「第2回2000年全国コミュニティ・ウェブサイト・デザインコンクール」の結果が昨年9月9日、発表された。全国439のコミュニティのサイトから大賞に輝いたのは、コンクール初参加の屏東県のパイワン族ピヨマ集落(泰式郷平和村)だった。
主催者であるUCOMユースコミュニティ発展センターによると、今回のコンクールには400余りものコミュニティサイトが参加したという。予選では100程度のサイトに絞られ、本選では大賞1組、優秀賞4組および佳作5組などが選ばれた。
「コミュニティの住民の生活を中心に報道した、非常に生命力にあふれたサイト」というのがピヨマのサイトへの評である。審査委員は、ピヨマサイトは毎日内容を更新し、制作側とユーザーの相互性が極めて高く、コミュニティサイトとしての機能をいかんなく発揮しており、村の人々のリアルな生活が示されていると指摘する。
今回のコンクールの事務を担当したUCOM企画専門委員の張嘉玲さんによると、コンテンツの充実度、住民の参加、創意、画面デザイン、操作の快適さなど5つの項目が審査基準だそうだ。ピヨマはコンテンツにおいてパイワン族の伝統文化、教育、コミュニティ、学校、集落の近況など豊富な画像や文章を盛り込んでおり、審査員が一致して高い評価を与えた。
1999年の第1回コンクールの開催以降、参加サイト数は激増しており、そこからコミュニティサイトの急速な発展が窺える。張嘉玲さんは、1回目のコンクールの参加数は200サイト余り、2回目は400余りと2倍になったという。質的にはさらに急速に向上しており、審査員の1人である崔ママサービスセンターの呂秉怡秘書長は、全体的には2回目の参加サイトのほうが手がこんでおり、コンテンツも充実してきているなど、量、質とも向上し、主催者を喜ばせた。
「ただ1回目に高く評価されたサイトで、2回目にそのコンテンツがほとんど更新されていないものがありました」張嘉玲さんは、コミュニティサイト運営の最も難しい点は、サイトのビジター数の維持だと指摘する。
ではコミュニティサイトとは何か。なぜこれを推進しなければならないのか。
いわゆるコミュニティサイトとは「コミュニティ」と「サイト」の特質を兼ね備えているべきものだ。まず、一般的なサイトデザインの技術に達していなければならない。画像や文字がクリアで、トップページのデザインがわかりやすく、グラフィックデザインも美しいなどが基本条件となる。このほかコンテンツの充実、サイト資料の更新、即時的な情報の発布、サイトとターゲットが互いに密接であるかなどがサイト審査の重要な条件となる。
サイトにコミュニティという言葉を冠することで、コミュニティの特色を出すことが最も重要なデザイン上のポイントとなった。今回、入賞したのはピヨマのほか、万丹郷音、五溝コミュニティなど多くが先住民や客家によるサイトで、もともと豊かな伝統文化とはっきりした地方の特色を持っていることが、コミュニティサイト設置に有利に働いた。
張嘉玲さんは、現在、都市の住宅の多くが集合型住宅に属しており、コミュニティの特性を見出したり住民のコンセンサスを得たりするのは容易ではないと分析する。それに比べ地方や先住民の集落では、コミュニティそのものに特色があり、住民の生活形態もよく似ているので、コミュニティサイトに必要な共通認識を得やすいのだ。
ウェブサイト「ピヨマ集落(http://paiwan.tacocity.com.tw/pm-0.htm)」にアクセスすると、分割されたページに30数個の項目とトップページ、部族に関する最新情報などがあり、細部まで目を通すにはかなりの時間が必要になる。すべての審査員がその豊かな内容に関心したのもうなずけることだ。
豊富な画像と文章でパイワン族の文化、集落移動史、学校、教会、コミュニティ発展協会、コンピュータ教育、イベント速報など多様な情報を発信するこのウェブサイトは、一体だれが作成したのだろうか。また作成にどの程度の時間が費やされてきたのだろう。実は、運営しているのはわずか1人、サイトは一昨年の10月からスタートしたものだ。このサイトを立ち上げたピヨマの村の伝説的人物は、まったくコンピュータの専門的な技術を持たないところから、民族文化への情熱だけを頼りに、自分の能力を上回る作業に取り組み、自力でサイトを完成させたのだ。
屏東県泰武郷平和村武潭小学校の教師であるツェガウ(頼約翰)さんは、一昨年の4月、教育部の内需拡大プランの推進によって、屏東科学技術大学のサイト管理とサイト作成のコースで学んだ。3ヵ月の受講期間で彼はサイトの面白さを知り、民族と村の文化をインターネットで「発信する」という夢を持つようになった。彼が初めて制作したサイト「パイワン族粟園」は、3ヵ月の受講期間中に誕生したものだ。
それに続き10月、彼は八足情報ネット(taconet)に無料サイトの使用を申し込み、これまで収集してきた歴史的資料、同集落の孔徳興さんが記録してきた部族のさまざまな行事の写真、弟ブルクさんが研究してきたパイワン族関連の研究文献などを1文字ずつパソコンに入力し、サイトに掲載していった。サイト「ピヨマ集落」は、こうして10月に誕生した。「毎日の事件をページに乗せるために、夜の1〜2時まで起きていることもあります」と語るツェガウさんのインターネットの接続代は1ヵ月で最低3000〜4000元はかかるという。
彼は集落の人にサイトを見てもらうため、村の中で最も人と財源を集める力のあるキリスト教長老教会にこのコミュニティサイトの運営をお願いしようと考えた。「長老教会は集落住民の95パーセントの人が属する信仰の中心で、教会による長年にわたるパイワン族文化の保存の努力は、ピヨマの人々の信頼を得ていました」と言う。このため昨年2月、ツェガウさんの説明の後、全村民の投票で支持が決定され、サイト「ピヨマ集落」は正式に教会サイトとなった。
サイト「ピヨマ集落」が正式にスタートした後、武潭小学校の洪志慶校長は、平和分校のコンピュータ室を快く提供してくれた。ツェガウさんはここで3ヵ月間のインターネットクラスを開講し、付近の若者やお年寄りがインターネットに接続し、このサイトを見られるようにした。「授業中に、自分の写真がサイトに出てきたのを見て非常に喜び、ネットに親しみを持つようになったお年寄りもいます」と言う。10数台のコンピュータ室は、1台を3人で使うほど盛況だった。
毎週日曜日、ツェガウさんは教会で恒例の「サイト作業報告」をする。新しいページの作成状況や掲示板、記者の取材など、ネットにアクセスする機会の少ない人に対して詳細に報告する。「村を出た若者が掲示板に近況を報告したり、結婚や出産、学生旅行、マスコミの取材の情報や写真など、すぐに情報を得られるだけでなく、みんなで同時にその喜びを分かち合えます」と彼は例を挙げる。
「サイトを始めてから、私はサイト長と呼ばれるようになりました」と語るツェガウさんは実にうれしそうだ。彼は、多くの若者がインターネットの授業の後、村の外にあるたった2軒しかないインターネットカフェに行ってネットにアクセスするようになったと言う。
ピヨマの人がインターネットの「驚くべき力」を目の当たりにしたのは、3ヶ月後、彼ら自身が主催したイベント「原声舞芸」の時だった。現実生活での地域が、ついにバーチャル空間と実際に結び付いたのである。
長老教会、平和コミュニティ発展協会とツェガウさんはインターネットの力を発揮しようと、6月に「原声舞芸」というイベントを行った。内容は集落の産業、景勝地、伝統文化、人物などを合わせ、祭りを中心にしたものだ。例えば伝統食品フェア、手工芸品の展示販売、地元の植物カポック木綿の紹介、集落の生活状況を表した田園歌劇などが行なわれた。「集落のお年寄りは私たちの演技を見て、昔の生活の再現だと感動し、泣いていました」とツェガウさんは言う。
このイベントでは、サイトの情報伝播の力を得て、6月11日当日から1000人もの来場者があった。村長の孫信用さんは、もともと観光産業が発展していないピヨマで、自分たちの力でこれほどの成果が上げられたことについて、ネットを通じて「小さな村落も世界に情報を発信することができるのです」と愉快そうに語った。
このイベントの大きな反響に応え、ピヨマ集落はさらに12月の24日と25日、村がカポック木綿で雪が積もったように白くなる時期に、もう一度「原声舞芸文化フェア」を催すことを決めた。インターネットでできた友人たちに、実際に豊かなパイワン文化とピヨマの情熱を実感してもらおうというものだ。
「このサイトを見ると、家に帰ったような気持ちになる」これは村から遠く離れて進学、就職したピヨマ出身の若者が、ピヨマ集落サイトの掲示板に書き込んむメッセージによく見られる言葉だ。
孫信用村長の娘の孫光照さんは、この村の出身者の多くがサイトを通じ最近の情報を得ており、「サイトができてから、よその土地にいても村にいるのと同じで、疎遠な感じがしなくなりました」と言い、多くの人がサイトを見て感動して泣いたと言う。村長は「私はツェガウさんがサイトを作成している時に、別にインターネットを利用して何か大きなことをしようというつもりはないのだから、あまり派手にせず、互いに近況を知らせ合えればそれで充分だと言いました」と語った。こうして飾らず表現された村の生活における純朴な人情味によって、ピヨマサイトはコンクールでも高く評価されたのである。ツェガウさんも「一生忘れません。神に感謝します」と喜びの声を上げた。
実際、今回の全国コンクールでは、村民は最初は参加することに意義があるのだと考え、ツェガウさんも、他の地域のサイトは技術も優れていて出来がよく、自分が入賞できる可能性は低いと思っていた。ピヨマサイトが予選を通過して100サイトに残ったとき、教会での恒例の報告で人々は意外に思ったが、10サイトに残った時には不思議な興奮が村に満ちた。ツェガウさんは大賞受賞のニュースをすぐに村に伝えた。「私が報告すると、すべての人の顔には喜びがあふれました。お年寄りは感動で涙し、村長は豚をつぶして村全体で祝ってくれました」と語る。
「インターネットを通じて集落の文化を発揚できます」と語るのは長老教会の温信臨牧師だ。ピヨマの人々の生活に、大きな位置を占める長老教会は、パイワン文化の保存、推進の努力をずっと続けてきた。教会の活動を通し、ピヨマ集落はパイワン語や伝統的な食品を使って礼拝し、聖書をパイワン語に翻訳した。「集落文化の保存と推進は、ずっと教会が重視してきたことです。これからもインターネットを通じて伝統文化を推進していきます」温信臨牧師はハイテクが文化に奉仕するようになればと考える。
「私たちの村は漢民族が入って来なかったし、辺鄙な場所にあるので、集落の生活は1968年に村を移してからそう大きく変わっていません」と温信臨牧師は説明する。だが急速な環境の変化に直面し、村に関心を持つ若者の中には文化の発展に不安を持つ人もいた。「お年寄りは、これが時代の流れなのだと言います」ツェガウさんは、文化を消滅させたくないし、またより強い競争力を持ちたいのだと言う。長い間沈黙していた伝統文化への思いを表現するのに、ついにインターネットという場所を見つけたのだ。「ネットは私たちが長年心血を注いできたものの集大成だと言えます」
「ツェガウも人になった」これはパイワン族が最高の尊敬を示す言葉であり、彼が自力でコミュニティサイトを完成させてから集落の老人たちが彼に送った称賛だ。インタビューの中で、ツェガウさんは村の人々が一生懸命にピヨマ集落サイトを支持してくれたことを取り上げて感謝し、人のつながりもコミュニティサイトの大切な部分だと強調した。喜びに充ちた表情でサイトと村人を紹介するツェガウさんを見て、私はこのサイトを「お気に入り」としてブックマークに入れることに決めた。それは、このパイワン文化の香りあふれるサイトによってバーチャルの世界にも本当の温かみがあることを忘れないでいるためである。