政治家一族の出身
歴史の正当性への反逆
彰化師範大学美術学科の呉介祥助教授によると、姚瑞中の山水画は「記号操作がイメージ形成を超えて、修業に近い模写テクニックが、本来奔放で混沌とした芸術家の内心を収斂させますが、かといって姚瑞中の挑発性が自己訓練で飼いならされるわけでもありません」となる。
姚瑞中は外省人の政治家一族に生れた。父は元台湾省議員で水墨画家の姚冬声、政府と共に台湾に移ってきたこの弁護士は、59歳になってようやく儲けた一子を溺愛した。
姚瑞中の家には小さい頃から政界の大物が出入りし、興が乗ると揮毫を始め、書を贈りあった。当時の姚瑞中は、こういった文人伝統の芸術の応酬を「時代遅れの役人の遊びで、あまりに不純」と思っていた。
父は姚瑞中が19歳で世を去ったが、小さい頃から世の栄華を見てきた彼は、息子が父に抱く反抗心を歴史に投影していた。1994年に国立芸術学院(現在の台北芸術大学)を卒業し、3年後に台湾を代表してベネチアのビエンナーレに参加し、インスタレーションの「本土占領行動」で、台湾の主体性を問うた。
写真、便器、犬のケージや船舶、青いライトなどの素材で構成された作品だが、もっと話題を呼んだのが写真だった。これは犬のマーキングを真似て、オランダ、スペイン、鄭成功、清朝、日本、国民党政府の台湾上陸地点を示す歴史的場所で、裸体の自分が小便する写真を撮り、台湾占領を示したものである。
歴史を風刺的に諧謔で見る態度が、台湾の美術界の注目を集めた。その後、「反攻大陸行動」「天下為公行動」の行動三部曲で、台湾近代史のターニングポイントを皮肉った。
「中華文明は何事も正統性を重んじますが、それならと思うのです。台湾には故宮があって中華文化の精髄を集めているが、統治権は中国の殆どに及んでいません。これが正統なのでしょうか」と反問する。
姚瑞中自身の家庭環境でも、父には中国に正夫人、第二夫人がいて、台湾でまた母を妻にした。「それが政治の現実とはいえ、中国の価値観でいえば妾でしょう。台湾では妾は苛められ耐え忍ぶ存在ですが、正夫人として遇されていました。可笑しいでしょう。歴史に対しても独自の角度で、マーキングしてみたんですよ」と笑う。
『小山水非死不可』は、静かな山中に端坐していてもフェイスブックに熱中する現代人を揶揄した作品。右下は一部の拡大図。