生徒が教師の、教師が校長の夢を叶える
55歳で定年退職し、その後はのんびり老後を楽しもうと考えていた廖達珊が原声に打ち込むことになったのは、偶然の巡り合わせだった。
2005年に信義郷新郷小学校で東元科技文教基金会による「芸術と英文」冬のキャンプが催された際、チームリーダーとなるボランティアが2名足りなかった。そこで共催団体であった陽明大学の洪蘭教授が院生に母校の建国中学で募集してみてくれと頼み、その院生が建国の教師である廖達珊に相談した。ところがちょうど高校は期末テストの真っ最中、仕方なく廖は自ら参加することにした。最も年長のチームリーダーであった。
キャンプ初日夕方、講堂で練習の準備が始まっていた。曲は「Pislahi猟祭」。「最初の一声を聞いた瞬間に鳥肌が立ち、涙がこぼれそうになりました」と、心を動かされた様子を廖は語る。
教員生活の30年で廖は数多くの英才を育て上げた。第1期卒業生の一人である羅綸は、国際的金融グループ中国エリアの総裁を務める。廖が定年退職すると聞き、羅は「何か果たしたい夢があれば、ぜひ力になりましょう」と言ってくれた。
だが、足るを知り、他への感謝を忘れぬ廖が思い至ったのは、かつて耳にした馬彼得の夢の実現を手伝おうということだった。
廖の人柄は、Bukut校長に自分の母を思い出させる。彼は廖にAkuanという母と同じブヌンの名をつけた。母のように実行力があったからだ。
2007年初め、「Akuan先生」こと廖達珊は、恩師である台湾師範大学の黄生校長がタイで舞台に立ってくれる原住民団体を探していることを耳にした。タイの国立ラーチャパット大学は師範大学の姉妹校で、第3回世界原住民文化及び生態多様性シンポジウムがタイで開かれるに当たり、台湾からも原住民の出演を、と計画していた。
Akuan先生による強い推薦で東埔小合唱団が旅立つことになった。ただ、食事と宿はタイ側が提供してくれるものの、自費となる飛行機代70万元余り(生徒と教師全員分)が問題になった。寄付金集めなど経験のない彼女は、同僚や友人などの知り合いに頼むしかなかった。当時はまだ原声教育協会も成立しておらず、寄付金の振込先すらない。「全部、私の口座に振り込まれました。つくづく、台湾は『富は民にあり、愛は民にあり』だと感激しました」
算数、公民、言語など、サマーキャンプのカリキュラムは豊富だ。お兄さんがコオロギを捕ってきて解剖し、子供たちに生物の器官の構造を教えてくれる。