不況の時代を生き抜く
台湾のクルーザー産業は、かつて台湾に駐留していた米軍が木造ボートの製造を教えたことに始まる。それが精密で美しい仕上がりだったため注文が増え続け、1977年、台湾はカナダに代わってアメリカ向けクルーザーの主要供給国となった。1988年にはピークを迎え、100余りの企業が年間1755隻を輸出し、輸出額は1億9000万米ドルと世界トップに上りつめ、これによって「クルーザー王国」と呼ばれるようになった。
しかし1988年以降、台湾ドルが高騰(1ドル40元が25元に上昇)し、2000万元の船1隻を輸出すると、1000万元の赤字が出るようになってしまった。加えて台湾では人件費も高騰し、企業間で値下げ競争が激化、クルーザー建造業は10年におよぶ衰退期に入ってしまった。この時に少なくとも半数のメーカーが廃業し、輸出量もピーク時の3分の1まで減少した。
そこで輸出競争力を高めるために、メーカーは人員削減を行なって転換を進め、超大型豪華クルーザー建造へと方向転換する。デザインとイノベーションを頼りに付加価値を高めて利益率を上げ、世界の富裕層が富を誇れ、享楽を追求できる海上の楽園を築き上げたのである。
10年の努力の成果は数字からも見て取れる。台湾区遊艇工業同業組合の統計によると、2008年に台湾のクルーザーの輸出額は初めて3億米ドルを突破し、数は244隻となった。低迷期だった1994年の輸出隻数より16隻増えただけだが、金額は2.5億米ドルも増えている。2008年の台湾製クルーザーの平均単価は約132.5万米ドルに達し、これは1987年のピーク時の12倍である。こうした華々しい実績は、豪華クルーザーへと主流を転換したことによってもたらされた。
愛好家にとって、クルーザーはレジャーや移動の手段であるだけでなく、地位の象徴でもある。