熱意を喚起
曽厝地域の活動センターは1979年に建設され、地域発展協会は1993年に創設された。だが2000年になって県が兵役中の男子4人を兵役の代わりの仕事としてこの地方に派遣し、計画や運営に協力するようになった。地域全体の動きが本格化したのはここからである。
発展協会の調査によって、曽厝地域が活性化する以前から、多くの住民が他の地域に行ってボランティアをしていることが明らかになった。そこで以前、理事長を務めていた黄順得さんは、地域で最も必要とされていたパトロールチームと環境保護ボランティアチームを率先して結成し、治安と環境問題の解決に乗り出した。その次に結成されたのは、フォークダンスクラブだ。フォークダンスクラブは、クラブ会長の謝招治さんの庭先で定期的に活動が行われるようになった。
「始めたばかりの時は、お年寄りから強い反対の声が出ました。大勢の女たちが夜、用もないのに集まってダンスするなんて、絶対最後にはまずいことになると言うのです」とフォークダンスクラブのメンバー梁素燕さんは発足当時のことをこう説明する。
地域発展協会の陳秀金さんもこれと似たような経験がある。彼女がボランティアに行くと言うと、親たちに「そんなことをしている時間があるなら、草むしりにでも行きなさい」と叱られた。小姑にも横から嫌味を言われたという。だが彼女はそれでも夫と一緒に内緒でボランティアをしに行った。最近は、地域活動が活発になったことで地域の景観がより美しくなり、隣近所同士の仲もよくなった。今では陳さんの親御さんたちも、地域活動に積極的に参加し、発展協会に寄付までするようになったそうだ。
「おそらく、みんなやる気は前からあったのでしょう。農村では助け合いの精神が強いので、ただきっかけを必要としていただけなのかもしれません。だから、地域全体の活動がすぐ軌道に乗ったのでしょう」と言うのは環境保護ボランティアチームのリーダーを務める張朝恭さんだ。
現在、治安を守るためのパトロールチームには50数人が参加している。メンバーの中には一家3世代で入っている人もいれば、隣村から参加している人もいる。このチームの主な仕事は、地域の治安を守ることだ。冬は毎晩、町内を巡回するが、それ以外の季節は若者が事件を起こしやすい週末に活動し犯罪防止に努めている。このほか、時間があれば農村の1人暮らしの老人を訪問したり、冠婚葬祭の手伝いに行ったりなどもしており、活動の一環としている。
「田舎ではまだ葬式に出るのを嫌がる人がいます。パトロールチームでは、地域全体で協力して、実際的なお手伝いをすることで遺族の悲しみを癒そうとしているのです」リーダーの林全さんによると、このチームは地元だけでなく、隣村での冠婚葬祭にもお手伝いに駆けつけるのだという。
環境保護チームのボランティアは、毎月の第3日曜日を「活動日」とし、地域の道路を清掃している。今年は、曽厝が政府の衛生署にデング熱予防の模範地域に選ばれたため、病気の媒介となる蚊の駆除に特に重点を置いて活動している。このため、この地域では水の溜まった廃棄タイヤや空き缶はまったく見られない。
フォークダンスと地域教室の講座では、他からの力を借りず、仲間うちで交代して教え合っている。受講内容は、紙粘土細工やペーパークラフトなどの工芸がある。こうした形を採れない場合は、メンバーが他の地域で新しい手芸を習ってきて、地元に戻って先生役を担当するというわけだ。
曽厝の人々の職業は多様で、土木、水道電気、鉄鋼など専門的な仕事もすべて自分たちの手でやってきた。例えば地域活動センターも1979年には建てられていたものの、ずっと放置されていて、地域の貧しい人の臨時避難所となっていた。中は散らかり放題で、多くの設備も使えない状態だったのである。2000年、黄順得さんが地元の人に活動センターを改修しようと声をかけると、すぐペンキとタイルが寄付された。そして数週間のうちにきれいに掃除され、ペンキ塗り、タイル貼りが行われた。天井もきれいに張り替えられ、電線がつなげられて、入り口のレンガも新しいものに交換された。
活動センターの改修がスムーズにできたことは、ボランティア活動に参加した地元の人々を大いに元気づけた。自信を得た彼らは、これに続いてすぐ、地域のほかの場所の景観の改造に着手したのである。沙仔湾公園、柑仔店公園、口袋公園、楓葉小橋などは、当初はゴミ捨て場になっていたり、建物があちこち破損したりしていた。ボランティアはまずその場所をきれいに清掃することから始めた。そして植物を植え、管理維持する人を雇った。こうして地元にひとつずつ憩いの場を増やしていったのである。
桑の実、アサガオ、ザクロ、ヘチマなどが、生まれ変わろうとする曾に彩りを添えている。