まず土地を救うのか
1994年、RCA汚染事件が明るみに出て、環境汚染、労災、地域住民の健康、政府の失政、多国籍企業への訴訟など、多くの面から問題となり、社会運動団体や世論の注目を集めた。
最初の数年は、RCAが垂れ流した有毒溶剤が環境にどれほどの汚染をもたらしたか、それに作業環境が従業員の健康を害する職業病を引き起こしたのかにフォーカスが当てられた。
しかし、当時の台湾の環境保護規定の罰則は極めて軽かった。しかも二度にわたる買収により新たにRCAを所有することになったアメリカのGEとフランスのトムソンは、台湾に法令規定がないのであれば、この問題への対策の必要はないという態度であった。環境保護署としてはやむなく、適切に処理されないのであれば国際的な記者会見を開催し、不法行為を訴えると言うしかなかった。そうなると、両社の製品イメージや市場にマイナスとなる。
1996年、両社は汚染処理対策を開始したのだが、1年半後になって、たとえ2億台湾元を費やしたとしても、地下水の汚染に改善が見られないことを発見した。工場近隣地域の地下水のトリクロロエチレン濃度は、環境保護署が定めた飲用水の基準の1000倍だったのである。ということは、短期的に汚染前の状況に戻すのは不可能ということであった。自然の回復力を待つのであれば、2025年にならないと地下水の水質は基準内に戻らない。
1998年5月、RCA自助会が設立された。RCAに勤務した従業員は数万人に達するが、多くは県外と桃園県の眷村の女性で、工場閉鎖から何年もたっているため従業員はあちこちに四散し、眷村は再開発されていた。自助会の幹部は八方手を尽くしてようやく800人余りの従業員と連絡を取り、加入してもらった。
1998年10月、監察院は修正案を提出した。これによると1975年から1991年の間、労働委員会はRCA向けに8回の労働検査を行い、有機溶剤中毒予防規定、労働者健康管理規則と労働者安全衛生規則に対する違反を発見していたが、公文書で工場に改善を要求したものの罰則はなく、追跡して監視もしておらず、労働者保護の責任を果していなかったというものである。
また、労働委員会、衛生署、環境保護署は縦割り行政で、積極的に化学物質の影響や、罹患した従業員への医療救済、法律的な保障への協力など、対応と補償制度を確立しておらず、確かに失政と言ってよかった。
汚染と疾病の関係
RCAは土地汚染を認め、対応策を採り始めたため、自助会でも労働委員会の職業病研究報告が出れば、医療救済と賠償を受けられると期待がかけられた。
一年半後、第一期研究は新光紡織、遠東紡織、フィリップスなどの会社の従業員と比較して、RCAの女性従業員の乳ガン、子宮頸ガン罹患率が高い(調査した703人の女性のうち48人)ことが分り、汚染と乳ガンとの相関性を調べるために第二期研究が開始された。
ところが第二期研究の結果は、RCAの女性従業員の乳ガン罹患は個人的な出産などと関係がありそうだが、作業環境とは関係しないというもので、従業員を失望させた。
労働委員会では従業員のガン発病と病気の因果関係を判断できなかったが、環境保護署の研究はまた別の結論を導き出した。
台湾大学公衆衛生学部の王栄徳教授によると、RCA工場跡地は対策が施されたが、地下水には発ガン性のクロロアルカンが含まれており、現地住民の発ガンリスクは0.3%(一般の受容値は1万分の1から100万分の1)であり、発ガン以外のリスクも16.9(一般の受容値は1未満)であった。RCA工場の汚染は、従業員と住民の生命と健康に重大な脅威となっていたのである。
しかし、疾病と汚染源の因果関係の証明は、実は大変な作業となる。
1950年代に九州で発生した水俣病は、30年にわたり会社が水銀を含んだ工業廃水を海に流し、熊本県の漁民が水銀で汚染された魚を食用としたために起った。長期的に水銀が脳に蓄積して、中枢神経を侵されるものだが、20年もたって発病し、指が曲がらなくなり、錯乱や昏睡状態となり、死に至る。日本の政府の追跡調査の結果、12年をかけてようやく工業汚染が原因と分かった。
80人の集団訴訟弁護団
証明の難しさから、政府もRCA従業員のために何もできず、社会の関心も冷めてきた。
2000年末、RCAは経済部に減資計画を提出した。このニュースが伝わると、自助会と支援団体は強い危機感を抱いた。RCAが台湾から資金を撤退てしまうと、賠償要求はより難しくなるからである。
RCA従業員と共に戦ってきた労働傷害被害者協会は、台北弁護士協会、台湾人権協会、司法改革会議に支援を求め、公害訴訟の経験があり、アメリカの法律に詳しい弁護士を見つけて、訴訟に協力してもらいたいと申し出た。
2001年5月、各方面の人が集まり、80人のボランティア弁護団が結成された。まず証拠集めを始め、当時の従業員の作業状況を理解し、確かに有毒な環境に晒されていたことを証明し、また従業員の罹患状況と程度を確認し、またRCAの台湾における資産を調査し、賠償請求額を計算した。
急務はRCAの台湾の資金を抑えることで、資金が海外に出てしまうと、裁判に勝っても賠償を受けるのが難しくなる。
しかし仮差押の申請には保証金を裁判所に差入れなければならない。通常、裁判所は債権者の債権金額の3分の1の保証を要求する。RCAの台湾における資産が24億元あったとすると、訴訟を起こす前に8億元の保証金が必要となるが、これは弱者である従業員にとって、天文学的数字に等しいものであった。
そこで弁護団は智恵を絞り、法律を隅々まで調べて、仮差押のできる方法を考えた。
弁護団の代表林永頌弁護士は司法改革会議の事務長の王時思とともに何度も労働委員会を訪ね、労働委員会が「労働者訴訟補助要点規定。労働者に訴訟費用を負担する経済力がないが、勝訴の見込がある場合は、訴訟救助保証書の取得に協力できる」とある規定に従って、書面証明を発行し保証金に代えることを依頼した。
こうして仮差押のための数々の困難を乗り越え、2002年7月に弁護団は台北地方裁判所にRCAの台湾での資金の仮差押を申し立てて、会社の資金の流れを問合せたが、経済部投資審議委員会は機密を理由に資料提供を拒否した。弁護団はさらに国税局の資料を閲覧した結果、RCAの2000年度の受取利息がわずかに33万台湾元で、これから元本を逆算すると1000万台湾元に過ぎず、会社資金はすでに台湾を出ていることが想像される。
資金が流出し、賠償を受けられそうもないので、自助会は弁護団への訴訟の委任を解除し、国際的な社会運動団体に連絡し、世論に訴えると共に国際訴訟の道を探った。しかし、アメリカに問合せても、アメリカの弁護士は訴訟に少なくとも5年から10年かかると、引き受けようとはしなかった。心身ともに疲れきった自助会の幹部は改選され、全ては振り出しに戻ってしまったのである。
再び訴訟の道へ
2年がたち、去年の初めにこの訴訟案件は法律扶助会台北支部の林永頌支部長のところに戻ってきた。「被害者が数多く、状況が複雑で、非常に難しく、責任は重いし、引き受けようかどうか迷いました」と話す彼は、かつての弁護団のメンバーが戻ってきてくれるかも心配だった。
「すでに末期ガンの従業員もいて、日々悪化する体を引きずりながら、結果を見たいと頑張っているのです」と、思案の挙句、この訴訟を引き受けることにした。
「この訴訟は勝算を計算するのではありません。正義はどこにあるかと問うものですから、私たちが勝つしかありません。行政に保証書を発行させたことも、今後の因果関係の証明についても、この訴訟は台湾の司法における先例を作るものです」と、林支部長は確信をこめて語る。
これまでの労働委員会の職業病研究は穴だらけで、とくに事務職と生産ラインの作業員を一緒に混ぜて比較してきた。しかし両者が接触する発癌物質、有毒な環境にさらされる程度はまったく異なっているのに、これを一緒にすれば病気と職場環境の相関性は低く出てしまう。また労災案件の証明責任が全て弱者の原告にあるのなら、そもそも訴訟自体が成り立たないことであろう。
労働者の作業プロセス、製造工程、原料成分などのデータは会社側が握っている。アメリカや日本での労災案件では、民事訴訟の過程で原告の証明責任が弾力的に変化しており、被告の会社が自分の無実を研究とデータで証明するように求められている。
司法は正義を守るための最後の防衛線ではないかもしれないが、正義にいたるこのステップが塞がってしまうと、真相はさらに遠くなり、被害者は訴える場がなくなってしまう。10年余り戦ってきたRCAの労働者は、歴史の創造など考えてはいなかったが、台湾の公害と労災の訴訟の歴史において、消すことのできない足跡を残してきている。
RCA労災事件年表
1969:RCAが台湾桃園に工場設置。
1970:RCA桃園工場操業開始。テレビ部品、マザーボード、集積回路などの電子部品を生産し、最盛期の従業員数は1万8000人に達する。
1986:桃園工場は米GEに買収される。
1988:フランスのトムソン社に買収される。
1992:トムソン社は敷地内の地下水汚染を発見して工場閉鎖。台湾の宏億社が土地を買い、ショッピングセンター建設を計画。
1994:趙少康・立法委員がRCA工場敷地内の汚染を公表、環境保護署が調査委員会を設置。
1997:政府はGEとトムソンに地下水汚染解決を求める。
1998:GEとトムソンは、汚染改善不可能との報告を提出。宏億は、両社が汚染を隠蔽していたために土地を購入したとして国際訴訟を起す。
1998:RCA自助会が監察院に矯正案を求め、元従業員が作業環境のために心身に障害を負ったと申し立てる。行政院は省庁を越えた委員会を設置して対応に当たる。
1999:労働委員会は流行病学調査を行ない、環境保護署は汚染事件と住民の健康リスク評価計画を実施。
2000:立法院で「土壌地下水汚染改善法」が成立。環境保護署は石油、化工、農薬、メッキなどの企業から汚染改善費を徴収することとなり、翌年の徴収費は13億元と見積もる。
2001:RCA元従業員のうち1375人がガン罹患、うち216名が死亡。
2002:司法改革会議などの社会団体が弁護士を集めて損害賠償を請求。RCAの台湾からの資金撤退が発覚。
2003:自助会は弁護団への訴訟委任を解除する。
2005:自助会が改組され、理事と会長を改選。
2006:法律扶助基金会が訴訟依頼を受け入れる。
2007:法律扶助基金会はトムソンを被告に加え、現在係争中。
(資料:労災協会)