世間を見つめ、琉璃の清さを
2012年に高雄市立美術館は洪根深のために創作研究展を開催し、そのテーマを「殺墨」とした。
この死、かの生/死生は一体/捨てるとは思いか/子供の成長には/臍の緒を断ち/殺墨は侠客の思い/墨に宿る筆の光/高雄に在りて/鮮紅の木棉花は誇り高く立つが/わが墨の黒に/白く清らかな百合と/この人生を解釈せん
この詩をもって、洪根深は「殺墨、洪根深の創作研究展」を解釈した。
殺とは破壊ではなく、再生であり、死生は一体であった、殺墨はこの死、かの生なのである。一人の芸術家として、断絶を恐れず、実験を試み、これを捨てて、新しい契機を得る。
この禅味豊かな悟りで、60歳を迎えようとする中、芸術創作が大きく変わっていった。
数十年来、長髪に酒、タバコとコーヒーを手放さないが、長男は敬虔な仏教徒で精進を旨としてきた。2005年に岳父が世を去ったとき、長男は静かに陀羅尼を唱えていた。息子に「何かできることはあるか」と聞くと、息子は「写経で回向できます」と答えた。
息子の目から見ると、彼は宗教を信ぜず、奔放不羈の人間で、人の言うことを聞いて写経などするはずもないと思えたのであろう。ところが、洪根深は本当に座って写経を始めた。しかも、始めると止まることなく、毎日写経を続けたのである。こうして2013年まで、書き続けた経文は108冊、百万字を越えた。すべて筆で、きちんとした楷書である。
写経とはいえ、その美しい筆法はおのずと風格を成している。仏光縁美術館では、2013年にその写経のために盛大な作品展を開催した。インスタレーション作品として、この写経作品を展示し、台湾では初めての経文の美術展モデルを生み出したのである。
その山あり谷ありの芸術家人生であるが、洪根深にとってはそれも自然な生々流転である。その詩「留個蕭瑟」には「人は老い/風雲も倦む/一杯の酒に生を楽しむ/一枚の絵に/蕭瑟を留める/夢に過ぎ行くあちこちの宿/黒く白く夜を漂泊する風/鴻燕は秋の声に堪えず/悲傷をここに留めよ」と書いた。
仔細に見てみると、洪根深の生は、クリームも砂糖も入れていないマンデリンのごとく、時間の経過や温度の加減により、酸味や甘み、渋みを伴いながら、馥郁と豊かに厚みある味わいの変化を見せる。こういった変化は必然でもあるが、それでも見る人を驚かせ、楽しませる。
洪根深は「高雄黒派」を代表する芸術家である。1991年の「黒色情結」シリーズは工業都市の変遷を省察した作品。重く沈んだ色調の画面に人がひしめくが、どの姿も孤独感に満ちている。
「迷情」シリーズ。洪根深は焦点を人の情欲に当て、人物をくっきりとした線で描くことで、その感情を際立たせる。
40年余りにわたり、洪根深はほぼ毎日、休むことなく創作を続けてきた。