公衆衛生と医療の両面
こうした中、診療報酬制度が医師の過労と所得低下をもたらしている。その原因は、健保が保険と福祉、公衆衛生と医療という全く異なる機能を兼ね備えているからだ。
元衛生署長で亜洲大学健康産業管理学科講座教授の楊志良は、全民健保計画立案者の一人でもある。その話によると、健保には「健康を促進する、病気による貧困をなくす、生命の尊厳を守る」という三大目標があるが、この三者の間には矛盾があり、さまざまな誤解もあると言う。
かつて沈富雄・元立法委員は、「健保は大病を対象とし、小病は対象としない」という方法を主張したが、楊志良はこれは不可能だと考える。
「病気の大小をどこで区切るのでしょう。もしこの方法を採用したら、みんな小病を何とか大病にしようと考えるのではないでしょうか」と言う。
楊志良の考えはこうだ。健保が財務リスクだけを保障するものと考えるなら、大病のみを対象とするべきだが、国民の健康を目的とするなら、食生活や予防から着手すべきで、むしろ大病を対象外とすべきである。例えば、ガンのターゲット療法などは多大な費用がかかるが、治療効果は高いとは言えないからだ。「私たちは医療費の3分の1、1500億元を患者の死亡直前の3~5ヶ月に費やしています。亡くなると分かっているならなぜ治療するのか。しかし、治療しなければ助かるかどうか分からないのです」
これに対し、沈富雄は逆の見方をする。「小病を健保対象から外せば貧しい人に不利になり、小病を放置すれば大病になる」というのは公衆衛生学者の思い込みだと言う。
その考えでは、現在の患者の7割は医者に診てもらう必要はなく、市販薬で治る。25%は良い病院で優秀な医者に診てもらう必要があり、5%はどんなに治療しても良くならない。「医学界が努力すべきはこの25%の患者の治療であるにもかかわらず、大部分の医療費は7割の患者の治療に用いられています。ところが、公衆衛生界の目は、この7割の治療を受ける必要のない患者に注がれているのです」
平等か、最先端医療か?
沈富雄によると、17年前、全民健保制度は公衆衛生学者によって公平性と保険料の低さを重点に立案された。その目標はすでに達成されているが、その一方で先端医療の追求が犠牲になっている。
現在、我が国の病院は外来重視、入院軽視の傾向にあるが、これは外来の利益が高く、入院部門は赤字になるからだ。外来の利益を重視する結果、医療の質の悪化と医療レベルの後退を招いている。
しかし、国民の福祉という角度から見て、楊志良は、医療の公平性と普及は最先端医療追求より重要だと考える。例えば、南アフリカは世界で初めて心臓移植に成功した国だが、同国の妊産婦の死亡率は台湾の100倍以上、乳幼児の死亡率も台湾の40倍以上である。政府の立場からすると、最先端医療の追求より国民の健康ケアの方が優先される。
医療の浪費は必要悪?
中央研究院のアカデミー会員、陳定信は「医療保険制度政策建議書」の中で「健保は第三者が支払う制度であるため、医師と患者の双方が医療資源を大切にせず、モラルハザードが生じる可能性がある」と指摘している。
台湾では毎年一人平均14回外来診療を受ける。日本より少ないが、欧米諸国の平均6回の2倍以上であり、国民の習慣には大きな改善の余地がある。
楊志良は、浪費は国民皆保険の目的の一つを達成するための必要悪だと語る。
WHOの2010年のレポートによると、世界の医療支出のうち4割が、医療詐欺や医師の自衛的医療、浪費などに消えている。米国では年間の医療浪費が6000億米ドル以上に達するが、台湾の年間医療支出は160億米ドルで浪費の空間は大きくはない。
浪費を削減するために一部の自己負担を引き上げるべきだと提案する人もいる。だが楊志良は「不当な利用を阻害し、正当な使用を妨げない自己負担引き上げはない」と言う。全国民の健康のための健保なのだから、自己負担は低くなければならない。浪費は避けられないが、その事実は受け入れざるを得ないと言う。
問題の根源は医療管理に?
このように制度の設計に対してさまざまな意見があるだけでなく、病院の資源分配にも相違がある。米国の医療保険の給付対象は医師だが、台湾では病院に支払われるため、病院が私腹を肥やし、医療人員に正当な報酬を与えていないという声がある。
診療報酬が高くても、病院が医師に正当な給与を支払わなければどうしようもないと楊志良は言う。病院が利益を設備と勢力の拡張に注ぎ、大病院は小病院を合併して、健保収入を増やしていく。
高報酬を出せば医師は集まるが、今の病院では病床を減らしても医師に高報酬を出せないのだと沈富雄は言う。「以前は長庚病院の研修医の初任給は20万でしたが、今は12万で、医師が不足し、ベテランの医師も当直しなければならないほどです」と言う。
その話によると、健保実施の当初8年は確かに利益が出た。それまで公務員保険と労働者保険しかなかったところへ国民皆保険が実施されたため、医療を受ける人が激増し、病院への投資が進んだ。当時、長庚病院の年間利益率は16%(業務外収入を含む)で、業績の悪い病院でも8%の利益があったが、その後の8年は経営が厳しくなり、長庚病院でも利益は8%に落ち込み、業績の悪い病院は続かなくなった。「病院が私腹を肥やしていると言われますが、実際に経営は厳しいのです」と言う。