即席めんのルーツは台湾にあり?!
時間は麺の食感に大きく影響する。
即席めんの歴史において重要なその年、1946年に彰化県員林で、夏はかき氷、冬は麺茶 (油で炒った小麦粉に砂糖と湯を加えた糊状のおやつ)と鶏絲麺を売る「清記冰果室」が開店する。日本在住の台湾人作家・劉黎児やジャーナリスト・野嶋剛も指摘しているが、日本の即席めんは台湾の「鶏絲麺」がルーツだという。日本の日清食品よりも先に販売を始めたのがこの店だ。
清記冰果室の3代目店主・戴逸説はこう語る。彼の祖母に当たる戴謝月鳳は調理時間を短縮するため、1951年から麺線をラードで揚げていた。それが鶏肉を細く裂いたものに似ていたことからKesi-mī(雞絲麺の台湾語)と呼ばれるようになる。持ち帰りの客には、青菜の漬物や鰹節、ニンニクのみじん切りを揚げたものなどと一緒に油紙に包んで提供していたという。
世界で最初に工場で量産された即席めんは、「インスタントラーメンの父」と呼ばれる日清食品創業者・安藤百福が開発した。
この安藤百福も台湾との関係が深い。彼は台湾に生まれ、日本に帰化した実業家で、本名は呉百福、嘉義県朴子市の出身だ。
台湾で最初に工場で量産された即席めんは、1967年に名立食品が発売したチキンスープ麺「生力麺」である。しかし、この企業は経営不振によって、すでに市場から撤退している。
現在は2番目に長い歴史を有する「統一麺」が台湾の即席めん市場で48%のシェアを占め、業界のトップに君臨している。統一企業のスポークスマン・凃忠正によると、小麦粉と飼料で事業を興した統一企業は、小麦粉の利用価値を上げるため、1969年に日本を視察した後、1970年から粉末スープ付きの即席めん「統一麺」を販売しているという。
定番の味が完成した1971年に時間を戻そう。当時の統一企業総経理・高清愿が台南の「度小月」で日本人客をもてなした際、担仔麺を食べた客人が「なんて良い香りなんだ」と感想を漏らした。これを聞いた高清愿は会社に戻り、すぐに商品化するよう開発研究員に指示した。こうして、この年「統一肉燥麺」が発売される。
今年で既に「53歳」を迎える統一肉燥麺は、本来、店先の竹の腰掛に座って食べるものだった担仔麺を、どこでも食べられる即席めんに変えた。定番である肉燥(煮込んだ肉そぼろ)の香りは時代を越えて懐かしい思い出となり、台湾における即席めん市場で単独販売数ナンバーワンを記録している。