公的部門からの依頼
古道を歩いてきた夫妻は、大変だったが楽しかったと言う。二人が結婚して間もない頃、初めて錐麓古道を歩いた時にはスズメバチに襲われ、楊南郡はアナフィラキシーショックで生死の境をさまよったこともある。その時の調査の結果は出なかったが、古道からの風景は素晴らしく、再び訪れたいと思ったそうだ。また、ある会議で太魯閣国家公園の初代処長・徐国士と知り合い、国家公園内の古道について話したところ、徐国士は大いに興奮し「私たちに必要なのは、あなたたちです。どうか路線と道の状況を調査してください」と言われた。こうして公的部門からの依頼を受けることとなり、一年をかけて「太魯閣国家公園合歓越嶺古道調査報告」をまとめあげた。
これを提出した翌日、今度は玉山国家公園管理処長の葉世文から、清代の八通関古道の調査を依頼された。しかし、八通関古道に関する資料は非常に少なく、清朝の地図の地名はまるで『西遊記』の地名のように詩的なので無理だと断った。すると、その晩に葉世文が直接訪ねてきて、引き受けてくれるまで帰らないと言うので、無理でも引き受けざるを得なかったという。
こうして国家公園や林務局から次々と調査依頼が入るようになった。
だが、まとめた報告書は一般の人々にはわかりにくい表現が多いため、2010年、徐如林と楊南郡はそれまでの調査報告をルポルタージュ形式にまとめ直し、『大分・塔馬荷:布農(ブヌン)抗日双城記』『合歓越嶺道:太魯閣戦争与天険之路』『能高越嶺道:穿越時空之旅』『浸水営古道:一条走過五百年的路』『霞喀羅古道:楓火与緑金的故事』を出版した。
古道について語る徐如林の話を聞いていると、彼女の頭の中には台湾の山脈の姿がすべて入っていて、踏査を蓄積していくことで台湾を理解していったことがうかがえる。「地理は歴史の舞台です。舞台に歩み入ってこそ、歴史の真相を探索できます」と楊南郡は語っている。