財神信仰で金運アップ
現在人気の財神廟は1980年代に始まり、隆盛に向い多様化しつつある。
錦衣玉帯の装束で知られる文財神は、殷朝の忠臣比干、あるいは春秋戦国時代に越王勾践を補佐した范蠡とされている。
比干は、紂王の寵姫妲己に心の臓を抉って殺されたため、無心すなわち私心がないとされて崇められている。范蠡は引退後に商売に乗り出し富豪となったため、財を集め散ずるイメージがあり、財神の化身となった。
武財神というと、封神榜に「金龍如意正一龍虎玄壇真君」に封じられた武将趙公明である。その後、周の武王に元帥の称号を追贈され、玉皇大帝から三十六天官の主席に封じられ、さらに吉祥と福を司る招宝天尊蕭昇、納珍天尊曹宝、招財使者陳九公、利市仙官姚少司の4人の部下を率いて、これを総称して天官五路神と言う。最近大流行の五路財神廟が祀るのは趙公明など五路財神で、さらには八路財神(五路に天地人三格を加える)、十路財神(五路武財神に五路文財神を加える)など、バリエーションが豊富である。
民間の財神信仰の流行について、文化大学の前副学長で道教法師の資格も持つ台湾民俗信仰学会の呉永猛理事長によると、1976年から台湾経済が発展を開始し、その後20年に渡る経済成長と社会の変化が原因だと分析する。株式市場が1万ポイントに達し、不動産投機や香港の番号合せ宝くじへの賭博などの現象は、すべて純朴な社会の気風が次第に功利的になっていったことを示す。
「何事も速成、利益を重んじる社会で、将来のリスクへの恐怖心をなだめ、希望を与えてくれるのが財神爺なのです」と呉理事長は語る。
『台湾財神廟101』の著書がある文化人の石育鐘によると、専門分業を重んじる現代的概念が信仰にも影響するという。年配の世代は観音や媽祖、関帝などの大神を信仰して、健康や事業の成功、結婚や子宝を願うが、若い世代は問題ごとに異なる解決法を求める。「財神を信仰する信徒の年齢層は、キャリアに全力を傾ける25~45歳に集中していて、高齢化する一般の廟の参拝客とは大きく異なります」
紫南宮に祀られた黄金に輝く土地公と土地婆(土地神様)が身にまとう金の装飾品はすべて信者からの奉納品だ。