窓口で働き、ベトナム人移住者たちの相談事に接している。
「多くのことは表面からだけではわかりません。ベトナム人妻が逃げてしまったと責めるだけでは、彼女たちのつらさも見えません」かつて違法仲介業者がはびこっていた時代、ベトナム人妻も、その夫と家族も、みな被害者だった。新郎側が渡した結納金のほとんどが仲介業者の懐に入ってしまうこともあった。
若い女性がたった一人で台湾に来て頼る人もなく、もし夫やその家族が彼女を守ってくれなかったら、本人にはなすすべがない。逃げ出すというのは仕方ない選択だったのかもしれない。実家のほうでは誰もが「台湾はベトナムより発展している。台湾に嫁ぐのは楽園に行くようなものだ」と考えているため、夫から暴力を受けても親を心配させまいと、じっと耐えるしかないのだ。
「法律のことがわからないので、多くの不利益をこうむります」台湾に嫁いで3年たてば台湾国籍が取得できることになっているが、多くの女性は10年たっても取得できていない。いつベトナムに送り返されて子供のそばにいられなくなるかと恐れるあまり、がまんして、苛まれるままになってしまう。騙されて台湾に連れてこられ、売春させられる若い女性もいる。同胞が蹂躙される姿に、曽さんの心は痛む。
知識は力だ。稲江大学法律学科を卒業したばかりの曽さんは、将来は、弱い立場にいるベトナム人女性が虐げられたり迫害を受けないよう、助けになれればと考えている。
「私はチャウドック市で生まれました。B級グルメで有名な町です」仁愛病院でボランティアを始めた頃から、曽さんはお国料理を作っては皆にふるまっており、とても評判がよかった。そこから、彼女の教師としての道もスタートした。