台南市左鎮の「破布子」
破布子(ムラサキ科カキバチシャノキという植物の果実)は苦みと渋みがあり、鳥もあまり食べないほどだが、台湾は世界で唯一これを料理に使う国である。破布子の実を塩漬けにした後、押し固めて塊状にするか、さらにたまり醤油や氷砂糖で味付けをして桶に漬ける。塊状にした破布子は、粥のおかずにしたり、卵焼きに入れたりし、醤油漬けにしたものは蒸し魚などの味付けと風味付けに使う。
台湾における破布子の産地は主に台南や嘉義の一帯で、実が採れるのは6~9月である。最も有名な産地は台南市の左鎮だ。ここの一帯はチョーク層の地質で、土壌の塩分濃度が高く、大雨が降ると土壌が流れ出すため、乾燥に強いカキバチシャノキが育つのである。歴史学者の連雅堂は1932年に『雅言』の中で、台南人が破布子をご飯のおかずにする様子をこう描いている。「鍋に入れ、塩を加えて煮ると膠のように粘りが出て、飯のおかずになる。豆腐と一緒に煮れば塩梅もちょうどよい」と。
左鎮の近くには南科蔦松文化遺跡があるが、そのシラヤ文化層の「灰坑」からは破布子の種子が出土しており、シラヤ族が早くから破布子を食用していたことが分かる。また、1990年代に左鎮の農協は破布子のレシピ集を出してこの食材を大いに打ち出したことから、左鎮は破布子の代名詞として知られるようになった。
左鎮農協推広部指導員の穆翠玲さんによると、破布子を採集に行く人は、必ず近所の人や友人を誘っていくそうだ。採集は煩雑な作業で、一人では難しいからだ。切り取る枝を選んだら、まず葉を取り除き、それから一粒ずつ採集しなければならないのだ。採集した破布子はきれいに洗い、ペクチンが溶け出すまで2~3時間ゆでる。続いて塩を加え、椀に入れて形を整え、塊状にするか、あるいは桶に入れてたまり醤油と氷砂糖を加えて保存する。
閩南人(福建省南部から移住してきた人々)やシラヤ人のほかに、客家の人々も昔から破布子を食用してきた。客家語で歌うバンドの生祥楽隊にも「対面鳥」という歌があるが、この曲名は破布子を意味する客家語だ。母親が一人で破布子を採りに行き、それを漬ける過程を歌っている。子供の頃はそのおいしさが分からなかったが、大人になってから、破布子を試しに一粒ご飯と一緒に食べてみたところ、苦みが甘味に変わるのを感じ、生前の母親が破布子を処理している姿が目に浮かんだという歌である。
破布子の料理の話のほかに、世界で唯一、台湾だけで破布子が食用されているという点にも注目したい。作家の古碧玲は「誰が最初に破布子を食べたのか?」というコラムで、「シダの父」と称えられる郭城孟と話した内容を紹介している。――郭城孟によると、インドや広東省の沿海地域、フィリピンなどにも野生の破布子(カキバチシャノキ)が生息しているが、これらの地域には破布子を食べる文化はなく、一方で熱帯に属し、氷河期の生き残りの生物が多い台湾ではこれを食用する。ここから郭城孟が推測するのは、人類が大移動の途中で台湾に到達した時に、食べられる植物が多くはなかったため、沿海地域に居を構えた人々は破布子を塩漬けにして食べたのではないかということだ。塩漬けにすることで渋みが抜け、溶け出したペクチンの作用で塊状にしやすくなるので、移動の際の携行にも便利だったからではないかと考えられるという。
この「誰が最初に破布子を食べたのか?」という疑問に対する科学的、考古学的な答えは出ていないものの、私たちが破布子を食べる時、この謎は、もう一つ別の味わいを添えてくれるのではないだろうか。
破布子を塩漬けにする際には、好みによってパイナップルやニンニク、ピーナッツなどを合わせてもよい。(徐仲提供)
塊状にした破布子はお粥のお供にすることが多い。(徐仲提供)
柔らかい筍尾(穂先)の部分は細かく裂くか、天日干しにする。台湾料理には欠かせない食材である。
葉の長いカラシナ「長葉芥菜」は1株の重さが6キロに達する。十分に乾燥させて梅乾菜を作るのにふさわしい。
毎年、タケノコを干す光景は南投県竹山に特有の風物詩となっている。