
近年、古い家屋再生の流れが勢いづいている。地価の高い台北でも、台北の古い下町の西区に理想を追う若者たちが集まり、古い家を自ら修繕し、創意工夫を加えて運用するようになった。こうして仕事と生活の両立を実現し、美しい生活と持続可能な都市の理想を追っているのである。
2014年10月に、台北市都市更新処が主宰する第3回古い家屋再生大賞の授賞式において、「瓦豆・光田」改造プランで金賞を受賞した江佶洋が、祖父の写真を胸に壇に上り「私の最初の金賞です。祖父は以前、勉強ができなくても構わない。ちゃんとした人になればいいと言ってくれました。祖父に感謝しています」と述べた。

江佶洋(右の写真中央)は、空間における光のマジックを知ってもらおうと、アトリエの壁面で照明の美学を実践している。
1976年生れ、瓦豆創意の責任者である江佶洋が自分の仕事場に再生した旧宅は、母方の祖父で歯科医の李錫麟が経営する民新歯科医院だった。祖父没後に一度は打ち捨てられていたが、理想の作業環境にリフォームしたのは、祖父の事績を伝え、家族の記憶を残すためでもある。
台北市大同区延平北路二段に位置する「瓦豆・光田」は、時空が交錯するファンタジーの空間である。斜めの梯子段を上った二階の作業スペースは、大きな窓から陽光が降り注ぎ、屋根の梁まで5.6メートルの高さがあり、杉の木の香りが漂う。入り口には骨董級の歯科医院の看板が掲げられ、細かく区切られた薬品棚は展示ケースに変身し、歯医者だった祖父の肖像や診察器具、老眼鏡が展示されている。明るい窓際は作業スペース以外に、読書や談笑用のソファーが置かれ、古い家具はすべて老歯科医が残したものである。
しかし、この百年物の民家再生の主軸はレトロだけではない。奥に向かうと、現代的オープン・アイランドキッチンに、若者らしい明るい個性がうかがえる。片側の壁一面の赤いボードは訪問者のサインや落書きで一杯で、ヘッドの動くフロアスタンドで空間の表情が変化し、若いプロフェッショナル気分を醸し出す。
古い家屋再生大賞の審査員の一人で、実践大学建築設計学科の李清志准教授は「空間全体が歯科医の祖父の博物館のようだが、博物館のような厳粛さはなく、旧宅の構造に巧みなライティングが加わり、その精神が戻ってきたように感じます」と評した。

「台北市内で自分の空を持てるなんて、なんて贅沢なことか」というのが趙印祥の理念である。彼は古い家屋が持つ中庭に惹かれ、そこからリフォームのインスピレーションを得た。
江佶洋は一年に渡ったリフォーム過程を振り返り、祖父は9年前に逝去したが、中々リフォームに踏み切れずにいたという。それが一昨年に時期が来たと感じ、家族の同意を取り付けて、仕事仲間と共に旧宅の調査を行った。「その夜、祖父がにこにこしながら、台湾語で一杯やろうと呼びかける夢を見ました。いつも通りのさっぱりした気性で、認めてくれたような気がしました」と語る彼は、さっそく設計図を引き、時間をやりくりしながらリフォームの夢が動き出した。
しかし、外見は堅固に見えた家も、調べると問題だらけであった。ロフトの床は白蟻にやられ、そのままだと梁に広がる。また壁面を元に戻そうと、外側の石膏ボードを取り外すと、赤レンガの壁は凸凹がひどく、酸化も進んでいた。
その古い建材をすべて取り外してやり直した方が修復するより安いと言う人もいたが、歳月の洗礼を受けた古い建材と斑な痕に古い家の精神が宿っていると江佶洋は考えた。梁や柱を変えてしまえば、単に形式が残るだけで、記憶は失われるからである。
何回も考慮を重ね、白蟻にやられたロフトは取り壊し、H鋼で構造を強化し、ロフトは鉄の骨組みで組み直した。昔風の赤レンガ壁は、色彩が綺麗で構造がしっかりしたレンガ柱の3本を残し、それ以外の壁面は保護のためセメント塗装を行うことにした。現代の素材に取り替えるにしても、本来の色を残すことにこだわり、鉄材には防錆処理を行わずセメント塗装にペンキを塗ることもしなかった。「こうすれば、新旧の素材が時間の経過につれ老化し、融合していきます」と言う彼は、「もったいない」の精神で撤去したが使える木材は回収し、トイレのドアやランプシェードなどに再利用した。

デザイン力を発揮し、古い家屋をロハスな空間に変身させた趙印祥は、借家住まいの人も家を買わずに素敵な暮らしができると考えている。
江佶洋は雲門舞集に在職していたことがあり、その作品は舞台公演と公共芸術を結びつけるものである。今回も、自分の場の創造にライティングの魔法は欠かせない。その原則は、最少の光源で最も豊かな表情を生み出すところにある。
台湾人のインテリアは形式的に過ぎ、ライティングはシーリングライトか天井埋め込みライトばかりで、部屋が明るすぎてゆったりできず、有効な照明というコンセプトを欠いている。
その例として、台所は一般的に薄暗い角に設けられ、シーリングライトしかないという。そのため自分の頭や手が光を遮り、料理の時によく見えないということになる。
これに対して、「瓦豆・光田」のキッチン・エリアには3タイプのライトが設置されている。アイランドを囲んだ集会では、廃材の梁木に線形のLED線形管を埋め込んだ吊り下げ照明で明るい上に、光の当り方で場の内外を区分できる。キッチン仕事では、シンクの上方の棚板に取り付けた照明だけ点ければ、シンクでの作業に便利だし、ほかの人の視線の邪魔にもならない。最後に横向きに光を投射する二つのウォールランプは、他のライトを消した時に、壁に残された節状の古い排水管に暖かい光の束を投げかけ陰影を醸し出す。
「光は人の活動に役立つだけではなく、雰囲気や情緒を醸し出します」と江佶洋は言うが、さらにもう一つ、省エネにも気を配る。スタンドやウォールライトからフットライトまで、位置を精密に計算し光を無駄にしていない。
ここに移ってからまだ数か月だが、江佶洋はこの古い家が呼吸する一つの有機体のように感じ、長く使うためには毎日のメンテナンスが欠かせないと考える。将来的には、多くの人に古い家屋再生の良さを知らせるため、ここで文化芸術講座を開設する計画である。

「台北市内で自分の空を持てるなんて、なんて贅沢なことか」というのが趙印祥の理念である。彼は古い家屋が持つ中庭に惹かれ、そこからリフォームのインスピレーションを得た。
しかし、誰もが自宅の古い家を思い切りリノベーションできるわけではない。それでも賃貸であっても古い家屋再生に挑戦するチャンスはある。趙印祥はその先駆けの一人である。
趙印祥の住まいは、大稲埕の迪化街と西安街の間にある福建南部様式の町屋にあり、外観はかなり荒れていて、隣の棟は半分廃墟となっている。だが2階の住まいはニューヨークのアパート風で、赤レンガにお洒落な家具を置き、中庭の窓から緑を感じる優雅な趣きである。
趙印祥は工業デザイナーで、二年半前に台中から台北に居を移した。家を探していた時、都心部の家賃が高すぎるため、周辺に目を移した。最初にこの家を見た時には、14坪の部屋は中の壁で仕切られて狭苦しく、窓はエアコンを取り付けたため開けられず、天井や壁は白く漆喰が塗られていて、どこにでもある安手のワンルームと同じように感じた。それでも、部屋に連なる回廊風のベランダと中庭に心が動き、契約することにした。
大稲埕の伝統的家屋は通り側が店、後ろが住居となっていて、間口は僅か5メートルだが、奥行きは80~100メートルに達する。通風と採光のために間に中庭を二つ挟んだ3棟から構成されて、趙印祥の部屋は3番目の棟の2階である。中でも珍しいのは、伝統的町屋では技術と衛生の面から、衛生設備を中庭の回廊に設けている点である。トイレに行くために外に出るのは不便ではあるが、趙印祥はこれを貴重な体験と思った。
「朝起きて冷たい浴室に行くのではなく、陽の光を浴びて顔を洗い、夜は半屋外のバスルームで着替えてシャワーです。それに朝、屋外で顔を洗うと早く目覚めます」と話す。

(左・右)建築学科と景観学科の教員や学生が、陽明山に放置されていた古い家屋を、リサイクルした建材を用いて改造し、開放的なアート空間へと変えた。
そのリフォームについて、趙印祥は古い家の声を聴けば、自ずとどうすべきか分かると言う。
まず空間の本来のトーンを取り戻す。内壁の漆喰を剥がして赤レンガに戻し、天井板を取り外して檜の梁を表に出す。窓を開け放して光を取り入れ、窓辺にソファを置き、壁は一面に書棚とする。料理好きなので、一方の壁はオープンキッチンにして食卓兼机のテーブルを置く。
お気に入りの中庭に面した回廊に床板を張り、内外に一体感を持たせた。中庭の1階はトタンの倉庫になっているため、そこにネットを張って青い石を敷き詰め、竹を装飾に植えた。その結果は、まさに庭園である。
何でも自分で作る趙印祥は、家具もランプも手作りする。近隣の太原路には各種材料問屋が並んでいるので、これを改造すれば費用も掛からない。収納スペースは、簡単なフレームを作ってもらい、引き出しは雑貨店でよく見る卵を入れるプラスチックのバスケットである。
一番のお気に入りは、テーブルの上のシャンデリア風ライトだ。どこで買ったのかとよく聞かれるが、偶然の発想だったという。天井板を取り外すと、梁の1本が損傷のためかH鋼に取り替えられていた。その新旧入り混じる唐突な感じが気に入り、これを利用しようと工場用の天井クレーンをH鋼に組み込み、これに自分のデザインしたシーリングライトを取り付けたものである。
このリフォーム工事は半年をかけ、家具を含めた費用は約60万かかった。経費節約のコツは、固定設備の注文製作を避けること、もちろん自分でも清掃や撤去などの作業を行った。
入居以来、さわやかな風の抜ける中庭で友人との飲み会を開いたり、漆喰壁を利用してプロジェクターで映画の上映会を開いたりと、この部屋は様々なシーンに対応してきた。
室内の一つ一つを作り上げてきたが、将来、結婚して子供ができれば、新しい家が必要となるので、せいぜい数年しか住まないだろうという。それでも持家にこだわらず、賃貸でいいと考えている。賃貸でも自分に合った居住環境へのリフォームは可能で、家主と善意で話し合えばいいことだと考えている。多くの人が下町でよりよい生活を送れることに気づき、若者が住み着くようになれば、古い下町は本当の意味で活性化するのではないかと趙印祥は期待する。

(左・右)建築学科と景観学科の教員や学生が、陽明山に放置されていた古い家屋を、リサイクルした建材を用いて改造し、開放的なアート空間へと変えた。
台北では再開発が進み、趣きある旧市街が破壊され、大きくて威圧的なビル群が増えている。台北が都市の記憶と文化的な魅力を失い、特色のない都市になってしまうと心配する人も多い。
それでも、最近の古い家屋再生大賞のケースを見ると、ノミネート作品のタイプや用途がレストラン、カフェ、ギャラリーから旅館、工房、個人住宅と多様化している。若い世代の参加も多く、生活感とローカル感から発想し、古い家に新しい意義を付与しようとする。
例えば、2014年の古い家屋再生大賞銅賞を受賞した「URS27M」は、建築学科の教授と学生が陽明山の築50年の建物をリフォームし、自然環境を取り込んだ地域の公共スペースに甦らせた。ここには自然との共生の理念が示されている。2012年の特別賞受賞の「Solo Singer Inn」は、北投温泉の古い旅館を改造し、地元の歴史と文人の書を組合せ、旅の疲れを癒す場に作り替えた。
古い家屋再生は都市の進化を示す文化の指標だと、李清志は考える。古い建物や空間を大切にして、これを新たに活用することで、都市のセンスは一段高い境地に進化できるのである。
古い家をリフォームすることで新しい生命を注ぎ込み、人の生活も精神も再生する。これからも古い家と人々との出会いに期待したい。

かつては歯科医院だった百年の歴史を持つ古い家屋を、後の家族がよみがえらせ、家の記憶を受け継ぐとともに新たな交流をもスタートさせた。

江佶洋(右の写真中央)は、空間における光のマジックを知ってもらおうと、アトリエの壁面で照明の美学を実践している。