魚苗の9割は海南から供給
桂林洋にある呉順興のブラッドパロットの養殖場へ行くと、壁には手書きの注文書がびっしりと貼られている。内モンゴルから大陸東南の沿岸地域まで、知る限りの都市の卸売業者から注文が入っている。
呉順興は大陸の観賞魚市場をこう分析する。ブラッドパロットの魚苗の9割と成魚の5割は海南島から供給されており、海南島から大陸への年間売上は100億元を超える。彼の養殖場では年平均1000万尾のブラッドパロットを生産しており、1尾の卸値は50~100人民元で、売上は5億人民元に達する。
しかし、海南島の観賞魚産業が好調の最中の2010年、地元政府は国際観光産業発展のために台湾人から土地を徴収し始めた。海口市の後背地に当る桂林洋開発区で養殖を行なう業者がその矢面に立たされることとなった。呉順興によると、数年前までは桂林洋には台湾人の養殖池が330ヘクタールあったが、土地の徴収が始まってから減少し続け、今は60余ヘクタールしか残っていない。
海南省観賞魚産業協会の林碧山会長は桂林洋にブラッドパロットの養殖場6ヘクタール余りを持っていたが、地元政府は今年5月、200万人民元(約1000万台湾ドル)で徴収した。この補償額は合理的だと林碧山は考えている。
十数年の時間と資金をかけ、ようやく満足のいく規模にまで養殖業を発展させた台湾人にとって、土地を明け渡すのは容易なことではない。だが土地徴収の条件が悪くなく、損にはならないというのなら、それも受け入れられないことはない。
呉順興の養殖池の一部も数年前に徴収され、今では桂林洋と美蘭空港付近の40ヘクタール余りの土地も5年以内に徴収されるだろうと覚悟している。現在は合理的な補償額を求めるほか、海南観賞魚産業協会では台湾人の力を結集して地元政府と交渉し、他の県や市で大規模な土地を借り受けて養殖を続けたいと考えている。
例えば、林碧山は他の台湾人パートナーとともに海南島最南端の三亜市近郊にダムの水面を借りてブラッドパロットの箱網養殖を開始した。
窮すれば通ず
中国大陸当局は海南島を国際的な観光地にする計画を強力に推進しており、中でも指標となる地域が三亜市である。
砂浜に椰子の木が美しい三亜湾を離れ、バスは国営の南島農場へと向う。終点で降りてさらに山に入っていくと、三亜で最大の農業灌漑用の水源地――湯他ダムがある。呉肇馨と林碧山はこのダムの湖面330ヘクタールを借りているのである。
宜蘭出身、61歳の呉肇馨は、台湾でエビやトコブシの養殖に豊富な経験があり、1992年に福建省でスッポンの養殖を開始した。大儲けしたこともあれば、大損したこともある。
今年下半期の大陸の観賞魚市場を見込んで、初めて食用魚の養殖はせず、利益率の高いブラッドパロットに力を注ぐことにした。高台からダムを見下ろすと、広い湖面が6×3メートルに区切られ、それぞれのスペースに箱網が入っているのが見える。年末までにすべての箱網が入れられ、来年は600万尾のブラッドパロットが生産できる。箱網1つ当り300~500尾で、利潤は2万元人民元になる。
三亜の地価はすでに高騰しているが、ダムが再開発のために徴収されるとは考えにくく、賃貸料も比較的低い。電力を使って地下水をくみ上げる必要もないので、ダムでの養殖の原価は陸上養殖の2割で済む。また、三亜では60ヘクタール以上の灌漑用ダムは他にないため、すでに優位な立場にある。三亜は冬でも最低水温が海口桂林洋より8℃も高く、水温維持のための費用もかからない。
進退を見極める
台湾人による海南島での観賞魚養殖には十数年の歴史があり、当初は大陸の広大な市場を見込んでスタートした。土地を徴収するからと言って、すでに根を張った事業を簡単にやめられるものではない。
現在、事業者の多くは50~60代だが、その子女が跡を継ぐ準備を進めている。呉順興の娘の呉美玲は7年前の20歳の時から海口で活動を始めた。今では中国のブラッドパロット卸売市場で名の通った観賞魚ビジネスマンになっている。
大陸の地価は変動が激しく、今後十年、観賞魚産業が海南島のスター産業であり続けられるかどうかは誰にもわからない。土地が使えなくなった時、台湾の業者はどうするのだろうか。