心の出口を求めて
いま台湾で大ブームを巻き起こしている塗り絵本とは何なのか。その図案を見ると、基本的には同じパターンやモチーフを、さまざまな並べ方や組み合わせで繰り返し、変化させながら広げていき、精緻な図案を描いてある。一見すると「複雑」だが、実は「シンプル」でもある。これは「ゼンタングル(Zentangle®)」の精神であり、流行の塗り絵本もその延長なのである。
ゼンタングルはアメリカで誕生した。元僧侶のリック・ロバーツとアーティストのマリア・トーマスが考案したもので、忙しく暮らしながら心のよりどころを失っている現代人に、絵を描くことを通して心と身体をリラックスさせ、自我を見つめさようと考えられたものだ。ゼンタングルの教室では、シンプルなパターンを描くことから始めるが、生徒一人一人の心境や考え方が異なるため、同じパターンが表現するものもそれぞれ違ってくる。描き終えたら、それを互いに鑑賞して話し合い、芸術には正解などなく、誰もが芸術家であることを学ぶ。
「ゼンタングルはハードルの低い創作形式で、たくさんのパターンを組み合わせることで、ひとつの作品になります。これらのパターンの特色は、段階があり、繰り返し描きやすいというものです。そのため、すぐに上達し、素晴らしい作品を生み出すことができます」とゼンタングル認定講師の魏怡珍は言う。
集中することで性格が変わる
2012年、魏怡珍は初めてゼンタングルと出会った時、これは面白い上に、情緒を安定させる創作形式だと直感した。それがゼンタングルというもので、アメリカで流行していることは後から知った。「当時、台湾には認定講師は一人しかいなくて、その講義を受けて完全にゼンタングルのとりこになってしまいました」と言う。彼女はゼンタングルを学ぶにつれて、その精神と哲理に魅了され、渡米して認定を受けたいと考えるようになる。「認定を受けて、より深くゼンタングルの精神と理念を理解し、多くの人にその素晴らしさを伝えたいと思ったのです」
「私の性格はもともと厳格で、自分のミスも許せない性分だったんですが、ゼンタングルの創作が己の枠を破ってくれました。ゼンタングルの世界には正解も間違いもなく、すべてが素晴らしいことなのです」と言う。こうした開かれた空間で、彼女は安心して創作を楽しむことができ、自分が変わってきたことに気付いた。「今の自分はリラックスしていて、現状を受け入れられます。性格も以前より穏やかになり、それゆえに創作面でも自由に力を発揮できるようになって良好な循環が生まれています」と言う。
会社のアート・カリキュラムでゼンタングルに触れた小李は、子供の頃から自分には絵の才能が全くないと思っていたが、魏怡珍の熱意と明るさに大きな影響を受けた。「その日、授業の2時間があっという間に過ぎてしまい、まだまだ描き足りないと感じたのです」と言う。そして「私にも綺麗な絵が描けるではないか!」と自分の作品に大満足した。家に絵を持ち帰ると、子供たちも気に入り、今は親子で一緒に絵を描いている。
誰もがアーティスト
ゼンタングルに触れた多くの人が、同じような喜びを感じる。もちろん、ゼンタングルの講師もゼロから学び、少しずつ作品を蓄積していってこそ、リラックスした雰囲気の授業ができ、シンプルなテクニックの積み重ねで生徒たちをゼンタングルの美しい世界へ導いていけるのである。
「初めて授業を受けた時は、やはり少し緊張しました」と話すのは、もう一人のゼンタングル認定講師、郭自潔だ。「ですが、ローラ先生(前述の、台湾で初めて認定を受けたゼンタングル講師)に導かれてリラックスでき、プレッシャーを感じなくなりました」と言う。その後、郭自潔は自分が講師になってからも、このような前提を大切にしている。「何を描くか予め考えることはせず、少しずつ広げていくだけで、思うままに描いていけば、自ずと自分らしさが出てくるのです」と言う。
喜びを分かち合う
郭自潔にとって、ゼンタングルは自分の成長を記録する一つの道具に過ぎない。彼女はSNSで「一日一画」の活動を行なっていて、その日に描いた作品を毎日発表している。つまりゼンタングルの形でその日の感想や思いを皆に伝えているということだ。これを通して、郭自潔は毎日必ず創作して日々の暮らしを振返るだけでなく、それが友人たちにも影響をおよぼしている。友人たちは彼女の作品で美に触れるとともに、自らも振返って反省するのである。仕事が忙しくて絵をアップしていない時は「今日のゼンタングルは?」と催促のメッセージが入ることもある。
ゼンタングルはシンプルで上達しやすく、いつでもどこでも描けるので、どんな人にもふさわしい。創作のプロセスでは、美を追求すると同時に自らを省みることができるだけでなく、自分の可能性を発見することもできる。このようなプロセスを暮らしの他の面――学習や情緒管理、仕事などにも応用すれば、プラスの効果が得られるのではないだろうか。
純粋に絵を描きたいと思う人にも、絵を通してリラックスし、心を成長させたいと思う人にもふさわしいゼンタングルの不思議な効果は、すでに多くの台湾人をとりこにしている。
同一のパターンを繰り返し描き、変形させながら展開して一つの作品へと仕上げていく。
ゼンタングルは台湾でも急速に広まりつつあり、認定講師は百人を超える。中央の魏怡珍もその一人である。
書店でも、輸入もののゼンタングル関連書籍の専門コーナーができている。
ペンと紙を手に、郭自潔はいつでもどこでもゼンタングルの世界に入り込む。(廖景賢撮影