この2年の間に台湾の出版業界で起こった小さな動きが、次第に大変革になろうとしている。
それは一人出版社の出現だ。創業者はわずかな資本と斬新なビジネススタイルで、マイナーだとされてきた分野を扱う。まるでパズルの小さなピースを置くように読書文化の小さな隙間を埋め、大衆に左右される市場の現状を打破した。
彼らは作品を選ぶ目があるだけでなく、特定市場の存在を敏感に感じ取る嗅覚がある。一人で企画から編集、マーケティングをこなし、デジタル世代の好みや習性を熟知して次々と好成績を上げている。
2010年以来、一人出版は今や10数社を数え、3年を経た今年はさらなる収穫が見込まれている。
毎年1月、台湾の大型書店は「年度良書」を発表する。台北の誠品書店で今年最も目立つ所に置かれていたのが『飛踢、醜哭、白鼻毛:第一次開出版社就大売 騙你的(飛び蹴り、大泣き、白鼻毛、初の出版社経営で大成功、とは嘘)』という本だ。
著者は「逗点文創結社」編集長の陳夏民、同書は創業2年余りの苦労を語った。ユーモラスなタイトルや、著者の写真を堂々と表紙に載せたデザインから、陳夏民の熱意や親しみやすさが伺える。
若い出版者が遭遇する奇妙な体験を自嘲気味に描いたことで、誠品書店スタッフの高い共感を呼び、2012年に最も売りたい本に選ばれ、「読書職人大賞」も受賞した。授賞式後、陳夏民はフェイスブックにこう書いた。「涙で目はかすみ、胸はドキドキ、言いたいことも忘れちゃったよ」多くのコメントが寄せられ、「台湾インディーズ出版社の大勝利」と宣言する人もいた。
今回の出来事は台湾出版界の新たなトレンド、第三の一人出版社ブームを意味する。業界は大型グループ化と小規模個人化という両極へ歩み始めた。

一人出版社を経営する劉霽は、街角に座って本を読みながら本を売り、人々が慌ただしく行き交う空間に読書の空気を持ち込む。
中小企業が台湾経済発展の象徴であったように、文化人が困難の中、創業し理想を実践してきた小規模出版も台湾の伝統である。その発展過程を見ると一人出版には三つの波があった。
第一の波は1960年代、多くの作家が出版社を立ち上げ、新鋭作家の発掘や海外名作の紹介に努めた。例えば、林海音による純文学出版社や隠地による爾雅出版社が、自宅の応接間を事務所や文人サロンとし、文学の土壌作りを行なった。
こうした地道な努力により、台湾の出版業は次第に成熟、多くの大型出版グループに発展した。が、30年を経て産業化やグループ化が整った2000年ごろ、第二の波が起こる。
おりしも外注の盛んな時代で、本を選ぶ目と人脈、マーケティングの理解があれば、一人でも大手に負けないベストセラーを出す可能性が生まれた。
雅言文化出版の顔擇雅は、『フラット化する世界』『これから「正義」の話をしよう』など、欧米のベストセラーを出版して成功、また自転星球文創の黄俊隆は、彎彎や宅女小紅といった人気ブロガーの本を出して何万部と売り上げ、文房具やDVDなどの関連商品も売った。
この二人の成功で、こうした商業モデルがマイナーな出版品にも使えるのではと若い世代が考え始めた。わずかな資本で自分の好きな本だけを出し、しかも一定の読者を集められるのではと。
こうして一人出版の第三の波が起こる。2010年ごろには、逗点文創結社、一人出版社、桜桃園文化など10数社が出現し、出版界の隙間をねらった新たな構想を展開させていった。
まずコンテンツが新しかった。欧米のベストセラーや人気ブロガーには見向きもせず、台湾の新鋭作家や、欧米のマイナー文学、そして「すでに死んだ」と言われていた現代詩などを扱った。
次に、経営方式も新しい。一人出版であることを堂々と表明し、「大企業のブランド力」というこだわりを捨てた。気の合う作家や翻訳者、フリーランサーとともに、従来の労資関係ではなく、刺激し合える仲間としてチームを組んだ。他の出版社と垣根を取り払い、シリーズ姉妹作を出版したりもした。
三つ目は生活スタイルが新しい。出版業自体が自由な生活スタイルであり、台湾の若者が求める「小宇宙、熱い人生」を実践することで、独特さを大切にする読者を取り込んでいった。

この3年、台湾の一人出版社は台北ブックフェアで「読字去旅行」というコーナーを設け、それぞれの出版理念を伝えている。
2010年設立の逗点文創はすでに30冊以上を出版、若者の間で再び詩をブームにした。会社を桃園市に置いたのは責任者の陳夏民の実家がそこにあったからで、当初は両親と同居して支出を節約した。
1980年生まれの陳夏民は東華大学の創作及び英語文学の大学院を卒業し、書林出版社で編集業務に2年携わった。書林出版は教科書出版が主で、陳夏民は実験的な文学書の企画を幾度か提出したが採用されず、30歳を迎えたことで辞職を決めた。
初めから逗点文創は一般市場とは道を分かち、最もマイナーな領域を選んだ。最初の企画は名づけて「詩、三連発」、若い無名詩人3人による『聖謐林』『玩具刀』『遷徙家屋』を出版した。
この企画を説明した時に取次ぎ業者があきれて、かわいそうにという表情を浮かべたことを陳夏民は覚えている。「現代詩は死んだと言われていましたが、熱心な創作が続いていることは明らかでした」それで陳は思考を逆に展開させた。芸術的成果を問題にするのでなく、読者の側に立ち、読者のニーズを出版の基準としたのである。「一定のレベルを満たし、好きだという人がいれば出版可能だ」と。
彼は資金を40万元用意した。1冊に10数万元かかるなら3冊の詩集が出せる。そして1カ月1冊出版の速いペースと、印刷部数を最小限に抑えることで、在庫減少と迅速な資金回収を確保した。こうして上の3冊は印刷部数800部以下で、500部以上を売り、次の出版資金を回収できた。
詩集は逗点文創の知名度を上げ、文学青年や詩人の愛読書となり、1冊ごとに売上げを伸ばした。陳は直ちに、さらに規模の大きな企画「詩、読書の盛世」を打ち出し、年に8冊を出版した。そのうち、伊格言『你是穿入我瞳孔的光(君は僕の瞳孔を貫く光)』と林達陽『誤点的紙飛行機(ディレイした紙飛行機)』は2000部余りを売り、「現代詩は死んだ」という考えを打ち破った。
陳夏民は道をもう1本切り開いた。著作権切れして印税を払わなくてもいい作品、太宰治『お伽草子』やヘミングウェイ『清潔で、とても明るいところ ヘミングウェイ短編傑作選』などを出版し、いずれも3000部を超える成績を出した。次に挑戦するのは語学学習書市場だと彼は言う。
社名を「逗点文創結社」としたのは、「逗点(読点の意)の後には無限の可能性があり、読書にはピリオドはない」との意味を込めたから、そして作品選択から編集、デザイン、出版と、いずれの過程も結社がパーティを開くようにしたかったからだ。

劉霽はアタッシュケースひとつで本を売り、読書の理想をも伝える。
週末になると、台北の映画館「台北光点」の前で一人の青年がくつろいだ様子で本を読んでいる。かたわらに置かれたアタッシュケースの中には自分が出版した本が並び、開かれた蓋の内側には「一人で読書、一人出版社」と書いてある。
慌しく行き交う人々の中で、その静けさがかえって目立ち、足を止めて覗き込む人も多い。彼こそ、一人出版社の責任者、劉霽だ。こうして道端で「読書は暮らしの中に」の理想を実践している。
1978年生まれの劉霽は清華大学中文学科卒業、イギリスのエセックス大学文学・映画修士の学位を持つ。2005年に帰国し、翻訳の仕事をしながら大学時代の友人とビジネス関連書を主に扱う久石出版社を設立した。4年後、ある程度の蓄えができ、「一人出版社」を立ち上げた。自分の好みの文学書を年に2~3冊のペースですでに9冊出版している。
「計画性がなく、行き当たりばったりの性格なので出版社をやる目的も単純です。読書、翻訳、著作、出版を、穏やかで自由な生活そのものにしたかったのです」と言う劉霽の経営スタイルは、なるほど独特だ。
まず、作品を選ぶ権限を翻訳者に与えた。面白いと思った作品があれば、誰でも企画を提出できる。海外著作権の商談は劉が手伝い、双方で出資して印税は半分ずつ得る。新刊出版のたびに異なるパートナーと新たな会社を持つようなものだ。だが翻訳者も出版社も作品に大きな熱意を持ち、マーケティングも二人の共同責任となる。
中でも成功したのは『咿咿咿(Eeeee Eee Eeee)』だ。作者の林韜は台湾系アメリカ人、ニューヨーク文壇では名が知られ、「iPhone時代のカフカ」と呼ばれる。この半自伝的小説を2010年に翻訳家の沈意卿が偶然見つけて驚嘆し、劉霽に出版協力を求めてきた。
沈意卿は積極的に出版に取り組み、デザインを担当したほか、フェイスブックで「Eeeee Eee Eeee中文版」を立ち上げ、作品への思いや写真を毎日アップしている。「いいね」数は2600人を超え、売上げ部数もその数に近づいている。
「訳者は存分に楽しんで知名度と収入も得、出版社にとっても大成功でした」と劉霽は言う。
一人出版社の経営者にとっては都市全体がオフィスである。座るところさえあればパートナーとブレーンストーミングが始まる。
翻訳文学を主に扱う桜桃園文化は台北の古亭駅近くにある。オフィスにはモスクワ市の古い地図が貼ってある。編集長の丘光のロシア留学記念品だ。
1969年生まれの丘光は、台湾では数少ないロシア語翻訳者だ。経歴のせいか、ほかの一人出版社とは創業形態がやや異なる。彼はモスクワ大学で言語学の修士号を取得した後、遠流、圓神、時報といった大型出版社で旅行や文学のジャンルの編集長を務め、村上春樹の『1Q84』、ガイドブックの『DK Eyewitness Travel Guide』などを編集し、出版界では名が知られていた。
丘光が一人出版を始めたのは、ロシア文学を改めて翻訳・紹介したいと思ったからだ。2010年はちょうどチェーホフ生誕150年だった。彼はこの機を逃すまいと会社を辞め、チェーホフの『犬を連れた奥さん』を自ら翻訳し、出版したのである。
好機に恵まれたことと、カバーデザインのモダンさ、そして作家の黄春明による朗読会を催したことで、同書は5000部を売り、名作文学新訳で新記録を生む。「台湾の現代ロシア文学は1970年代までに翻訳されたものがほとんどで、1980年代以降になると出版社はコストが安いので大陸の翻訳を使っていました。年代や文化の違うこれらの翻訳は読者にとって馴染みにくいものでした」と丘光は言う。現代台湾の語彙に合った翻訳が必要だと、丘は新訳書のすべてに「新選新訳」とサブタイトルをつけた。
ロシア語翻訳の人材が少ないため、完成に時間がかかる。当初は1年に1~2冊しか出版できなかったが、今年は完成品が相次いで、4冊刊行できた。
丘光は、作品にはそれぞれ生命力と影響力があるので、1冊出版するごとに確実に利益が得られるべきだと考える。『初恋:ツルゲーネフ恋愛文学新訳』『現代の英雄:レールモントフ名作新訳』など、いずれもそれを実現してきた。また、妻の熊宗慧が台湾大学外国文学科ロシア語の助理教授なので、序文の執筆を頼み、出版物の品質保証ができた。

一人出版社は斬新さを重視し、視覚効果にも力を注ぐ。その出版物はしばしば台北国際ブックフェアで金賞を受賞している。
ベテラン出版者の蘇拾平は、大雁出版基地を設立する以前の2002年に「超小規模で超パワフルな出版社が、台湾にとって影響大のトレンドとなるだろう」と指摘していた。この予言が10年を待たずに現実となる。
これらのインディーズ出版社は、3年連続で台北国際ブックフェアに共同ブースを設けた。ブースには「読字車站」「読字機場」(「車站」「機場」はそれぞれ駅、空港の意)と大きく掲げられ、各社が異なりながらも影響し合う出版理念を表す。
彼らと協力してきたアートデザイナーの小子によれば、一人出版社は創意を重んじ、デザイナーや作家に大きな裁量を与える。仕事は楽しく、しかも自己検証の機会となるという。「限られたコスト内での製作が楽しいだけでなく、消費者も買った瞬間にドキドキし、本棚に置いて頻繁に手に取るような本でなければなりません」出版側がまず気にかけるのは読者でなくてはいけないと、小子は言う。
陳夏民や劉霽は豊かな社会に育った世代であり、経済的安心感の下で幼い頃から自分の人生を選べた。夢追いを励ます社会ムードの中で、彼らは台湾ビジネスに新たな思考や実践をもたらしている。

ロシア古典文学の新訳出版という夢を実現するために、ベテラン編集者の丘光は自ら「桜桃園文化」を創設した。

30歳の時に一人で「逗点文創結社」を創設した陳夏民は、台湾の現代詩ブームに火を付けた。(右)2012年末、その起業過程の熱血ぶりを書いた本が読者の共感を呼び、誠品書店の「閲読職人大賞」に輝いた。
ドストエフスキーの『地下室の手記』は「桜桃園文化」が今年出版した古典の新訳だ。