
客家料理と言えば、客家小炒(干し豆腐やスルメなどの炒め物)や薑絲大腸(千切りショウガと豚大腸の炒め物)、梅乾扣肉(カラシナの古漬けと豚バラ肉の醤油蒸し)、紅糟鴨肉(鴨の酒粕蒸し)などの典型的なメニューを思い浮かべるだろう。塩辛くて香りが高く、油っこくてご飯が進む、素朴な「田舎料理」というイメージが強い。
だが、客家料理の精髄は多様な副食品と点心にある。その美食の記憶は労働や祝い事とともにあり、天を敬う敬虔な心と女性への優しさに満ちている。
近年は台湾各地で観光ブームが巻き起こり、客家集落では野薑花や菊、茶などを用いた身体にも環境にもやさしい客家料理が食べられる。
『山裡的女人』『台北客』などの著書がある張典婉は、中年になって、幼い頃に苗栗県頭份の客家集落で過ごした春節を懐かしく思い出す。春節が近付くと、どの家でも女性たちが米を挽き、軒下には漬物を干し、家々からおいしい香りが漂ってくる。大晦日の夜は、食卓いっぱいに鶏や豚の料理が並べられ、おめでたい気分が盛り上がる。年が明けると、親戚や友人が、それぞれ自家製の紅糟鶏腿や紅露酒、大根の漬物、甘い餅菓子などを花柄の布に包んで互いに贈り合う。
「物資の乏しかった時代、春節の時にだけ贅沢に甘いものを食べることができ、子供たちはみんな夢中で食べました」と張典婉は言う。
張典婉は女性の視点で、客家の女性と食物の関係を見つめる。働き者で倹約家の客家女性は一家の料理を担当しながら、男性や年配者の後でなければ食卓には就けず、おいしいものはもう残っていない。「だからこそ客家の山歌『病子歌』は妊婦の立場から、食べ物と愛情への渇望を歌っているのです」
この歌には、薑絲大腸、塩卵、チマキ、肉団子など、山地に暮らす客家の典型的な料理への思いが次々と歌われる。

塩辛く、香りが強く、油っこいとされる客家料理は、先人の移住の歴史と生活の知恵を反映している。写真は左から客家小炒(豚肉・干し豆腐・スルメなどの炒め物)、薑絲大腸(ショウガと豚大腸の炒め物)、梅乾扣肉(漬物と豚バラ肉の醤油蒸し)、粄條(米粉の麺)。
1990年代に客家による「母語を返せ」という社会運動が起り、そこから客家文化の復興が大きな流れになった。その中で、客家料理も文化の重要な象徴として考察の対象となった。
多くの研究者が客家料理の特色として、塩味が濃く、香りが強く、油っこい、という点を挙げる。調理方法は、蒸す、煮る、炒めるが中心で、また塩漬けの技術に優れ、その種類も多い。これらの特色は、客家の先人たちの移住の歴史や生活環境と深く関わっている。
客家の祖先はもともとは中国大陸の黄河や江淮の流域に暮らしていたが、天災や戦乱を逃れて唐末、五代、南北宋の時代から移住を開始し、福建、広東、江西などへと移り住んだ。移住先の平坦な土地はすでに他の民族に開発されており、遅れてやってきた彼らは山地や丘陵に集落を作るしかなかった。
山地や丘陵の開墾は重労働で、汗で失った塩分を補給し、体力をつけるために、料理に塩や油を多く使うようになったとされる。客家の間では、元気のない人を「塩を食べていない」と形容する。
また山地は他の地域との交通が不便で物資も乏しいため、食物を長期保存する塩漬けの技術が発達した。大量に採れる旬の野菜を天日に干して塩に漬ける。例えば、鹹菜、覆菜(福菜)、梅乾菜はカラシナの塩漬けの三段階の状態で、古漬けになるほど味わい深い。また、料理に時間をかけられないため、調理方法はシンプルで、燻製や揚げ物は少なく、蒸す、煮る、炒めるといった方法が多い。余った肉は粕漬けなどにする。
国立高雄餐旅大学中華調理師学科の楊昭景教授によると、客家の典型的料理は「四炆四炒」(炆はとろ火で煮込むこと)と言われる。漬物と豚の胃袋の煮込み、スペアリブと大根の煮込み、豚の腸とシナチクの煮込み、豚の大腸のショウガ炒め、豚の胃袋のニラ炒め、豚の肺のパイナップル炒めなど、一頭の豚を内臓から血まですべて使い切る。スープに入れたシナチクは油を吸ってスープはさっぱり飲め、シナチクの渋みも消える。あらゆる食材の特徴を有効に活かしている。民族学者の荘英章は、客家の漬物技術を「比較的不安定な生態環境における適応策」と言う。

近年、客家集落は次々と観光産業へと転換し、文化や歴史を感じさせる客家料理レストランも増えてきた。写真は北埔食堂。
客家文化史研究者の黄栄洛によると、台湾の客家は約400年前に台湾海峡を渡ってきた。だが互いの言語や出身地の違い、水資源の奪い合いに加え、清代には「漢を以て漢を制する」という政策が採られたため、福建南部出身者と客家の間で武器を持った闘争が続いた。18世紀中頃以降、客家の人々は福建省の漳州と泉州出身者が優勢を占める西部の肥沃な平野から退き、桃園・新竹・苗栗・台中・高雄・屏東・花蓮・台東などの山間に新たな居住地を作ることとなる。
地形や気候、作物などの条件の違いから、台湾各地の客家集落はそれぞれ異なる食文化を発展させていった。
桃園県新屋に育った木彫家の許和義は、山暮らしにあこがれて、十数年前に新竹県北埔に移住して驚いたと言う。同じ客家集落なのに、北埔には系統だった粄(バン/米粉で作った麺や餅)の文化があり、もち米、インディカ米、ジャポニカ米などの種類によってさまざまな餅や饅頭が作られていたのである。
町づくりに取り組んでいる彼は、史料やインタビューを通して北埔と新屋の相違に気付いた。前者は明末に原住民族との激しい闘争の末に開墾に入り、その結果、金に糸目をつけない大酒飲みの富豪が生まれた。丘陵の客家と平野の客家の文化は異なる発展を遂げたのである。
許和義によると、かつて北埔は竹塹(今の新竹市)と原住民の住む地域の重要な緩衝地で、開墾に入った客家は、大陸から持ってきた茶を植えて改良し、それが現在の東方美人茶になったと言う。その茶畑で働く人々は、毎日長い距離を歩いて茶畑に通い、そのために米粉で作った粄が腹を満たす重要な食糧になったと考えられる。
不思議なことに北埔は1990年代に北部第二高速道路と台三線がつながってはじめて、その独特の米食文化や風習が発見された。そして観光化とともに、それが特色として打ち出されるようになったのである。

台北で料理教室を開く阿緞さんは客家の点心作りが得意だ。その手作りの粄仔(米粉の餅)はおいしくて身体に優しい。
同じく客家の食文化で知られる新竹県新埔は、粄條(米粉を溶いて蒸して作った麺)や紅糟肉(肉の粕漬け)、干し柿、桔醤(金桔という柑橘類のジャム)などで知られている。
新埔中学校の地理教員を退職し、文化歴史解説員をする黄有福によると、粄條は中国大陸の故郷から伝わるおやつで、昔は「面帕粄」と呼ばれた。米を挽く作業に手間がかかるため、昔はお祝いの日にしか作られなかったという。
しかし、新埔は清の時代から竹塹(新竹市)に次ぐ物資の重要な集散地で、行き交う旅人が多かったため、多数の屋台が粄條を入れたスープや紅糟肉などを売るようになった。
黄有福の記憶では、新埔の粄條は十数年前にようやく機械生産されるようになり、その時に味も観光客の好みに合わせて調整された。スープはあっさり味、粄條にはサツマイモの粉を加えて歯ごたえを出した。「改良後の粄條がおいしいかどうかは人によって意見が違いますが、実際に米を挽いて作り、豚骨でとった出汁に各店が独自のネギ油を加えています」
張典婉によると、客家料理は北部も南部もほぼ同じだが、食材に違いがあるという。南部の客家料理で有名なのは「封」という料理の系統で、豚肉を煮た醤油ダレで野菜を煮込んだものだ。有名な美濃豚足は、豚足と冬瓜、キャベツ、タケノコなどを一緒に煮込み、味が良く染み込んでいておいしい。
美濃の作家・鍾鉄民の散文には、地元の屋台での食事の思い出がよく描かれている。例えば、龍葵(イヌホオズキ)の葉と豚の胃袋を入れた粥は身体のだるさや腹部の不調を治す。田んぼに自生する鴨舌草(コナギ)をショウガや豆鼓と一緒に炒めたものなども南部の客家に特有の料理だ。

昔から北埔に暮らす麦さん一家は原生種のカラシナを栽培している。80歳代のお母さんは客家伝統のカラシナの漬物――鹹菜、福菜、それに梅乾菜(下の写真)を漬けている。
農業社会から工業社会へと変わり、母から娘、姑から嫁へと伝えられてきた各家庭の料理や漬物の作り方などがしだいに失われつつある。だが、伝統を守ろうという強い意志を持つ一部の人々によって引き継がれ、積極的な若者もいる。
北埔の黎鳳嬌の家は茶農家だ。20年前に姑の味を引き継ごうと考え、デザインを学ぶ夫と話し合い、昔からの客家の味を提供する北埔食堂を始めた。姑から教えてもらった五味渓哥、豚足のニンニク風味、金桔の葉と腸のスープなどを出している。二つある店舗は天窓から光が差し、古い家具や民芸品、客家の花柄の布などでレトロな雰囲気を出している。食器は上質のものを使い、さまざまな茶も供しており、客家の生活の美を再現している。
湖口の古い町並みに、ひっそりと目立たない新友飲食店は、三世代、半世紀にわたって続く老舗だ。現在厨房に立つ林志明は以前は中国大陸で働いていたが、十数年前に年老いた母親が店を切り盛りしているのを見るに忍びなくなり、戻ってきて店を継いだ。今は毎日自分で市場へ行って肉を買い、契約している付近の農家から梅乾菜や干し豆腐など客家特有の食材を仕入れている。昔ながらの味と食材の良さが好評で、店内の10卓はいつも満席だ。「海外から帰国したり、高速道路で通りかかったりすると、必ず粄條を食べに来る人もいます」と言う。

塩辛く、香りが強く、油っこいとされる客家料理は、先人の移住の歴史と生活の知恵を反映している。写真は左から客家小炒(豚肉・干し豆腐・スルメなどの炒め物)、薑絲大腸(ショウガと豚大腸の炒め物)、梅乾扣肉(漬物と豚バラ肉の醤油蒸し)、粄條(米粉の麺)。
張典婉によると、客家の人々の間では「おふくろの味」へのニーズが今も大きく、それは食材生産の経済規模や分業の状況からも見て取れると言う。苗栗県公館は福菜、新埔は干し柿や桔醤、関西は仙草(ハーブゼリー)、雲林県大埤は鹹菜を生産している。家族経営や企業経営によるこれら客家の食品産業は昨今の観光ブームと結び付き、客家料理が引き続き注目され、一般の台湾料理レストランにも浸透しつつある。
また、政府の客家委員会とホテルが協力して「新客家美食主義」を提唱したこともある。西洋料理や日本料理と客家料理の概念や食材を結びつけるというものだ。例えば、梅乾扣肉に梅を加えてコレステロールの負担を抑え、紅糟や粄條を寿司に用い、あるいは桔醤をエビのソースにするなど、客家料理の要素に現代的な感覚を加えた。
多数の客家料理レストランを指導してきた許和義は、客家料理が多くの人に愛されるのは、それが懐かしく慣れ親しんだ味であるだけでなく、世界中の美食に触れた後の回帰でもあると考える。客家料理の食材は清潔で、調理方法はシンプル、食材の多くは健康とエコの概念にもかなっている。例えば酸味と渋みのある桔醤を用いれば、化学調味料を加えなくても果物の香りが味わえ、紅糟はコレステロールを下げる。「これらは現代人の食への要求にかなっており、安心して健康的に食べられるのです」と言う。
客家の大根の漬物や鹹菜は、古漬けになるほど味わいが増すように、客家料理が愛されるのは、自然回帰とシンプルライフが求められているからではないだろうか。

塩辛く、香りが強く、油っこいとされる客家料理は、先人の移住の歴史と生活の知恵を反映している。写真は左から客家小炒(豚肉・干し豆腐・スルメなどの炒め物)、薑絲大腸(ショウガと豚大腸の炒め物)、梅乾扣肉(漬物と豚バラ肉の醤油蒸し)、粄條(米粉の麺)。

台北で料理教室を開く阿緞さんは客家の点心作りが得意だ。その手作りの粄仔(米粉の餅)はおいしくて身体に優しい。

塩辛く、香りが強く、油っこいとされる客家料理は、先人の移住の歴史と生活の知恵を反映している。写真は左から客家小炒(豚肉・干し豆腐・スルメなどの炒め物)、薑絲大腸(ショウガと豚大腸の炒め物)、梅乾扣肉(漬物と豚バラ肉の醤油蒸し)、粄條(米粉の麺)。