侯孝賢の映画は、ただただ静かに凝視するほかない。
映画館ではポップコーンを頬張るどころか、ストローを吸う音さえはばかられる。侯孝賢の作品には、観客の視線をとらえて離さない魅力がある。『黒衣の刺客(刺客聶隠娘)』もそうだ。どんなロングショットの映像も、もっと奥深くまで見極めたいと思わせ、その余韻は時間をかけて沈殿させる必要がある。
侯孝賢監督へのインタビューが実現した。「十年一剣を磨く」の真実を、そして初の武侠作品で何を表現したかったのかを語っていただいた。
映画宣伝のスケジュールで忙しい侯孝賢は、白い野球帽、ポロシャツにジーンズという出で立ちで現れた。68歳の監督は少し痩せて見える。写真撮影のためにカメラマンが帽子をとってほしいと頼むと、帽子を脱ぎながら「髪がつぶれてるけど大丈夫かな?」と聞く。
実際には監督の髪は五分刈りなので、ほとんど帽子の影響はないのだが、これも何かのこだわりなのかもしれない。長年のスタッフによると、監督は、現場でトレードマークの帽子をとって頭をかきむしるくせがあり、この時は誰もが一歩退いて安全距離をとるという。何か気に入らないことがあるということなのだ。
スクリーンの制限
長年にわたり侯孝賢作品の編集指導を担当し、『黒衣の刺客』ではプロデューサーを務めた廖慶松によると、監督は同作品のクランクインに影響を及ぼさないために、日本からの映画製作依頼を断ったという。黒澤明監督の生誕100年を記念して、1952年の作品『生きる』のリメイクを依頼されたのである。その時、侯孝賢は「これは難しい。日本の題材を扱うとなると空気感が違うので難しいと思う」と辞退した。このプランは完全に侯孝賢の条件に合わせるというものだった。
だが、結局「お断りしよう。自分の作品を撮る方がやりやすい」と言った。彼は創作上の困難と正直に向き合い、それを隠すことをしない。スクリーンに映し出される作品には現実的にさまざまな限界があるもので、侯孝賢は40年来、常にこうした態度で取り組んできた。
実は黒澤明は生前、侯孝賢の自由が羨ましいと語っていた。最も評価していたのは『戯夢人生』、4回も見て、自分にはこのような作品は撮れないと語ったという。
『生きる』のリメイクを辞退し、長年準備を重ねてきた『黒衣の刺客』制作にとりかかった。この侯孝賢の初の武侠映画には、忘れられかけていた侠客の精神が描かれている。「本当の侠客というのは軽々しく人を殺さない。『武』は『戈』を『止める』と書く。つまり殺さないことです。いかなる政治的目的であれ、どんな理由であれ人は殺さない。これは唐の伝奇ですが、絶対的な現代性があります」
小説の脚本化という制限
原作小説の中で、主人公の聶隠娘は刺客として育てられるが、惻隠の情から人を殺せない。これが、侯孝賢が同小説を映画化したいと考えた最初のポイントである。内外の小説を読み漁ってきた侯孝賢によると、ヨーロッパの多くの小説でもスパイや刺客はいかなる理由があっても人は殺さない。「唯一殺す可能性のある理由は家族の仇討ちです」と言う。
侯孝賢の武侠映画では、派手な立ち回りやワイヤーアクションはなく、緊迫した数秒間で勝負がつく。
この唐代の原作の寓意はシンプルで、侯孝賢は学生時代に初めて読んだ時からずっと映画化を考えてきた。が、映画のラストシーンは原作とは異なる。「原作は神話がかっていて現実離れしているので、変更しました」。(文末の注を参照)
原作の変更や脚色は、スクリーンに収めるための制限であり、そのため脚本には原作の背景のみを用いた。「原作通りに撮るとなると、二つの藩鎮を設定しなければならず、難しすぎます。そこで聶隠娘が田季安を殺すという物語に変更したのです」と言う。そのために『新唐書』や『旧唐書』を徹底的に調べ、すべての人、事、物の時間軸を研究した。さらに正史、野史、小説にも当たり、何年もかけて人、事、物の関係を整理したのである。そして、これを映画化するには内容を書き換える必要があることを確信した。最後に、映画化を決定づけたのは、聶隠娘にふさわしい役者が見つかったことである。
キャスティングの制限
『ミレニアムマンボ(千禧曼波)』から『百年恋歌(最好的時光)』までの共同作業で、侯孝賢は舒琪(スー・チー)が聶隠娘の役にふさわしいと確信した。
「窈娘(聶隠娘)はスー・チー本人に大変よく似ています。脚本を書いてから役者を探すのでは遅すぎるし、ふさわしい役者が見つかるとは限りません。脚本化の前に役者が決まっていないと」と言う。よく知っている役者を使うというのが侯孝賢の原則であり、これも彼の条件である。
創作の題材に制限があり、キャスティングにも制限がある。唐代のリアリズムを再現するために、美術スタッフは12年以上の歳月をかけ、そこに求められた制限も数えきれない。さらに、せりふは軽く核心に触れるだけ(スー・チーのせりふは9句のみ)で、その半分は古文である。物語としての関連性は強調せず、刺客は人を殺せない。このような武侠映画をカンヌに出展するとは、西洋の評論家にこの境地が分からないのではないかという不安はなかったのだろうか。
それはまったく心配しなかったと侯孝賢は言う。西洋の小説にも武侠の精神はあり、「ローレンス・ブロックの『800万の死にざま』も、軽々しく人を殺さないという精神です。私の武侠精神もこれを条件としているのです」と言う。
作家の朱天文は、侯孝賢はストーリーテラーではなく叙情詩人だと言った。台湾ニューシネマの時代から、侯孝賢の作品の特色は映像の魅力にあり、物語の流れではない。『黒衣の刺客』がカンヌで初上映された時、フランスの映画評論誌「カイエ・デュ・シネマ」の評論家は「理解することが重要だろうか?」と反問し、画面を見続けさせる魅力があることの方が重要だと語った。
侯孝賢の作品はその世界に観客を引き込む。分かる人は、自ずとその深層の境地に入り込めるのである。
制限があって自由になれる
撮影期間が2年というのは長すぎるという人も多いが、侯孝賢はそれほどでもないと考えている(彼の今までの作品の中では最も長かった)。「撮影でやや難しかったのは唐代という点です。史料を大量に読んで、再現が非常に困難なことに気付きました」と言う。最大のチャレンジは唐代を複製することだった。調べれば調べるほど再現したいディテールが増えていくが、その完全な複製は不可能なことである。
例えば「晨鼓三千」「暮鼓五千」である(映画では当時の太鼓の音を再現しているが、観客はなぜずっと太鼓が鳴っているのか理解できない)。唐の時代、「暮鼓」の後は町と町の間は通行できなかったのである。唐代の小説から分かるこうした史料に、侯孝賢は特に興味を持った。そしてそれらを整理してルールを定め、そのルールに従って制作することにした。「制限があって、自由になれる」のである。
制限があり、自由がある。侯孝賢は可能な限り真実に近づけようとするが、感情には自由に枠を越えさせる。これまでの『童年往時』『悲情城市』『戯夢人生』『好男好女』『海上花』『最好的時光』もすべてそうである。俳優の「芝居」もリアルでなければならない。ひとたびカメラが回ると、演技の自由を役者に返し、自由に発揮させる。「何が最も美しいか。役者がリアルなシーンに入った時こそ最も美しいのです」
侯孝賢は役者に演技指導はせず、絵コンテも使わない。これはアメリカの映画監督マーティン・スコセッシと同じだ。だが、スコセッシはハリウッドの細分化された映画製作システムに支えられているのに対し、侯孝賢が頼りとするのは長年のパートナー、編集顧問の廖慶松、美術監督の黄文英、カメラマンの林屏賓、脚本の朱天文である。今回は若い作家の謝海盟と脚本で合作した。創作の道は孤独だが、侯孝賢は「映画は一人で作るものではない」と語る。
隠されたストーリー
映画のストーリーがつながらないと言われる点について侯孝賢はこう説明する。「私の脚本はロジカルなのですが、手がかりは隠されているかも知れません。映像としては一部分だけを用い、その前後は隠されているのです」と言う。
そのため、侯孝賢は30分をかけて映画の完全なストーリーを説明してくれた。撮影時にはフィルム44万フィートを費やして全てのシーンを撮ったのだが、編集の段階でそれを1万フィートまで縮めた。わずか44分の1しか作品として見せないのである。これは侯孝賢が丹念に編集していく技であり、だからこそ観客の理解力が試される。
イタリアの作家イタロ・カルヴィーノは「小説の深みは隠されている。言葉が表現する情報と言葉が表せない意味がある」と語っている。「カルヴィーノが言っているのは、小説の深みは表面にあり、それ以外の部分は隠されているということです。私の映画も同じで、ナレーションのようにすべてを説明することはできません。私が見せるのは一部分だけなのです。基本的にはこういう意味です」と侯孝賢は言う。一般の映画がネタバレを恐れるのと違い、侯孝賢は観客が予習してくれることを願う。ストーリーを事前によく理解し、よく研究してくれた方が良いのである。「なぜなら、私が見せられるのはごく一部だけなので、その隙間を自分で埋めてつなげてくれれば、すべて理解できるからです」
映画評論家の聞天祥は、『黒衣の刺客』は一つの詩のような作品で、すべてのシーンが優美な句のようだと言う。この作品を観れば、脚本の朱天文が言うところの、映画が観客に残す「余韻」を感じられるかもしれない。
台湾の映画産業に心を寄せる
映画を撮っていない時、侯孝賢は金馬賞の執行委員会主席と台北映画祭の主席や幹事長を務めてきた。台湾の映画産業には深い思い入れがあり、今回の『黒衣の刺客』の膨大なポストプロダクション作業において、すべてを台湾のプロダクションに依頼することにこだわった。
タイや韓国のプロダクションに依頼した方が安く上がる可能性があるし、アメリカは技術的に優れているのだが、侯孝賢は台湾だけでやることにした。「台湾のポストプロダクション産業の強みは、センスがあること、それに基礎技術や美術面でも海外に引けを取らないので、台湾でやりたいと思ったのです」と言う。
技術があり、設備面も向上させた。『黒衣の刺客』のポストプロダクションには中央電映公司が全力で取り組んだ。「私は産業が台湾に根付くことを願っていますし、これを機会に経験を積んで、中央電映公司からさらに他の会社へ広がっていけばと思いました」と言う。今回は、中央電映公司と伝芸、賞霖の3社によってポストプロダクションが完成した。
予算の話になると、侯孝賢は「ポスプロは高すぎますよ!」と声のトーンを上げる。「もっと早く分かっていれば、フィルムでは撮りませんでした。…でも、フィルムの色や光と影はデジタルでは出せないものです。それに撮影はセットではなくて中影文化城の空地で行ない、そこを自然の風が流れ、自然の光が当たるので、フィルムで撮ると本当に気持ちがいいんです」と言う。だが、次の作品はと訊ねると、デジタルの撮影を試みてみたいと真剣に答えた。
完成した作品をカンヌに出品するまで、侯孝賢は編集に一年半をかけ、数えきれないほどの修正や変更を入れた。では、公開前にさらに修正を加えることはないのかと問うと「しません」と言う。だが、2日後に、私たちが美術監督の黄文英を訪ねると、意外にも侯孝賢はまだ編集室にいることがわかった。
監督はまだ修正しているのだろうか。観客である私たちには永遠に分からないかも知れない。すべては、侯孝賢が納得できるかどうかの問題なのである。
動けなくなるまで映画を作る
40年映画を撮ってきた。これからは映画作りを加速させたいと語っているが、いつまで撮り続けるのだろう。侯孝賢は3秒ほど考えてこう答えた。「分かりませんね。…動けなくなるまで…ポルトガルの長老級の映画監督マノエル・ド・オリヴェイラは99歳でスー・チーとともにカンヌの開幕式に出席しました。体力があり、元気で、頭も確かなら、ずっと撮り続けられます」オリヴェイラ監督は2015年4月2日、106歳で逝去した。
侯孝賢の人生は、すでに映画と切り離せないものなのだろうか。監督は再び何秒か考えて力強くこう答える。「私の映画は生活の延長であり、私の一部分です。私が何を見ているかと言うと、人への興味です」。侯孝賢の作品は常に「人」に関心を注ぐ。普段出かける時は地下鉄やバスに乗ることが多く、否が応でも人と接することとなる。朝の出勤時間は皆急いでいて、電車やバスの中では沈黙している人が多いが、夕方になるとうるさくて仕方ない。特に学生は。席を譲る人、譲らない人、ありとあらゆる状況が交通機関の中で見られ、非常に面白いと言う。
「いろいろな人を見るのが好きなんです。人が合わないと、何もかも合いません」。その映画と同様、侯孝賢に見える最も美しい風景は、人なのであろう。
(注)
原作『聶隠娘』の物語は唐代の安史の乱から40年後。隠娘は10歳の時に女道士にさらわれ、凄腕の刺客として育てられる。
ある時、隠娘は魏博節度使の田季安の命を受けて陳許節度使・劉昌裔を殺害することになるが、劉昌裔が占術に非常に優れていることに感服し、劉昌裔に従うこととする。後に、田季安が送ってきた精精児と空空児による2度の暗殺計画を阻止して劉昌裔を救ったため、劉によって上客として引き止められるが、隠娘はそれを受け入れない。隠娘は乱世において、成すべきことを自分で判断できる女刺客だったのである。
『黒衣の刺客』においては、隠娘と田季安の関係が原作とは異なる。原作ではかつての主従関係だが、映画では幼馴染の従兄妹同士であり、また物語では田季安が隠娘の暗殺の対象となる。
世間からどのように解釈され、いかに高く評価されようと、侯孝賢の映画には一筋の大河が己の速度と方向をもって静かに流れ続けている。一貫して変わらないのは、スクリーンの中の真実の追求である。
侯孝賢の映像美。『黒衣の刺客』の人物は感情を抑えつつ、緊張感をみなぎらせる。侯孝賢は、誰の心の中にもロマンチックな一面があるが、それを敢えて表に出そうとしないだけだと考える。(Spot Films提供/蔡正泰撮影)
侯孝賢の映像美。『黒衣の刺客』の人物は感情を抑えつつ、緊張感をみなぎらせる。侯孝賢は、誰の心の中にもロマンチックな一面があるが、それを敢えて表に出そうとしないだけだと考える。(Spot Films提供/蔡正泰撮影)
侯孝賢の映像美。『黒衣の刺客』の人物は感情を抑えつつ、緊張感をみなぎらせる。侯孝賢は、誰の心の中にもロマンチックな一面があるが、それを敢えて表に出そうとしないだけだと考える。(Spot Films提供/蔡正泰撮影)
「何が最も美しいか。役者がリアルなシーンに入った時こそ最も美しいのです」侯孝賢は、リアルな描写こそ人を感動させると考え、役者には完全に役になりきらせる。スー・チーこそ聶隠娘を演じられる唯一の役者だと侯孝賢は強調する。(Spot Films提供/蔡正泰撮影)
「リアリズムには条件があり、それを定めれば自由になれる」。一つのルールの中で創作に取り組む道は孤独だと侯孝賢は言う。文学や資料を渉猟する侯孝賢は、文章と影像は同類で、同じ種類の表現方法であり、すべての表現には深みがあると考えており、映画は平面であってはならないと言う。左の写真は『悲情城市』、下は『海上花(フラワーズ・オブ・シャンハイ)』のスチル写真。(財団法人台湾電影文化協会提供)
「リアリズムには条件があり、それを定めれば自由になれる」。一つのルールの中で創作に取り組む道は孤独だと侯孝賢は言う。文学や資料を渉猟する侯孝賢は、文章と影像は同類で、同じ種類の表現方法であり、すべての表現には深みがあると考えており、映画は平面であってはならないと言う。左の写真は『悲情城市』、下は『海上花(フラワーズ・オブ・シャンハイ)』のスチル写真。(財団法人台湾電影文化協会提供)