一人出版の第三の波
中小企業が台湾経済発展の象徴であったように、文化人が困難の中、創業し理想を実践してきた小規模出版も台湾の伝統である。その発展過程を見ると一人出版には三つの波があった。
第一の波は1960年代、多くの作家が出版社を立ち上げ、新鋭作家の発掘や海外名作の紹介に努めた。例えば、林海音による純文学出版社や隠地による爾雅出版社が、自宅の応接間を事務所や文人サロンとし、文学の土壌作りを行なった。
こうした地道な努力により、台湾の出版業は次第に成熟、多くの大型出版グループに発展した。が、30年を経て産業化やグループ化が整った2000年ごろ、第二の波が起こる。
おりしも外注の盛んな時代で、本を選ぶ目と人脈、マーケティングの理解があれば、一人でも大手に負けないベストセラーを出す可能性が生まれた。
雅言文化出版の顔擇雅は、『フラット化する世界』『これから「正義」の話をしよう』など、欧米のベストセラーを出版して成功、また自転星球文創の黄俊隆は、彎彎や宅女小紅といった人気ブロガーの本を出して何万部と売り上げ、文房具やDVDなどの関連商品も売った。
この二人の成功で、こうした商業モデルがマイナーな出版品にも使えるのではと若い世代が考え始めた。わずかな資本で自分の好きな本だけを出し、しかも一定の読者を集められるのではと。
こうして一人出版の第三の波が起こる。2010年ごろには、逗点文創結社、一人出版社、桜桃園文化など10数社が出現し、出版界の隙間をねらった新たな構想を展開させていった。
まずコンテンツが新しかった。欧米のベストセラーや人気ブロガーには見向きもせず、台湾の新鋭作家や、欧米のマイナー文学、そして「すでに死んだ」と言われていた現代詩などを扱った。
次に、経営方式も新しい。一人出版であることを堂々と表明し、「大企業のブランド力」というこだわりを捨てた。気の合う作家や翻訳者、フリーランサーとともに、従来の労資関係ではなく、刺激し合える仲間としてチームを組んだ。他の出版社と垣根を取り払い、シリーズ姉妹作を出版したりもした。
三つ目は生活スタイルが新しい。出版業自体が自由な生活スタイルであり、台湾の若者が求める「小宇宙、熱い人生」を実践することで、独特さを大切にする読者を取り込んでいった。
この3年、台湾の一人出版社は台北ブックフェアで「読字去旅行」というコーナーを設け、それぞれの出版理念を伝えている。