百年糯米橋
間もなく、林飛海さんと協会理事長の杜秀珍さんの案内で車を走らせ、歴史ある翠谷古橋に到着した。橋の上から見渡すと、山は青々として、谷には巨大な岩がいくつもある。橋の下の瑪陵坑渓の流れに洗われ、岩に穴があいているのはポットホールである。五堵圳の遺跡がよく見える。林さんが下流を指さした。「あの辺が六堵浄水場の取水口ですから、ここは水質が特に良いんです」橋の下をのぞくと、澄んで川底が見える。水質に敏感なタイワンアカハラとタイワンハナマガリが悠然と泳いでいる。「夏の渇水期に廃水を流したりゴミを捨てたりしようものなら、魚はすぐ死にます」台湾固有の原種は極めて貴重で、こっそり釣りに来る人が絶えない。林さんと住民は自発的に見回り隊を組んで、怪しい人影を見かければ声をかける。ティラピアなど外来種を放流する人がいたら、夜のうちに外来種を全部捕まえる。村中総動員で魚を守っている。
橋は新しいようだが、橋桁の下に見どころがある。「百年糯米橋」である。どっしりとした六角形の橋脚は、その昔、住民が糯(もち)米に赤石灰・黒糖などを混ぜたもので石を積み上げて作っている。工法はシンプルだが、この橋脚は長年にわたり無数の台風を凌いできた。
「橋桁は新しくなりましたが、糯米橋の橋脚が流されたことはありません」林さんは先人の知恵に感心する。「昔の人の技術はたいしたものです。上流のコンクリートの橋脚は、台風がきたらひとたまりもありません」上流の富民親水公園には水中に倒れたコンクリートの橋の残骸があった。糯米橋は流れにさらされ続け、台風の時に水が橋面を超えても揺るがない。もち米がコンクリートより強いとは、驚きである。
橋の上で顔を上げると、地元の著名スポット・石獅山が見える。林さんが瑪陵小を卒業するときには、全員で石獅山に登るのが修学旅行の伝統だった。瑪陵小は百年の歴史があり、子供が減って廃校になるところだったが、今では森林小学校になって台北市の保護者に人気を博している。
学校からほど近い大成街を歩いていくと、辺りは徐々に寂しくなっていく。背の高い棕櫚の小道に入ると、突き当りに日本統治時代の派出所があった。鉄格子の扉は閉まっていて、錠も錆が出ている。近くに人影もなく、怪しい雰囲気が漂っていた。思いがけず横に人家をみつけたが、住む人がいるのだろうか。なんとなく鳥肌が立った。
百年の歴史を持ちながら今もしっかりと立つ糯米橋からも、昔の人の自然と共生する知恵が見て取れる。橋の下に見える岩の穴は珍しいポットホール地形だ。