東莒に恋をする
「恋愛にはロング・ステイが必要です。旅行は見合いのようなものですが、一生見合いばかりではいけません。好きな所を見つけて交際してみなければ恋愛には発展しません。本気で好きにならなければ、文章で描写することもできません。そうでなければ、表面をさっと掠めるだけですから」と言う。
苦苓は東莒の雰囲気は台湾とは違うと言う。建物にも宗教にも文化や習慣にも違いがあり、話す言葉も福州語なので、まるで外国にいるみたいで面白いのだ。
最初は人口のやや多い福正村に住んでいたが、その後は人っ子一人いない大埔村に移った。そのことで、芸術家や作家は変わり者だからとか、何かあったのではないかと噂もされた。
だが「大埔村は福正村よりきれいなんですよ」と苦苓は言う。大埔はかつて漁村として繁栄し、アヘン窟や売春宿、酒場などもあり、映画『花漾』のロケ地にもなった。
誰もいないところでも、苦苓は一人で楽しく暮らした。魚路古道を散歩し、通り道の東屋に「与風同坐(風とともに座る)亭」と名付けたりした。たまにツアー客がやってくると、ガイドの声が聞こえる。「大埔村には今は誰も住んでいなくて、作家の苦苓さんだけが一人で住んでいます。忙しくなかったら、窓から私たちに挨拶してくれるはずです」
その声が聞こえると、苦苓はすぐに窓際に飛んで行ってツアー客に手を振る。「まるでローマ法王みたいな気分ですよ」
昼間は何の目的もなく辺りを散策し、夜は暇に任せて見聞きしたことを綴っていく。こうして、東莒を離れる頃には一冊の本が完成していたのである。

宜蘭は舒国治にとって最も大切な田舎であり、その亀山島は永遠の名勝だという。